2-13-3.「つくづく、ミルレンダインには余裕があった」
壁伝いにぐるりと回り、歓楽街へ向かう。
夜中の二時過ぎだというのに、――いや二時過ぎだからこそ、人の姿が随分と多い。気怠さの漂う深夜の町。俺は一人、食事処の隅の席に座って穀物酒を一杯もらうことにした。
一人静かに酒を楽しむ飲み方は、この街で覚えた。周囲は全然静かじゃないけども、そういう酔っ払い共の濁声や哄笑や、酒のグラスが机を強く叩く音や。そう言ったものを眺めながら考えごとに耽りながら、ちびちびと酒を飲むのもなんだか楽しかった。
酒の味自体はいまだにそこまで好きなわけでもないんだけれど、ほろと酔う感覚は悪くない。
それに、この辺りの雰囲気は、ざっかけなくて結構居心地がいい。
治安がいいとはとても言えない。今もすぐそこから怒鳴り声が聞こえてくるし。正直自分でも、こんな風景に居心地の良さを感じちゃってる自分にびっくりしているくらいだけども。
女々しいようだけど、多分どこかに、ミルレンダインに近い雰囲気を感じ取っているのかもしれない。
思うに、町の正面の退廃区がいけない。
あからさまな生活格差に、街に着いてすぐは俺も戸惑い、憤りさえ感じていた。セラムの街の出口を通るたび、シーラになぜと問い、ゼノンに不満を漏らし、ミディアに愚痴を零した。「うるさいなぁ。そんなのこの街の偉い人に聞きなさいよ」とはミディアの苦言。よしそうしてやろう、何なら意見してやろう。そう思った瞬間も、確かにあった。
真面目に答えてくれたのは、ゼノンだった。「まぁ俺も、グァルダードのお偉い連中が壁の内側に引き籠ってふんぞり返ってんのはイラっとすんだけどよ」。前置きしながらも、ライトラールのことを教えてくれた。
「あの退廃区があんななのは、あそこで腐ってるクズどものせいだろうな。
生きる気がある奴ぁ、こんなとこで干からびる前に身を寄せる盗賊団を探したり、商人の通るオアシスに拠点を移したりするもんだ。なんだかんだ護衛代をケチったりするバカ商人はいるからな」
じゃあなんで、連中は退廃区から動かないんだ? 聞くと、思いがけず生魚の肝を口に入れてしまった、というように顔を顰めて首を横に振った。
「聞いた限りの話だけどよ。剣も魔法も使えない連中が、食える草をテメーで探しに行こうとさえしないで、餌をよこせって口開けて待ってるらしいぜ」
「待ってれば誰かくれる人がいるのか?」
「もらえなきゃ、ああやって裏手の店辺りで生ごみ拾ってくるんだろ。奴らの詳しい事情なんか知らねぇよ。ただ俺は、自分で生きようって気がさらさらねぇクズどもなんだろうなって思ってるよ」
つまんない話はそろそろ切り上げたい。顔を歪めるゼノンからそんな空気を察したので、それ以上は何も聞き返さなかった。
結局ハルトスにも話を振る機会があった。もちろん、何某か意見しに行ったわけじゃない。調子はそうだと雑談をしに来てくれた際、ゼノンの見解についてどう思うかと世間話に聞いてみたんだ。
「彼らはほとんどみんな、他所の国からの渡航者なんだ。商売で一旗揚げようと考えて砂漠にやってきて、国に帰ることもできないくらいに失敗して、ああなってる。
彼らはみんな、砂漠のやり方を心底からは理解してない。母国の常識を捨てきれず、『執政者は貧困層を救うべきだ』って考えを持ち続けて、あそこにいるらしいんだ。この国は力があれば何でもできる。けど力がなきゃ何にもできない。自分で立ち上がらない奴に手を差し伸べる人間はいない。それが嫌なら、そもそもこの国に来ないでほしいんだよなぁ」
溜息交じりに、ハルトスは笑った。
なるほどなと思う。
家もない、食べるものもない貧しい人たち。自分の住んでいた町にはいなかったので、俺は今まで、そんな人たちをティリルが読んでいた本の挿絵でしか知らなかった。
この街で実際にそんな人たちを見て、自分が抱いた思い。それからこの国で育ったゼノンやハルトスが彼らに向ける感情。その二つは、大分違った。力があれば何でもできる国では、力がなかろうが何もしない人たちの価値は認められない。不条理で乱暴な納得感が、俺の中にも生まれ始めていて、戸惑った。
そんな戸惑いが面倒なんだろう。壁の内側のセラムも、ライトラールの退廃区も、だからなんとなく居心地が悪い。屈託の少ないこの壁の外の歓楽街が落ち着くのは、そういう理由だろう、と思っている。
つくづくミルレンダインは、得難い、この砂漠には有難い場所だったんだなぁ。
あの場所には余裕があった。毎日を笑って生き、客人を喜んで受け入れもてなす余裕が。
例えばヴォルハッドが、グァルダードのやり方に反発し、退廃区のような場所を根絶しようと考えているなら、その理想はわからなくもない。けどもしそうだとしたら、あの得難い場所を潰した奴らと、やっぱり俺は相容れることは絶対にできない。改めて思った。
ああ、そうさ。おじさんだって絶対に、あのミルレンダインに奇襲をかけ、戦えない者も関係なく斬り伏せていった、あの野盗どもに共感なんてするはずがない。
目の前の町の荒廃具合から思いを広げた俺は、最終的に自分を慰めるような思考に辿り着いて、留飲を下げた。
一口、酒を舐める。まだグラスの中身は半分以上ある。あそこでは毎晩飲まされてすっかり酒に強くなった気がしてたけど、一人で飲んでても全然減らないな。シーラを酒に誘うのはどうだろうか。
あんまり建設的じゃないな、と掲げた案に自嘲していると。
「すみません、今お時間ありますか?」
声をかけられ、その方を向く。
すぐ隣に、若い女性が立っていた。薄墨色の長い髪。すらりと高い鼻に垂れがちな緑の瞳。細い手足にメリハリのある体。着ている服も大きな胸とくびれた腰を強調するような、
胸許の開いたピンク色のドレス。手に、赤い果実酒が満たされたグラスを持っている。
若いって言っても、多分俺やシーラより年上だ。ミディアよりは若いと思うけど。うん。
「もしよかったら、少し相談に乗ってもらえませんか?」
「相談?」
なんで見ず知らずの俺に? 反射的に、聞き返した。
女性はすっと顔を近付け、俺の耳許で喉を転がし。
「……お兄さん、腕利きの組合員なんでしょお?」
蕩ける声で、耳打ちしてきた。




