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遙かなるユイス・ゼーランドの軌跡  作者: 乾 隆文
第二章 第十三節 シーラの憂鬱
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2-13-7.「だ、……誰がにゃんごろ……――」







「そういやあんた、宗旨替えしたんだって?」


 ぼんやりと、カップを軽く揺らしながら、ミディアがふと話を振ってきた。


 翌日――というかその日の夕方。場所は食堂。例によって四人揃って日暮れ時の朝食を取り、一息ついてからそれぞれどう動くかを考えようという時間。いや、シーラとゼノンはもうグァルダードへ向けて動き出し、何となく残った俺とミディアがまたしても二人で席に残っていた、そんな状況だった。


「何の話だよ」


 膨れた腹を撫でながら、聞く。


 ミディアは食事代わりの一杯の香茶を大事そうに両手の平で抱えながら。


「あれだけ、本命が国にいるから浮気はしないってうだうだ騒いでたのにさ。やっぱ近くにいて、情がふつふつ湧いちゃったわけ?」


「は?」


「そうなってくれるんならいろいろ話が早いわよね。恋愛相談の相手なんてガラじゃないもん私。あんたがぴしゃっと腹を括ってくれたんだったら、無責任なこといっぱい言えるわ」


「だ、だからなんの話だよ! 俺が腹括るって、いったいどういう――」


「だぁからさ。あんたがシーラとくっつくって話よ」


 眠そうな目でにんまりと笑うミディア。


 何を言っているんだコイツは。茶の一杯もそろそろ飲み終わりそうだってのに、今日はまだ寝惚けてやがるのか。


「なんで突然そんな話に……。何度も言ってるだろ、それは絶対ない」


「え。でもあんた、シーラが悩んでるのに気付いた上で励ましにいったんでしょ?」


「おう、それはな。けど、それとこれとは関係ないだろ?」細い目で眉間に皺を寄せるミディアに、拳を握り机に乗せて力説する。「俺は仲間としてあいつを励ましてやりたかったんだ。うまくいかなかったけどさ」


 ミディアの目を見つめ、真剣に俺の思いを伝えたつもりだった。茶化されるなんて心外だ。ミディアや、ゼノンが俺たちのことをどう思ってるかは知らないけど、少なくとも俺にとっちゃシーラも、二人のことも、奇妙な縁が結んだ、けど大事な仲間なんだ。


 その想いが伝わっている手応えはなかった。ミディアは今度は眠気を吹き飛ばしたとでも言うように、両の目を丸く見開いてこっちを見つめている。


「……あんた、それ、本気で言ってる?」


「ああ、本気だよ。お前こそあいつのこと、仲間だと思ってくれてないのか? 故郷や長く一緒だった根城のみんなを失って、気を落としてたシーラのことを、支えてやろうって気持ちはホントに欠片もないのか?」


「あー……」


 ミディアは額を押さえ、片目を瞑ってもう片方の目で俺を斜めに見た。


「あのさ。あの子、別に根城が潰されたことで落ち込んでたわけじゃないわよ?」


 ミディアの言葉を、瞬時には理解できなかった。


 ひとつ息を吐いて、それから吸って。頭の中にその言葉を広く浸透させて。それから。


「はぁっ?」


 声が跳ねた。背中を、針で刺されたように。


「え……、いや、嘘だろ?」


「本当の本心までは知らないけど……。私があれに相談されたのは、あんたのことよ。あんたが国に帰るって言い出したらどうしよう、ってね」


 ふう、と鼻から溜息一つ。どうやら呆れられているらしい。けど、まだ俺はミディアの話がよく理解できてない。


「なんで俺のことなんか」


「そりゃ、――わかってんでしょ? あんたももう」


 睨まれて、黙る。


 わかってはいる、もちろん。でも正直そんなことが、今のあいつの一番の悩みだなんて。


「まぁ私も気になりはしたからさ、一応聞いてみたんだけどね。『そりゃ悔しいは悔しいよ。でも盗賊同士だもん。みんな力不足で負けた。だから、今度はあたしたちが力を付けてあいつらを殺してやる。そんだけよ』とか何とか言ってたわ」


