土方さんのいらだち
七月になった。
現代に直すと八月の下旬から九月の上旬ぐらいになる。
だいぶ過ごしやすくなってきた。
七月に秋らしくなったと言うのも変な話だなぁと思うけど、旧暦だから現代とのずれもある。
ここ数日は、土方さんがあらぶっていた。
と言うのも、長州征伐に新選組が呼ばれず、しかも、幕府軍は長州軍に負けている。
日本国対現代で言う所の山口県との戦。
この規模が違いすぎるものが激突した戦は、日本が一つの県に負けてしまうと言う信じられない事態になった。
そんな中、黙って負けるのを見ていることしかできないのも辛いものだとわかるけど、ここであらぶっていても仕方ないと思うのだけど。
「ここに来る情報は悪いものばかりだっ!」
どうやら、長州方面から文がきたらしい。
「山崎さんの文ですか?」
長州方面からの文なら、山崎さんが書いた文だと思う。
山崎さんは無事なのだろうか?
「そうだ」
「山崎さんは無事なのですか?」
「無事だから、文を書いてきたのだろう」
「よかった」
長州の戦も激しいものだと思う。
幕府が負ける戦だから、幕府側についている山崎さんに危険が付きまとっていることだろう。
それでも、無事でいることが嬉しくてそうつぶやいたのだけど、そのつぶやきが土方さんの耳に入った。
「ちっともよくねぇよ。たかが長州に負けるなんて、幕府は何をしてやがるんだっ!」
再び荒ぶる土方さん。
「落ち着いてください。長州に負けることは、前に私が教えたからわかっていたことでしょう?」
土方さんも私が未来から来たことを知っている。
ばれたときに幕府は負けると教えた。
「確かにお前から教えてもらったさ。だがな、こんなひどい負け方をするとは思わなかったぞ。俺は今からでも長州に行きたいぐらいだ」
それは無理だと思うのですが。
土方さんは文机に向かって何かを書きはじめた。
「会津の容保公に直接頼みに行く」
それでも無理だと思うんだけど。
でも、無理って言ったら、それこそまた怒り狂いそうだから、黙って部屋を出た。
道場の方へ行ったら、こちらもあらぶっていた。
「いつ長州征伐へ行けるんだっ!」
そう言う声ともに、ブンブンと、素振りをする竹刀の音が聞こえてきた。
すごい大きな音だったので、大きく竹刀を振り回しているんだろう。
いったい誰なんだ?
道場をのぞいたら、永倉さんがブンブンと竹刀を振り回しながらあらぶっていた。
「命令が出ないのなら、俺一人で長州に行くぞっ!」
「新八が一人で長州へ行っても何もできないだろう」
原田さんが永倉さんの横で冷静にそう言っていた。
「でも、このまま京で幕府が負けるのを見ているのも腹が立つぞ」
「俺たちは、今は見ていることしかできないだろう」
原田さんは冷静だよなぁ。
「あ、蒼良。どうした?」
道場をのぞき込んでいた私に気がついた原田さんは、私に声をかけてきた。
「土方さんが長州に行けなくてイライラしているので、部屋を抜けてきました」
こういう時は、土方さんの近くにいないほうがいい。
とばっちりを受ける可能性があるからだ。
「蒼良も大変だな」
ポンッと軽くたたくように原田さんに頭をなでられた。
「土方さんの反応がまともなんだっ! お前たちはなんで長州に行きたいと思わないんだ?」
永倉さんがにらむように私たちを見ながら聞いてきた。
顔が怖いのですが……。
「そんな顔をして見るなよ。蒼良が怖がっているじゃないか」
原田さんが永倉さんの顔を軽くたたいた。
「うるせぇ。蒼良が女なら気を使ったが、男だろうが。男にそんなこと気を使ってどうなるんだっ!」
いや、一応女なのですが……。
それを言うわけにはいかないので黙っていた。
原田さんも心配そうに私の顔を見ていたけど、黙っていてくれた。
「俺は長州へ行って、長州軍相手に戦いたいぞ。そして勝ち戦にしたいぞっ! 其れなのに、ああ、それなのにっ!」
永倉さんは相当悔しいんだろう。
再びブンブンと竹刀を振り回し始めた。
「これは相手しないほうがいい。出よう」
原田さんに言われ、一緒に道場を出た。
「やっぱり、幕府は負けるのか?」
原田さんも私が未来から来たことを知っている。
幕府は勝ちますよと言えれば、どんなにいいだろう。
そんなことを言ったら、嘘つきになってしまう。
だから、コクンとうなずいた。
「そうか」
原田さんも少し悲しい顔でそう言った。
「新八は、しばらくほっておくか。ああいうときはほっといたほうがいいだろう」
下手に何か言っても、余計に永倉さんの怒りが大きくなるだけだろう。
「そうですね」
道場の方から、再びブンブンと竹刀を振り回す音が聞こえてきた。
「出かけるぞ」
そろそろ土方さんも落ち着いているだろうと思い、部屋に戻って来たら、そう言われた。
「どこへ行くのですか?」
なんとなく行先はわかるんだけど、聞いてみた。
「ついて来い」
やっぱりあそこかな?
