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遙かなるユイス・ゼーランドの軌跡  作者: 乾 隆文
第二章 第十三節 シーラの憂鬱
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2-13-5.「ああ、都会は怖いなぁ」







 シーラの機嫌は、すこぶる悪かった。


 最初からこんな、熟れ過ぎたトマトみたいに頬を膨らまして黙り込んでたわけじゃない。仕事に付き合ってくれないかって誘ったときには、にこにこ笑って二つ返事で、鼻歌交じりに準備を整えてくれたんだ。


 マウラと合流して軽く挨拶を交わした、その辺りからシーラの眉間に皺が寄った。


 そしていよいよ出発しようという頃には、もう破裂しそうな頬をしていたんだ。


 うん、まぁ、理由は想像がつく。


「やぁもう、私今日は久々によく眠れましたよぉ。ウェルさんみたいに頼もしいグァルディオンさんに護衛を請け負ってもらえたらもう! 心配事がみんななくなっちゃいました。ありがとうございますほんと」


 俺の腕に抱き着き、胸を擦りつけ、わざとらしくくっついてくるマウラ。


「やっぱり逞しい腕してますよねぇ。わ、胸板もすごい! こんな体見せ付けたら、あいつらも震え上がってすぐ逃げ出しちゃいますよ!」


 俺の腕を手で擦り、俺の胸をペタペタと手の平で触って、お世辞を振り撒くマウラ。


「あ、それでその、私、持っていた駱駝が突然足を折っちゃって。あんまり急すぎて、代わりの駱駝が用意できなかったんですよぉ。すみませんけど、ウェルさん一緒に乗せていってくださいませぇん?」


 俺の目の前で両手を合わせ、うるうると目を滲ませて嘘泣きじみた表情まで作るマウラ。


 溜息交じりに全てに頷き返していると、俺の後ろにマウラを乗せ、さあと駱駝に前脚を持ち上げさせた頃には、我慢の限界に接近しているこのシーラの膨れ面が完成していた。


 それでもよくここまで我慢していると思う。以前のシーラなら、ここまで溜め込むことはなかった。そもそもマウラの態度が大概だ。「ちょっとあんた、ふざけんのもいい加減にしてよね」と、早速怒鳴り付けて威嚇するのが彼女らしさだったと思う。


 やっぱり、元気がないのは本当なのかもしれないなぁ。


 とか、仕事の進捗がどうとかよりも、今日はシーラの様子が気になるんだけども。後ろのマウラ、わざとらしく胸を背中に押し付けないでほしいなぁ。いろんな意味で集中力が殺がれる……。


 シーラの表情を探りながら、マウラのお世辞を躱しながら胸の押し付けに耐えながら、はっきり言って護衛の仕事としては最悪の精神状態でそれでも砂漠をずんずん進んでいくと、あっという間に目的地に辿り着いてしまった。


 ハルクシュタードの大岩。固い乾いた足場の岩砂漠。ごろごろと大きな岩が転がる中で、特に一つ、俺の背の三倍はある大きな岩が、目の前に鎮座している。初めて見るけど、名前が付くほどの岩なら、多分これだろう。


「……着いたよ」


 低い静かな声で、シーラが呟いた。


 おうと答え、駱駝から降りる。あぁ、待ってくださいよぉ。マウラが甘えた声で続き、着地に少しよろけて俺の腕を掴んだ。多分、わざとだ。


「敵襲なんて、何にもなかったな」


 ありがとうございましたぁ、とふやけた声で礼を言うマウラを無視し、言ちる。


「ふふ、やっぱりウェルさんの迫力に圧倒されて、連中手出しできなくなっちゃったんですよぉ」


「まぁ、いいけど」


 べたべたと引っ付いてくるマウラは嬉しそうだけど、俺は正直微妙だった。シーラの気晴らしにはこれっぽっちもならなかったし、俺も少しは剣を振るいたかったんだ。


「じゃあ、仕事はここまでね! さっさと支払いをしてくれる?」


 駱駝を降りてつかつかと迫り、マウラに手を伸ばすシーラ。今回は支払いは現地で成功後、という約束だった。


 ところが。


「えー、でも、もう少しお願いできませんかぁ? だってあたしがこの後お世話になる予定の方々、まだ来てないみたいなんですよ」


 くねくねしながらマウラ、そんなことを言い出す。肩をいからせふうふうぅと息を荒くするシーラに代わり、俺が返事をした。


「……悪いけど、ここまで連れてくるのが依頼内容だったはずだ。護衛の期限延長をご希望なら再度支払額の設定を――、と言いたいとこだけど、いくら積まれてもこれ以上付き合う気はないよ」