 なんだよそれ……。


 いつかあいつが言っていた言葉が、耳の奥に蘇ってくる。『あたしは“いま”にしか興味ない。過去なんてどうでもいいの』。そりゃ確かにあいつはそう言ってたけど、まさかそこまで文字通りの信念を貫けるなんて。あいつ、やっぱり感覚おかしいよ。肩を落とし気味に、心中呟いた。


 あれ、でも待てよ。あいつの言葉は、更に続いていたような。


「でまぁ、今朝方あんたと出掛けた後、『ウェルに励ましてもらって元気出た! うじうじ悩んでたってしょうがないね。いなくなったらって考えてる間に、さっさと射止めること考えることにする。未来なんて、あたしがどうとだって変えてやるんだ!』って言い出してね。まぁ随分不遜な奴だなとは思ったけど、元気になったんならいいかと思って、何も言わないでおいてやったわ。その後は今までを取り戻す勢いでぐぅぐぅ寝てたし」


 あぁ、それだ。過去なんてどうでもいい、未来なんてどうにでもなる。それがあいつの信条だった。


「あの子から相談受けたけど、恋愛相談なんて柄でもないし、何よりあんたにその気がないのも知ってたから何にも言ってあげらんなかったのよね。正直、何で私にって感じよ。

 でもあんたが宗旨替えしたんなら私も随分気が楽になるなぁ、って思ったんだけど」


「じょ……っ、冗談じゃないっ! 心変わりなんてしてないよ! 俺はあくまで仲間としてシーラを心配してただけで――っ!」


「そうみたいね」香茶の最後をぐいと飲み干し。「でもま、そっから先には私も興味ないわ。とりあえず、同室の奴が元気にすくすく寝起きしてるんだったら気掛かりもないし。後はあんたたちの問題ってことで、好きなだけ浮気でもにゃんごろでもすればいいやね」


「だ、……誰がにゃんごろ……――」


「ちょっとウェルーっ?」


 腹の裡に蟠る焦燥の処理方法に戸惑い、声を震わせていたところ。店の入り口辺りから、大きな声で名を呼ばれ、更に体を強張らせてしまった。


「ねぇいつまで座ってんのさ、グァルダードで待ち合わせって言ったじゃない!」


 店の入り口で聞こえたはずの声は、一瞬で俺の背中のすぐ後ろに移動していて、さらに次の瞬間には背中にへばりついていた。


「レマがおすすめの仕事厳選してくれてるってさ。早く行こ」


「さっさと行かねーと、取られちまうってよ」


 ゼノンもいた。


 っていうか首痛い。そして、暑い。


「え。ゼノンは別の仕事こなしてくれるんでしょ?」


「は? 何でだよ」


「そこは気ぃ使ってよ! あたしとウェルを二人きりにしてあげようじゃないか、くらいの!」


「バカか、盗賊の仕事はガキの遊びじゃねーんだぞ」


「あ、じゃあ部屋代わって! あたしウェルと同じ部屋で寝たい! 代わってくれるなら、仕事にはついてきてもいいよ」


「部屋決めてもう十日も経ってんだろ。今頃何言ってんだコイツ!」


 ぎゃあぎゃあと、人の背中で騒ぎ立てる二人。その雰囲気は、確かにここ一か月ほど聞かれなかった空気だった。そうか。確かにシーラは、ここんとこずっと元気がなかったんだな。顔を上げれば、正面のミディアも呆れたような笑みを浮かべている。


 まぁ、励ましが効いたなら何よりだ。後顧の憂いを残しちゃった気もするけど。


 ミディアに続いて、俺も大きな溜息を一つ深々と吐き。


「とりあえず、シーラ重い。どいて」


「ちょ……っ。乙女に向かってなんてこと言うのさぁ!」


 怒る顔にも、笑みが浮かんでいた。




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