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遙かなるユイス・ゼーランドの軌跡  作者: 乾 隆文
第二章 第九節 雨季の始まり
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2-9-1.「それが、惚れた女への言いザマか」







 既に夜闇に覆われた砂漠。ちらほらと燃え続ける炎が、その顔をゆらり揺らめかす。空には月がない。雲に覆われて、星の一つも見えなかった。


「……アグロ、……あなた、何で…………っ!」


 にやにやと笑う男を前に、シーラは爪で平の皮を破るほどに強く、拳を握り締めた。右手から、赤い雫がぽたりと零れる。


「あぁ、胸がすっとした。見ろよこの絶景! ここ二か月、ずっと我慢のし通しだったからなぁ」


「何が我慢よ! アグロ……、あんた何でこんなこと……」


 湿り気を帯びた、シーラの怒声。


 アグロはそれを嘲笑うように、シーラの怒りを楽しむように、軽い声音で言葉を続けた。


「何でって、そんなの決まってるだろ。俺の力を示すためさ」


「……力?」


「お前と俺、どっちが優れていると思う? 実際のところ、どっちが頭領に相応しかったと思うさ。俺だろ? ろくに戦いもできない、腕力も魔法もてんでないお前が、俺を率いて団をまとめるなんてどんだけ馬鹿げた話かって、お前にもわかんだろ?」


「何言ってるの。それは後継の儀でもうケリが付いた話――」


「ケリだぁ? あんなふざけた結論でケリなんか付くわけねぇだろ! テメェはただ強いだけの用心棒を金で雇ってきただけだ。それに負けたからって、なんで俺が副頭領に甘んじなきゃなんねぇんだよ。筋通せよな、筋を」


「それは……っ」


 返す言葉が立ち消える。黙るシーラの背中に映る感情は、困惑に申し訳なさが一つまみ、ってところか。俺に言わせれば、確かに儀の規則に鑑みて、シーラのやり方に全く非がなかったとは言えないだろう。けど、それは勝負の外の話。アグロが負けた事実に、不正はなかったはずだ。


 それに、その話とアグロのこの行動がどうつながるか。


 その惑乱が、シーラの息を大きく乱しているみたいだった。とりあえず、俺はそうだ。この男の目的が、まるでわからない。


「それで、なんでミルレンダインのみんなを襲うって結論になるんだ? どこの誰だかもわからない連中を引き連れてさ」


 わからないので、口を挟んだ。


 ギロリと俺を睨むアグロの目、その殺気の込め具合はシーラの時の比じゃあない。


「あ? わかんないのか、ウェル頭領よぉ。俺の寛大な措置だよ。まるで筋の通ってない話を、お前ら全員がその足りない頭で正しいって思い込んじゃってるんなら、仕方ねぇ。こんなチンケな盗賊団は行きずりのお前にくれてやろうってな!」


 黄色い歯を見せ、頬を持ち上げて斜めに笑うアグロ。差し詰め、その表情は夕闇に森をこそつき回るヤマイタチ。滑稽にこそ見え、恐ろしさはまるで感じない。


「ああ、くれてやるよ、こんな盗賊団(トコ)。ただ、くれてやった後でどっかの誰かに襲われたり潰されたりするかもしれないってのは、保証しきれないけどな!」


 けっけっ、と本人の頭の中身くらい軽い笑いを立て、アグロは精一杯俺たちを見下した。シーラは挑発できたかもしれない。その怒りを誘えたかもしれない。俺からすりゃ、小さな害獣が畑の作物を荒らして回っている、その程度の可愛らしい口撃にしか聞こえなかった。


「…………そんなことのために、この集落を潰してるって言うの…………?」


「ああそうさ。そんなことのために、な。みぃんなお前らが悪いんだ。あの世ではしっかり反省して、一緒に死んだ連中に頭下げて回ってくるといい!

 あー……、けど、シーラ。もし俺に頭下げるなら、お前のことは赦してやってもいいぜ? 奴隷になって、一生俺のチンポしゃぶってご奉仕しますって、今ここで裸になって土下座するならお前だけは殺さないでやるよ」


「それが、惚れた女に対する言い(ザマ)か?」


 シーラの前に出て、切っ先をアグロの足許に向け、敵意を乗せて訊ねる。


 手に取るように、奴の動揺がわかった。


「な……っ、だ、誰が惚れた女だっ! テメェに何がわかるってんだっ」


「何もわかんないよ。小さなプライドを守るために生まれ育った故郷も想いを懸けた幼馴染も、全部踏み躙れる男の気持ちなんて。

 ……デリダはこのことは納得してるのか?」


 更に質す。


 今度の質問には焦燥は感じなかったみたいだ。


「は、なんだそれ! 誰の心配してんだよ。今ここを襲ってるコイツらはデリダの仲間たちだぜ? 安心したか?」


 そうか。感情を込めずに答えた。


 この男がデリダさえも踏み躙って使うような男でなかった。それがわかったからなんだって話だけど、少しだけホッとしたのは確かだ。


 まぁ、今更だ。踏み躙られた人間は、この集落に百といるんだ。赦す気はない。覚悟が決まらなくても、吐き気がするほどの嫌悪感。それで十分だと、心が決まった。


 ちらとだけ、シーラの顔を見た。真っ青に染まった表情からは、まだ旧友の命惜しさが完全には消え去っていなかった。


 シーラの攻撃が濁るなら、俺がその分まで剣筋を研ぎ澄ませればいい。


 タタンと小気味よく、足が岩を叩く。


 直前にマウファドと戦ったせいか、感覚が研ぎ澄まされている。アグロからは、怖さなんて雀のクチバシほども感じない。俺の片手の一撃を剣で応じた一合、くと歪ませたその表情からは、退(すさ)る背後の余裕が既に小さいことが読み取れた。


 選定の儀のときよりも弱くなったんじゃないだろうか。


 それでも、小さなこの男を、斬りつけることはまだできなかった。


 三本の刃が優勢の俺に襲い掛かる。アグロの背後に立っていた、三人の男。籠る熱に差はあれど、三人とも一応はアグロを守るように動き出した。


 一度距離を取る。


 二対四。シーラも顔色を再び赤らめ、戦意を取り戻している。


「行けるか?」


「うん、ごめんだった」


 念のため、声もかけた。


 それで、シーラは完全に生き返った。




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