「えぇー? そんな冷たいこと言わないでくださいよぉ。ウェルさんだけでいいですから、ね? もう一度真剣に考えてくれません? 期限延長、明日からもずっと。支払いはあたしの心とカ、ラ、ダ。ね、ね? どぉかな?」


 もうやめてくれ。これ以上はシーラを抑えきれない。


「論外だ。ここまでの分を早く支払ってくれないと、グァルダードに契約違反報告をしなければならなくなる」


 俺の肩に手を回して流し目を向けてくるマウラに、背中の剣柄に手を伸ばしながら冷たい声を向ける。言葉の警告はこれが最後。意図はしっかりと伝わったらしい。ついに俺の体から離れたマウラは、今度はあからさまな舌打ちを一つ。表情をぐしゃりと豹変させ、両手を腰に当てて。


「調子乗ってンじゃねーよっ! クソ童貞がよォ!」


 ついでに口調も豹変させて、罵声を浴びせてきた。


 それを合図に、岩の影から次々と人影が姿を現してきた。俺とシーラを取り囲むようにした、その数は七。……見える限りで。どいつもこいつも、剣やら弓やら物騒なものを携えて、にやにやと口許を緩ませている。


「なんだよマウラ。お前の美貌に魅了された青二才の組合員がいるんじゃなかったのか? 見たとこそいつ、お前のことなんか見てねーじゃんか」


「けっけっ。『あっさり骨抜きにしてあたしの奴隷にしてやるわ、あんたたちに仕事なんて残さないから、見てらっしゃい』って息巻いてやがったのになぁ」


 正面に立つ、髭とハゲとが嬉しそうにマウラを揶揄した。マウラは俺のすぐ傍で深く溜息を吐きながら、二人の言葉にまた舌打ちする。


 ああ、まぁ、要するに、最初っからまるごと罠だったわけだ。昨夜一人で酒飲んでた俺に声をかけた段階から。いきなりこんな問題案件にぶち当たるなんて、都会は怖いなぁ。穏やかだったベイクードのグァルダードが懐かしいや。


 ってそんなこと言ってる場合じゃないよ! こんな下らない用件にシーラを巻き込んじゃったんだ。あとでメチャクチャ怒鳴られるぞ、これ。


 下品に笑う髭とハゲに、マウラはひとつ地面に唾を吐き捨て。


「うっせーな。コイツの女の趣味が悪すぎんだ。あたしのせいじゃねー」


「あ?」


 その言葉に、シーラが爆発した。


 それはもう、今まで彼女が、少なくとも俺の前では一度も見せたことのない程の、激しい怒りだった。ああもう、ただでさえ怒鳴られ案件なのに、これ以上薪をくべないでくれ。


「いやいや、なかなかいい趣味してると思うぜ? マウラより若いし、胸もあるし。何なら俺が犯してやりてぇくらいだ」


「そういうのはもらうもんもらってからにしようぜ。ま、どうせ剥くんだからついでにヤっちまったって構わねぇだろうけどさ。演技が下手なマウラにも最近飽きてきたとこだし――」


「ちょっとっ、それどういう――」


 髭の男の挑発的な言葉。そしてそれに反応して怒鳴ったマウラの言葉。どっちも最後まで紡がれることはなかった。


 激しい旋風が、大人の背丈ほどの高さで、俺とシーラとマウラと、七人の男たちの全員を閉じ込めるように走り始めた。


「な、……な」


 マウラが、驚愕に喉を震わせる。男どもの顔からは笑みが失せ、冷たい汗を額に浮かべながら、状況の把握に神経を使っている。


「ウェルっ!」


 シーラが俺の名を呼び、呼ぶと同時に地を蹴った。


 はいわかりましたと心中で敬礼し、シーラと背中合わせの方向に飛んで、剣を抜く。


 目の前の敵に脅威は欠片もない。うん。シーラに呼ばれた一声の、千分の一ほども脅威を感じていなかった。




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