そう思いながら、土方さんの後についていった。
やっぱり、着いたところは嵐山だった。
土方さんは何かあると必ずここに連れて来てくれる。
川を見ながら河川敷に腰を下ろした。
「紅葉はまだですね」
最近涼しくなったばかりだもんね。
紅葉はまだ先だろう。
夏のころより葉の色が黄緑色っぽくなったような感じがする木々をながめながら私が言うと、
「当たり前だろう。数日前まで夏だったんだぞ」
と、言われてしまった。
言い方が静かだったから、土方さんも気持ちが落ち着いたのかな?
「大丈夫ですか? 落ち着きましたか?」
土方さんをのぞき込んでそう言った。
「落ち着いてられるかっ!」
落ち着いてなかったのかっ!
「容保公に近藤さんが直接言いに行ったがな、あっさりだめだと言われた。こんな時ばかり新選組は蚊帳の外だ」
そう思う土方さんの気持ちも分かるけど……。
「仕方ないですよ。容保公にまでだめだと言われたら、もう何もできませんよ」
会津藩は、幕府中でも勢力が大きい方だろう。
その人にだめだと言われちゃったら、もうだめだろう。
しかも、歴史でも新選組は長州に行かない。
「仕方ないですんだらなんでも解決するだろうな」
それはどういう意味だ?
「お前みたいな考え方をしていたら、全部仕方ねぇですみそうだな」
そ、それはいくらなんでも言いすぎじゃないか?
ちょっとムッとした私。
「私はそう言う意味で言ったのではないのです。土方さんたちがどう動いたって、新選組は長州に行けませんよ。それなら、京でやるべき仕事をするべきじゃないですか?」
「京での仕事ってなんだ? 歌舞伎役者を護衛することか? 京で便利屋みたいな仕事をすることか?」
「京の平和を守ることじゃないですかっ!」
「そんなことをして何になるんだ?」
そんなことって……。
「土方さん、本気で言ってますか?」
そんなことと言われるようなことを私たちはしてきたのか?
「私は、そんなことって思ってないですよ。京の平和を守ることも長州と戦をすることと同じぐらい大事なことだと思って働いてきましたが、土方さんにとっては、そんなことなのですか?」
普段の土方さんなら、
「すまん、言い過ぎた」
と言ってくれるのだろうけど、この日の土方さんは違った。
「京の平和を守って何になるんだ? 京は平和すぎるぐらい平和だろうが」
確かにそうかもしれないけど、小さな事件はたくさんあるし、ガラの悪い浪人たちだってうろついているのだ。
「住んでいる人たちにとっては、平和だとは思えませんよっ! 逆に私たちが京に来たことによって、京の人たちの平和は無くなったかもしれないですね」
巡察していると、いまだに壬生浪と言われる。
京の人たちは、新選組より長州人の方が好きだから、私たちが来ると変な顔をして、
「早う江戸に帰ればええのに」
と言う人もいる。
それでも、京を守るのが仕事だと思っていたから、そんな言葉も無視して頑張ってきたのに。
「お前、今なんて言ったっ!」
土方さんが怒りだした。
「何回でも言ってやりますよっ! 私たちがいない方が京の人たちにとって平和なのかもしれないですよねっ!」
私は怒りと悲しみのあまりに立ち上がった。
「お前っ!」
土方さんも立ち上がった。
土方さんなんてっ!
