2-9-8.「頬を濡らしたのは、雨粒だった」
「――待ちなさい」
ぴんと張られた弦のような声。シーラ。
四人が視線をこちらによこす。やばい俺の方がブルってる。シーラを守るためにここに立ったって言うのに。
「お前ら、いいからもう砂漠の隅をこそついてろって、俺様の話聞いてなかったのか?」
「お知り合いですか?」
「そこの髭、それの娘だよ。ミルレンディアの次期頭領とかいう」
ほぉ、と他の三人の目の色が変わった。
シーラは怯まない。じっと敵を睨み付け、殺すなら殺せ、でもただで死んでやるものか。満面で吠えている。
「ははぁ、いいなその目。顔だけ残してズダズダに切り裂いてやりたくなる」
年嵩の、背の低い男が、べろんと上唇を舐めた。シーラをそんな風に見る、それだけでも十分気色悪いんだけど、なんだか男の目はむしろ俺を見ているような気もしてきて、背中から腰の辺りに悪寒が走った。
シーラとマウファドの体を庇って、その前に立ち臨戦態勢を取る。ヤバいヤバいと頭の中が警鐘を鳴らし続けている。逃げろと、この場を離れろと。本能の叫びだが、聞くわけにはいかない。
あーくそ。何やってんだろ、俺……。
俺の構えた切っ先から一メトリほどのところで立ち止まる。剣はまだ腰に収められたまま。まるで子供扱いだ。
「ヴォルハッド首領、ガゼルダ。ガゼルダ・ギルティス=ゴルディアックだ」
唐突に、名乗りを寄越した。
子供扱いかと思ったが、どういうつもりか。俺か、……あるいはシーラを、認める何かがあったのか。
「――ミルレンダイン頭領マウファドの実子。……シーラよ。シーラ・リュスタル=ミルレンディア」
「……ウェル・オレンジだ」
ふぅん。――顎を持ち上げ、喉を鳴らす。
「全てを失って尚戦意を失わない、シーラ殿に敬意を表して名を預けた。今は見逃してやるよ。いつか、お前の父親と故郷の仇である俺たちの首を追ってきな。四肢と首を切り刻むのはそのときにしてやるよ」
はーはははっ、呵々大笑。踵を返し、男――ガゼルダは俺達から去ろうとした。
「待て!」声を上げる。ピタリと、武骨なその足が止まった。
「お前たちの目的はなんだっ? なんのために、ここを襲ったっ?」
男の背中から、僅かに殺気が立ち昇ったような気がした。
愚問だと、その背中が答えている。それでも、言葉は届けてくれた。
「ミルレンダインを潰した。その事実を得るためだ。
これから他のトコも全部潰してやるよ。名前を掲げて粋がってる、全ての盗賊団をな。それから、俺たちに怨みを抱いて刃を向けてくる奴らも全員狩ってやる。楽しみにしてな。向こう千年、タミア砂漠はヴォルハッドのものになるんだ」
言い捨てて、ガゼルダはまた足を動かし始めた。
他の三人と合流し、また勝手な声を交わし合う。
「このオッサンの趣味にも困ったもんだぜホント」
「ガゼルダ様のご判断なら、私は異存ありません」
「がっはっは、お前らだって咎める気ねーじゃねーか」
腕を、汗が走り落ちていく。
その会話を前にしながら、俺は結局最後まで、構えた剣を振り翳す覚悟が決められなかった。敵が、見逃してくれた。無様なことに、そのことに安堵さえ抱いていた。
「あ」
誰かが声を上げた。体が強張る。声の主は、何かに気が付いたようにもう一度振り返って笑みを浮かべる。銃使いだった。
「やっぱ来てくれたンだ、オネーサン! これちゃんと大事に取っとくからネ! 待ってるよォ!」
左手に茶色い鞄を掲げながら、子供のように右手をぶんぶん振る銃使い。その視線は俺達じゃなく、後ろ。恐らくはここまで出てこられていないミディアに向けて、めちゃくちゃ愛想を振りまいている。
「あーっ、やっぱりあんた……っ! 返しなさい! 日誌だけでいいから返しなさいよ!」
叫ぶミディアは、だけど動き出す気配はない。求める日誌が目の前にあっても、この状況では何もできない。
最後まで両手を振りながら後ろ向きで歩いていた銃使いがついに夜闇に姿を消して、辺りからは完全に人の気配がなくなった。
「……おい」
ゼノンとミディアが、ようやく、小走りに近寄ってくる。
ミディアはともかく、ゼノンまで飛び出してこなかったのは意外だったけど、恐らくゼノンもあの四人を前に慎重になったんだろう。本人は悔しそうな、恥ずかしそうな苦虫顔をしているけど、俺はその判断は間違ってなかったって思う。
シーラを守るためマウファドに駆け寄ってから、内心で震えながら後悔してた俺の方が、ずっとカッコ悪かった。
「……やっぱりアイツが取ってったのね。クソ、クソ、クソッ!」
ミディアが拳を握って悔しがる。
何もできないまま敵を逃がしてしまった。その沈痛な想いは俺も一緒だった。
「……まさか、マウファドが殺られるとはな……」
ゼノンの言葉に、シーラがびくりと肩を震わせた。
シーラは俯いたまま。うつ伏せのマウファドの体に縋りついて、顔を落したまま。先程までは嗚咽も漏らせず、じっと固まっていた。連中が気配を消してから、ようやく、体を動かしたんだ。
かける言葉は、見つからない。
俺自身、蹲って自己嫌悪に浸りたい気分だった。
そうさせてくれないのは、マウファドの、最期の言葉。
『あいつが、一人で立てるまででいい、傍にいてやって欲しいんだ』
遺言になるなんて思いもしなかったけど、ひょっとしたら、マウファドは何かを予感していたのかもしれない。思い返してみれば、もらった言葉はそう受け取れるものだった。
ぽつりと。
頬を濡らしたのは、雨粒だった。
やがて、体を押し潰すほどに強く激しく降り出した豪雨。
「……そうか。この辺りは、驟雨が降るのか」
ゼノンが呟く。
雨季の始まりだった。




