2-8-1.「ああそうか、雨季なんてものがあるのか」
暦は四月になった。
もうすでに常連となったベイクードのグァルダード。その事実を耳にして、受付の男を相手に苦笑した。「この国に来て、日付なんか全く気にしなくなった」と。
「塒に籠ってるハイエナ連中には暦なんて関係ないんだろうがな。番犬稼業には、日付の計算は必須だぜ? 何せ商人どもを相手にしなきゃならないんだ。覚えときな」
ハイエナは略奪者の、番犬は護衛者の、それぞれ蔑称だと覚えた。俗語。卑語。通称。解釈は何でもいいけれど、常に小馬鹿にするニュアンスは付いて纏う。口にするときには気を付けた方がいい、というこれはジェブルからの助言だった。グァルダードの受付が堂々と口にするんだから、盗賊連中の言う「気を付ける」の意味合いが、推して知れる。
メダルを提示して、仕事を選ぶ。
なるべく割のいい仕事を選ぼうとする癖がついてきた。自分のためと言うよりは、ミルレンダインの集落のために。
どうやらその根っこにあるのは、居候の肩身の狭さとかじゃなくて、団の一員としての責任感、みたいなものらしい。いやいやそんなバカなと思いつつ、笑い飛ばせないむず痒さもあって、今の生活に染まってきちゃっている自分への危機感も結構大きい。
「こうして見ると、数か月単位の長期間契約も結構多いんだな」
両脇を叩くように腕を動かし、面映ゆさを掻き消しながら、男に話しかけた。
「あちこち動き回る隊商連中は、常に番犬と契約している必要があるからな。ころころ相手を変えるより都合がいいことが多い」
なるほど、と頷く。
書類の束を眺める俺の横、小柄な男と背の高い女性が、割り込むようにして契約を選んでいった。二人が受付に返した束の中からいくつか選ばれたものが「追加だ」と俺の手に渡される。
「さっさと決めろよ。こっちも暇じゃないんだ」
「ああ、悪い。その、長期の中でも契約期間一か月ってのが特に多いなと思って」
「なんだよ、受ける気ないもの見てんじゃねーよ」
右手で受けたい仕事の用紙をカウンターに置き、左手で見終わった束を返す。選んだのは単発の隊商の護衛。ベイクードからハーンまでの片道の旅程、二晩で終わる予定のもので、報酬は前金二万エニ、成功報酬一万エニ。まぁまぁ良い方だ。
「長期契約じゃ、一か月の長さが一番多いのか?」
「いや」
書き物をする受付に、世間話を続けた。
めんどくさそうに鼻を鳴らされるが、書き物が終わってもう一度俺にその紙を渡してくれる頃には、話の続きも添えてくれる。
「多いのは一年契約だ。大した意味があるわけじゃないと思うが、年の区切りでな。十二月で区切って一月に新しい契約を探すって形が一番多い。一月は長期契約の一番の書き入れ時だよ」
「じゃあ、今日見たものに一か月契約が多いのは、ただの偶然?」
「五月と八月も一つの区切りだ。商売のスタイルをそこで変える商人も多い」
「五月と八月?」
「ああ。夏場の三月は雨季だからな。移動をやめて街に籠る商人も増える」
男が眼鏡の山を指で押さえながら、すんなり答える。
ああそうか、そんなものがあるのか。俺はまた一つ、ここが異国である確かな証拠を、突き付けられたのだった。
「そぉだよう。こうやって気楽に街まで移動して、その日暮らしで仕事もらってこられるのなんて、もうあと一か月なんだからね」
グァルダードの外で待ち合わせしていたシーラが、俺の話を聞いて口を尖らせた。そんなの常識じゃない、と尖った口調で言われても困る。俺にとっちゃ常識じゃない。
「ただの雨じゃないのか?」
「ただの雨……、って表現はよくわかんないけど。この国で言う『ただの雨』ってのは、一時間で砂漠に川を作るもののことだよ」
おおう、そりゃすげぇなと仰け反った。
「まぁ、それでも出て行く隊商もいっぱいあるみたいだけどね」
「すごいな。根性だ」
「全くよ。あたしたちミルレンダインのケーパ連中は、雨季の間は仕事は休み。みんな拠点に留まって、何かあったときに備えるんだ」
「何かあったときって?」
「そりゃあ水害とか。まぁ、あたしが生まれてからはあの根城がどうにかなったことなんて一度もないけどね。昔はあったみたいだよ、大水でタントールが流されたとか、食料がダメになったとか」
親父が若い頃に一回酒樽が全滅したことがあって、その時は明日どうやって生きようか、くらいみんなで絶望したって話だね。けらけらと笑いながら、昔話を教えてくれた。
らしい話だと、俺も苦笑で相槌する。
「まぁでも、基本的には家の中に引き籠って暇になる期間よ。ウェルとにゃんごろする時間も一杯取れるから、楽しみにしててね」
「いや、しないけど」
「せめて口先だけででも、ちょっとくらい乗ってくれたって……」
しかし、そうか。雨季か。
そんなものもあるって聞いたことがあった程度で、どんなものか具体的にはよくわかってなかったな。
この国に来てから、確かに雨なんて一滴もお目にかかったことがない。そろそろ一か月以上になるけど、そういえば大きな雲さえ見た覚えがなかった。
雨季となると、逆に一日中雨なんだろうか。それは想像を絶する世界だと、商人たちが店を構える大通りをぼんやり歩きながら、小さく溜息を吐いた。




