2-12-5.「とにかく、強くなろう」
起きた時には、翌日の夕方だった。
十二時間以上も寝てしまったらしい。何もかもこのふかふかの寝具がいけない。責任転嫁してから、のっそりと足を床につけた。
ゼノンはいなかった。どこかへ出かけているのか。
隣室からは、扉二枚を隔ててもミディアの鼾は微かに届いてきた。
シーラはわからない。内側の扉の、向こうからの鍵はかかっていなかったと思うけど、わざわざ見に行くこともないだろう。
なんとなく、俺も外に出てみることにした。
宿の外に出ることもできたが、どうやら屋上にも上れる。上から街を眺めてみるのもよいかと、部屋を出た俺は、油断しきった草食動物みたいな足取りで、のそのそ階段を上ってみた。
空は、橙色に染まっていた。
セラムの街は、さほど広くはない。昨日見た、大きなオアシスが中央に静かに座り、その周囲には小さな屋台がいくつも立ち並ぶ。泉自体は木の柵でしっかりと囲われていて、三か所か、……四か所かな、ある水汲み場からしか入れない。
屋台群の外側にぐるりと環状に大きな通りがあり、更にその周りに、砂色の煉瓦造りの建物が立ち並ぶ。どこも一階と屋上か、せいぜい二階建ての建物。背は低いけど横には広く、複数の人間が出入りする広い入り口ばかりの印象で、個人の家はあまり見当たらなかった。
ちょうど正面辺り、昨日行ったライトラールの繁華街辺りに、少し背の高い建物がいくつか見えた。このグァルダード本部と同じくらい、四階か、五階建てくらいか。何か重要な役割を持った建物なのかもしれない。また時間ができたら見に行ってみることにしよう。
ともあれ、セラムの領地はその辺りで終わる。建物群の向こうに、例の壁がちらちらと垣間見え。その外側には昨日歩いた退廃区。更にその外には砂漠が広がる。
異国情緒も極まったなぁと、乾いた風に頬を撫でさせながらぼんやり考える。
ほんの数か月前には、家の自室でベッドに転がりながらまだ見ぬ世界を夢見ていたというのに、今となってはあの生活の方が遠く感じられる。
そう言えば、風が涼しい。日はもう地平線に半分以上隠れてるとはいえ、まだまだ砂漠の夕刻。乾季のベイクードだったら、暖かい潮風が街を撫でている頃だろうに。
この辺りは、ベイクードや東岸線とは違い、驟雨は降らないって聞いた。雨季がないことが、涼しいことに繋がっているんだろうか。それとも、目の前のオアシスが涼風を生んでいるのだろうか。どの考えも、あんまり自分を納得させられるものじゃなかった。
やがて日が沈む。見上げれば一面の星空。一方、眼下の景色にも松明の炎が灯されて眩い。
道を往来する人の動きは活発で、起き抜けの街の様子はない。この街は夜型じゃないのか。ぼんやり眺めているだけでも、いろいろな発見があって面白い。
ミルレンダインの集落を、こうやって、岩の上からのんびり眺めてみたかったな。少しだけ、後悔に似た感情が湧いて驚いた。何度あの日々をやり直してみても、きっと、忙しなくシーラに追われ、他の連中に酒に誘われて、そんな時間は見付からなかっただろうに。それでよかったんだと、納得できているのに。
後悔することであの場所が幸せだったと噛み締めるなんて、不思議な感覚だった。
ふと、心に影が差した。
俺は、ヴォルハッドを敵と見做して、今ここにいる。けど、もし一連の出来事を、当事者としてではなく離れたところから眺めていたら、俺はどう感じていただろう。ミルレンダインの連中とも、シーラとも、出会っていなかったら。
盗賊同士の争い、潰し合いは砂漠の常だと聞いた。少なくとも、俺の中には砂漠に対するそんな先入観があった。ミルレンダインに奇襲を仕掛けて壊滅させたヴォルハッド。それだけの話だったら、彼らを悪とも、嫌いだとも思わなかったのではないか。
ヴォルハッドが俺にとって敵なのは、シーラやマウファドが大切な友だからだ。違う出会いを重ねていれば、また違った立場の選択もある。おじさんが、俺の敵の味方になることだって、当然ありうるわけだ。
…………、もしそんなことになったら、ティリルはどう思うだろう。
俺とおじさんが殺し合うことになったら、ティリルは何と言って泣くだろう。
子供の頃から何度も見た、あの泣き虫の涙。もう二度と流させないために、俺は強くなると誓ったんだ。俺が、あいつを泣かせることになるなんて、そんなのは耐えられない。
ぼんやりと眺め続けている、街の様子に目を向けた。人々は忙しなく、しかし変哲のない日常を大切に、動き回っている。
ミルレンダインが燃えた火を、思い出す。
奴らはどうやら、組合をも敵と定めた。奴らを進ませれば、いずれこの街も炎に包まれる。
おじさんが、そんな連中のやり方を受け入れるはずがない。俺とは立場を違えたとしても、ヴォルハッドのやりように賛同するわけがない。
生じた惑いを飲み込んで、ぐっと拳を握る。
――とにかく、強くなろう。
迷わなくなるには、きっと、それしかない。
食事を取ってから、組合員証を受け取りにグァルダードへ向かった。
宿に併設して、食事処があった。ベイクードやサリアの料理屋と同じく、いくつも並んだ品揃えから好きなものを注文して作ってもらう形式。今日は兎肉のスープを頼んだけど、不思議なことに、昨日のライトラールの店の方が美味しかった。他のみんなも同じ感想のようだった。
セラム側から入るグァルダードの受付、ここもまた、とても整った見た目だった。多分大理石とかなんかそういうしっかりした素材で覆われた壁と床。床一面はさらに大きく赤い絨毯で覆われ、どこを歩いても足の裏が柔らかい。
壁に小さな傷がいっぱいついているのは、客側の使い方の問題だろう。それでも、できるだけ目立たないように削られたり隠されたり、手は施されている。
「本日はどういったご用件でしょうか」
受付は三か所。女性が二人、男性が一人、にこやかに客の対応をしている。
そもそもの見た目が清潔感溢れる印象で、笑顔も声音も人を寄せ付ける。耳に入ってくる話の限りで、どうやら仕事の説明もとても細やかだ。
「なんなんだコイツら、気色悪い声出しやがって」
ゼノンが聞こえよがしに舌打ちした。
大きくて立派な店の店員なら、こういう対応は普通だ。俺の中の感覚に対し、普段砂漠を走り回ってる奴はそんな風に感じるのか。俺にはゼノンの反応が新鮮だった。




