2-9-7.「よし、追おう」
「そんなことより、あの男もヴォルハッドの一員なの?」
声を震わせ、シーラが聞いた。声量の調節がうまくできていなくて、ミディアに怒鳴り付けるような大声を向けてしまっていた。わざとじゃない、俺はわかった。ミディアはどう受け取ったろうか。
「あいつが何なのかなんて、私はこれっぽっちも知らない。名前も、どっから来たのかも」
「ヴォルハッドってなんだよ。聞いたこともねーぞ」
ミディアが、ゼノンがそれぞれ答えた。
「あたしも初めて聞いたんだけど……」
「俺らも向こうで、別の男と戦ってきた。マウファドより体格のでかい、武闘派の男。そいつが、ヴォルハッドを名乗ってた。目的はよくわからなかった。そいつ自身は『自分の子分を増やしたい』みたいなことを言ってたけど、盗賊団として何のためにここを襲撃したのか……」
説明する。ゼノンがぶつぶつと、腕組みしながら何やら考え始めた。
「新興勢力が調子に乗ってんのか……? にしてもそれなりの実力はあるらしいな……」
「多分ね。あたしたちが戦った大柄の男と、今の変質者が特に強いっぽい」
ゼノンの独り言に、シーラが相槌を打つ。
「いや」そして。俺も口を挟む。「最初の男が去り際に口にしてた名前。アミラ、とかっていう。今の変態のことじゃなさそうだし、最低でももう一人、女がいるんだと思う」
そんなこと言ってたっけ。よく覚えてるのね。まじまじ俺の顔を見つめながら、シーラが目を丸くした。シーラは聞き取ってなかったか。それとも聞き流して忘れたか。
さておき。この後どうするか、だ。
「とにかく、奴を追おう。どうやら連中、さっき音がした辺りに集まってるみたいだ」
強い口調で提案した。
シーラがキッと表情を引き締め、強く肯いてくれた。
ゼノンは黙って剣をひと振るい。ろくに血なんて吸ってない剣の血を払うポーズだけしている。さっきの銃オタクへの苛立ちが、一緒に行動してくれる原動力になりそうだ。
そして、ミディアもようやくゆっくりと立ち上がり、そこで。
「ああぁぁぁぁっ!」
突然に、大声を上げた。
「な、なんだっ? どうしたんだっ?」
聞くが、すぐに返事は来ない。立ち上がって、右の腰に手を当て、左にも当て、首を曲げて自分の周りの地面を見て。それから、ゆうに十秒は間を置いた、その後ようやく。
「鞄がないっ!」
「……鞄?」
そんなことかと、俺は拍子抜けしてしまった。
対して、ゼノンの反応がひどく激しい。
「お、おま……っ、鞄って、まさかアレ――」
「入ってた。入ってた! 入ってたわよぉっ! 嘘うそ、私さっきまで持ってたのよ? この銃だって鞄から出したんだから! 何でないの? 私さっきから全然動いてないのに!」
「入ってたって、何が?」呑気な声で、シーラが聞く。
「バドヴィアの日誌の原本に決まってんじゃない! あんたバカなの?」
動転するミディアに、思いがけない暴言を吐かれるシーラ。ムッと眉間に皺を寄せ、口を尖らせてミディアを睨み返す。言い返さなかっただけ優しい対応だったと思う。
「どうしようどうしよう! あんな貴重なものを、まさか失くしちゃうなんて!」
「どうしようはこっちのセリフだ! 親父の預かりものなのに、どうしてくれんだよ!」
頭を抱えて恐慌状態に陥る二人。ゼノンはもっとよく探せと捲し立てて、ミディアは無くなるはずがないのよとその場でくるくる回ってる。どうやら二人とも、あんまり慌て過ぎて当たり前の思考ができなくなっているみたいだ。
「なぁ。それって今のあいつに盗まれたんじゃないのか?」
言うと、二人は動きを止め、口を止めてぽかんとこっちを見た。
「ミディアに追ってこいとか何とか言ってたし。何言ってんのかなと思ったけど、鞄を取り返しに来いって意味だったんじゃないか」
「ああぁぁぁぁぁぁっ!」
ミディアが濁った悲鳴を上げる。本当にその可能性に気付いてなかったのなら、それもまた驚きだ。最後に一振りした腕で多分鞄を奪ったんだろうけど、まるでミディアに気付かせずにやってのけたってことになる。
「何なのよ、何なのよアイツ! 一から十までふざけた奴! ゼノンだけならともかく私にまでちょっかい出して、迷惑かけてくるなんて!」
「結局、ミディアにもあいつらを追いかける理由ができたってとこか」
憤るミディアに、少し意地悪な聞き方をした。
「……あいつだけよ。奪い返したら、もうこんな連中には絶対関わらない。さっさと国に帰ってやるわ!」
「お、おい! お前まだ複製し終えてないんだろ! だったら――」
いやそういうの今はいいから。
「よし、追おう」
言って、走り出す。みんなの足音を背後に聞きながら。向かう先は南。倉庫の裏手から、集会場の建物の前を抜け、更に集落の奥へ向かって。終着は小さな丸太小屋。集会場や、外の岩場で酒を飲むのが好きだったマウファドが、寝るためだけに持っていた個人の場所。
燃やされて屋根のなくなった小屋の更に向こう側で、しかし俺たちがやってきたときには、全部が終わってしまっていた。
「父さぁぁぁんッ!」
シーラが叫び、駆け寄る。
ちょっと前に別れたマウファドは、今は顔を地に付け砂の上に横たわっている。背中が、動かない。
見えないだけだ。距離を置いたまま、シーラを走らせたまま立ち尽くす俺は、ただ繰り返し自分に言い聞かせた。日が沈んだ夜闇の中。揺れる松明の明り程度では微かな体の動きまで見極められない。そうに決まってる。あの男が、そう簡単に斃れるわけがない。
「父さん! 父さんっ! …………嘘、でしょ……。……そんな……」
思い込みたい気持ちを、駆け寄ったシーラの悲鳴が妨げる。
夜闇がどうした? 曇天がなんだ? シーラはもう全てを把握しているぞ。あの泣き声の意味がわからないわけじゃないだろ――? ナイフの刃を突き付けられている気がした。
横たわるマウファドの向こう。人影が、いくつもあった。
我に返り、慌ててシーラの脇に走った。状況は、まだ安全じゃない。
「はっは、やっぱりお前らサイコーだ。あのミルレンディアをあっさり殺っちまうなんてな!」
「ちッ。俺様ならもっとスマートにできたんだ。クソガキのデマなんか信じなきゃよぉ」
「情報に攪乱されたのなら、ボズロ様の落ち度かと。状況によっては致命的なミスに繋がりかねません」
「ケけ、何だっていいヨ。でも銃使いはボクにやらせてネ」
手前。
マウファドの体からほんの十メトリ、話をするのは全部で四人。二人は知っている。それこそ夜闇で顔が見えなかったとしたって、その特徴的な口調で嫌でもわかる。
それから、女が一人。丁寧な、柔らかい喋り方の、清楚な雰囲気を風に乗せてよこす若い女性。
最後に、一番年嵩らしい男。低い背、ガラガラとしゃがれた声で、一番楽しそうに笑ってる。
さらに、彼らの奥にもいくつか人の気配がする。けど他の四人との間には明らかに線が引いてある。距離感と言い、雰囲気と言い。
ちらりと奥にアグロの顔が見えた気がした。
気のせいかもしれない。ただ、アグロのように見えた顔は、確かに笑っていた。こちらを見ながら、嗤っていた。