「土方さんのばかっ! もう知らないですっ!」
立ち上がった土方さんを押した。
土方さんは軽く後ろに下がっただけだった。
土方さんがあんなことを言うなんて思わなかった。
今まで一生懸命私なりに頑張ってきたんだけどなぁ。
土方さんがうろたえていたすきに私は走りだった。
悲しみと怒りでどこをどう走っているのかわからなかったけど、川沿いをひたすら泣きながら走っていた。
どこをどう走っていたのだろう?
川沿いを走っていたから、そのまま上流の方へ来ただけなんだろう。
それにしても、普段の土方さんだったら、仕事のことをそんないい加減に言わないのに、それだけイライラしていると言う事なんだろう。
けど、あそこまで言われたら、私だって怒るぞっ!
ああ、イライラするっ!
「土方さんのばかっ!」
川に向かって思いっきり叫んだ。
石があったので、ついでに投げた。
少しだけスッとした。
これってストレス解消になるな。
「土方さんのあほんだらっ!」
そう叫んで石を投げる。
おお、これ、意外とすっきりするな。
*****
あいつが怒った顔を初めて見た。
あんな悲しそうな顔も初めて見た。
あいつが俺を押してからしばらく呆然とつっ立っていた。
しばらく一人になり、考えた。
俺は、なんてことを言ってしまったんだ。
一生懸命あいつが頑張っているのを見ていた。
失敗もあったけど、俺なりにあいつを認めて見つめていた。
それなのに、たった今、それを否定することを俺は言ってしまった。
長州に行きたくて、幕府が負けているのを黙って見ていることが出来ず、それでも俺たちにできることは黙って見ていることだけしかなく、イライラしていた。
ここ数日は腹が立って腹が立って仕方なかった。
しかし、それをあいつにぶつけることだけはしてはいけなかった。
今回は全面的に俺が悪い。
「謝りに行くか」
俺はそうつぶやいて立ち上がった。
あいつは、この川を上流に向かって走っていったから、このまま歩いて行けばいるだろう。
俺は上流に向かって歩き始めた。
*****
「土方さんのばかたれっ!」
私はそう叫んでまた石を投げた。
もういくつ石を投げたんだろう?
確かに石を投げた時はすっきりするけど、すぐに悲しくなる。
周りを見渡したら、もう夕方になっていた。
帰ろうかな。
嵐山から屯所までなら何とか帰れるだろう。
でも、最後にもう一回。
「土方さんのばかやろうっ!」
最後は思いっきり大声で叫んで大きな石を投げた。
「誰がばかやろうだって?」
あれ?今、土方さんの声がしなかったか?
「人が謝りに来たら……このばかやろう」
後ろを振り向いたら、土方さんがいた。
「な、なんでいるのですかっ!」
しかも、気配を消してなかったか?
「俺も色々考えて、お前に悪いことをしたと思い、謝りに来たんだ。それなのに、このばかやろう」
謝りに来たのに、怒ってないか?
「謝りに来たのですよね?」
改めて聞くと、土方さんが真面目な顔になった。
「さっきは言い過ぎた。悪かった」
土方さんが頭を下げた。
「いいですよ。私も冷静になれずむきになってしまって、すみませんでした」
私も頭を下げた。
「今日は泊まっていくか。もう夕方だしな」
確かに、もう夕方だ。
今から屯所へ向かって歩いたら、真っ暗になってしまう。
「せっかくだから、美味しいものでも食べましょう」
私が行ったら、土方さんも
「そうだな」
と、同調してくれた。
「そして美味しいお酒を飲んで……」
楽しみだぁ。
「酒はだめだっ!」
な、なんでだ?
「さっき、悪かったって謝ってくれたじゃないですか。謝罪の意味も込めて、今日はお酒を解禁しましょうよ」
「さっきの話と酒の話は関係ないだろう」
「いや、私にとっては関係ありますから」
「いや、関係ねぇ」
そ、そうなのか?
「美味しいものは食べるが、酒はだめだ。わかったなっ!」
ここではむかったら、美味しいものまで却下されてしまう可能性がある。
「わかりました」
こっそり、土方さんに分からないように飲んでやるっ!




