2-9-4.「行こう」
「はは、やりゃあできんじゃんか。いいね、お前らは揃えて置いておきたいわ」
畜生、この余裕の笑顔が崩せない。嗤う男に沈黙と苦笑だけ返す。
「誰があんたのペットになんかなるもんですか」
代わりにシーラが強がってくれた。
左で握るナイフは逆手。しゃがみ込んだ俺の近くに、庇うように立ってくれている。
「ミルレンダインの頭ならぜひ欲しいんだけどなぁ。なぁ、無駄に暴れて、腕だの足だの斬っちまう前に、素直に俺様のものになっちゃどうだ?」
「……シーラが言ったろ。今はまだ頭領じゃないって」軽口は聞き流し、答えたいことだけ答える。もう、腹の探り合いもなしだ。「それに俺は、頭領になるつもりはない」
「あ?」
表情が崩れた。
そんなことが、奴の動揺を誘えるのか。男は粘ついた笑みを一切消し去った。
「んだよ、なるつもりはないって」
「お前も言ってたろ、俺は余所者だ。ここでそんな大きなものを背負うつもりもなければ、故郷で待ってくれている大切なものを捨てるつもりもない」
複雑な想いを、無言のシーラが背中に滲ませた。
配慮から斬り捨てた。当面、大事なのは目の前の敵がどう受け止めるか、だ。
「はぁ? 聞いてねーぞ」
「……さっきは言わなかったからな」
何をそんな、責めるような口調で言いがかってくるんだ。お前にそこまで関係する話でもないだろ。
「じゃあ、今この盗賊団をどうにかしたかったら、あの髭のオッサンに剣を向ける方が正しかったってのか」
……髭のオッサン。マウファドのことか。
「父さんに剣なんか向けさせないよ! 誰に何しようが、あんたたちなんかにこのミルレンダインはどうにもできない! どうにもさせないわ! いいからさっさと帰んなさい」
「っちー、しくったわ。とんだ無駄足じゃんかよ。てか、そんじゃアミラに先越されちまったってことか」
噛み合わない会話。というより、男は最早意思の疎通を取る気が全くない様子だった。
ガリガリと頭をひっかき、落とした弓を拾い上げて、この場から離れる準備を整えている。
「冗談じゃねぇよなぁホント。あのクソガキの当てにならないデマなんか信じちまった」
「……何の話だ? おい」
「ぅるっせぇよ! テメェらの相手する暇なんかこれ以上ねぇ! 今後はせっかく拾った命大事に、砂漠の隅っこでコソついてるんだな!」
理不尽に怒鳴り付け、男は岩から飛び降りた。
待てと追う声が、喉にへばりついて出てこない。無理に出そうとしたら、代わりにむせ込んじまった。シーラがへなへなと、俺の隣、膝を崩してトンビに座り込む。
「悪い。追えなかった」
顔を上げてシーラに謝ると、彼女も力が脱げきった様子で、ふるふると首を左右に振った。
「なんなの、あいつ。……一から十までふざけた奴!」
「アグロが呼び寄せたっぽいけど、アグロなんかよりずっと上手だった」
「アグロ……。あいつが、あんなバカだったなんて……」
名前を出すと、シーラは目の端をうっそりと滲ませた。
やばい、女の子を泣かせちまった。そんな焦燥が脳天に走るも一瞬。かける言葉は、すぐに見つかる。
「まだ終わってない。あの男を倒したわけでもなけりゃ、敵の襲撃を防ぎきったわけでもないよ。……アグロを、斬ろう。そして、この災厄を、終わらせよう」
覗き込むと、目許を指でくっと拭い。「うん」強く頷き返してくれた。
手を取って、立ち上がって、踵を変えて。
――そこで、時が止まった。
「…………集落が…………」
両手で口を押え、シーラが息を飲む。
集落が、見る影もなく破壊されていた。
タントールも岩窟小屋も、食料を溜めていた丸木小屋も、集会に使っていた中央広場の石舞台も、全てが無残に壊されていた。柱を燃やされ、岩を砕かれ、そしてその灰と瓦礫の上に、下に。人の血と肉が放り出されていた。
「あ、……う、……そん、な……」
動く影の、見当たらない。絶望的な景色。
けど、生き残ってる奴も、まだ戦ってる奴も、残ってるはずなんだ。
「行こう」
一言だけ言うと、シーラも嗚咽を飲み込んで、また強く頷いた。
岩から下に降りると、死臭が強くなった。
炎ももうほとんど勢いを失っている。ただ、いろいろなものを焦がす悪臭が鼻に飛び込んでくる。
見知った顔が、胸も喉も動かさず地面に転がっている。武器を持たない子供たちまで無残に赤く染められている。
口の中が、もうずっと酸っぱいままだ。さっきから無理矢理、唾を飲み込み続けてる。
シーラと交わす言葉もなく、重い足を進めていく。
見知らぬ顔も転がってはいたが、圧倒的に数が少ない。
「うぅ……」
微かな声が聞こえて、ばね仕掛けのように俺とシーラは反応した。
破れて焦げたタントールの布。地面に転がるその切れ端の下で、もぞり動くものがあった。慌てて、布切れをどかすシーラ。その下からは、傷だらけで這い蹲っている、団員のアガートの顔が現れた。
「アガートッ! アガート無事だったのっ!」
無事、とは言い難い。
腕も腹も斬られ、刺され、地面をどす黒く染める程に既に血を流した後の様子。いつも酒を片手に笑っていた、でっぷりとした腹の中年男が、今は真っ青な顔色で目から光を失わせている。
「アガートッ! しっかりして! 目を開けてっ!」
「……うぅ。…………ああ、お嬢……。……くそ、……情けねぇ。…………あんな奴らに……、ミルレンダインが……、俺たちが…………」
「もう、もう喋らないでアガートッ! 今、今傷を塞ぐから……っ」
「…………あぁ、……と、とう、りょうに……、……あ、あや、まって……、……おい……て……、く、……だ、…………」
「……やだ、…………やだよっ! 死なないで! お願いよアガートッ!」
シーラの悲痛な声が、辺りの死臭に紛れる。
もう、アガートは事切れていた。その向こうのエルギアも、バサラズも動かない。
悲鳴は嗚咽に変わり、シーラから立ち上がる気力を奪っていく。
死臭に襲われ、吐き気が止まらない。そのくせ、麻痺してしまったのか頭ではあまり多くを感じられていない。まるで一級の演劇でも見ているような、現実感の希薄さ。今目の前で絶えたアガートに、また明日も変わらず会えるような気がしてしまっている。
そして、死を悼むより先に、敵を払う一手を考えなけりゃならない。そう考えると、今の自分の心理状態は悲観したものでもなかった。悲しむより先に、冷静に周りを見なきゃいけない。
「何でこんなに、敵の姿がないんだ……」
シーラには聞かせないよう、口から外には零れないように、小さく呟いた。
俺の立場での想像だけど、盗賊が盗賊を襲う理由なんてそうそういくつも考えられない。宝物や金、食糧なんかの『モノ』を奪う。塒の『場所』を奪う。あとは私怨で、誰かの命を奪う。
ヴォルハッドとやらは、そのどれが目的でもないように見える。モノにも場所にも頓着せず、恨み節も聞かれないままただただ命ばかりを刈り取って、もうこの辺りには誰もいない。味方もないけど、敵の姿をまるで見ないことが、何より不気味だった。
泣きじゃくるシーラの肩を持ち、それから少し無理矢理に立ち上がらせて、「先へ行こう」と促す。こんなに弱々しいシーラを見るのも、初めてのことだった。




