2-7-8.「ここの連中はやっぱいい奴ばっかりだなぁ」
「ったく。ミルレンディアの頭目ならともかく、テメェくれぇの半端ヤローに、万に一つも負けるかよ」
ゼノンがつまらなそうに吐き捨てる。
「……ふ。さすがクウェイトの息子さんですね。鍛えられ方が違う、と言ったところですか」
「だっ、……から、親父は関係ねぇって前にも――ッ」
ああ、やばいな。舌戦ももやり合い過ぎると拗れちまう。
「はいはぁい、そこまでにしとけ。決着はついたんだ、今日のところはこれで終わりにしておこうぜ」
素早く二人の間に入る。両耳に舌打ちが聞こえ、ちょっと心が折れそうになった。
まぁ、ゼノンの舌打ちは癖みたいなもんだ。顔を見れば、悪い表情はしていない。舌打ちしながらも大きな柳葉刀を砂に刺し、そこに上手いこと体重をかけて照れ臭そうに肘をついている。
一方のサディオの方が面倒くさい。慇懃な態度を守るいつもの仮面が、今日はもう完全に剥がれてしまっているのを隠そうともせず、牙魚のような粘ついた目で俺のことを睨みつけてきている。
うん、面倒だな、ほっとこう。
「さ、そんなわけでサディオとゼノンの勝負の決着は着いたわけなんだけど。正直ここまでの騒ぎになっちゃってみんなにも申し訳ないなって気持ちはあってさ。なんでまぁ、一週間も経って今さらな感じもするんだけど、改めて紹介させてほしいんだ。
ゼノンと――、ミディアもちょっとこっちに来てくれ」
「ええ、私もぉ?」と不満げな声で答えるミディア。それでも腰を重そうに持ち上げながらちゃんと来てはくれるので、まぁ騒ぎの中心人物のひとりだって自覚はあるみたいだ。
「ゼノンとミディア。この二人は、ミディアがとある書物を書き写す間だけ、ここに滞在する。シーラが仮住まいを認めて、頭領にも許可を取ってある。
書物の書き写し作業が終われば、この二人は出て行く。だから悪いけど、気に食わない奴はミディアの作業に協力してやってくれ。ゼノンが最初に言っていたように、作業が早く終われば、それだけこの二人がいなくなるのも早くなる」
サディオも、よろしく頼むよ。笑顔を向けて伝えるが、サディオの視線は返ってこない。まぁ、それについては想定内だ。みんなの前でこちらから伝えたっていうだけで、一応の意味はある。
さぁ、俺からの話は終わりだ。後はみんながどう受け止めてくれるか、だけど――。
「なぁ、おい、次期頭領よぉ」
ふと、髪の薄い、年の行った男が手を挙げて、呼びかけてくれた。なんだと聞き返す。
「ってーこたぁ、そいつらとゆっくり酒を飲む時間を作りたかったら、その女の作業を邪魔してやりゃいいってわけかい?」
「ん、……まぁ、そういうことになるかな」
「ミルレンダインに来て、盃も受け取らずに帰れるなんて、そんな甘い話があるかってんだよ」
「そうだよ。飯だってたくさん作ってあるんだから、一人二人増えたって腹いっぱい食ってけばいいんだよ」
髪の薄い男が言い、背の高いスマートな妙齢女性が立ち上がって先を続けた。引っ張られるように、あちこちからそうだそうだと声が上がる。
そのうちに女が一人、俺たちの前までやってきた。ゼノンの腕を強引に引っ張り、連れていこうとする。
「え、ちょ、なんだよっ?」
「ほらこっち来なって。あなたのおかげで小遣いができたからね、酌ぐらいさせて」
引っ張るなよと慌てるゼノンを引っ張りながら、更に女性は目を後ろに向け。
「あ、サディオはセグレスたちのところね。あいつらあんたのせいで損してたから、頭下げときなさい!」
どわぁと爆笑する観衆一同。「あなたは私の負けに賭けたんですか!」と怒鳴りながら女性を追うサディオの背中を、負けておいてのその剣幕もいい度胸だなぁ、と苦笑交じりに見送る。
ああ、行き当たりばったりで場を仕切ってみたけど、こんな無闇な流れにも応じてくれる、ここの連中はやっぱいい奴ばっかりだなぁ。
「待てって、俺は酒は嫌いなんだ!」
喧騒の中からゼノンの声が聞こえる。
「酒が嫌いだとぉ? 怪しからんな! とにかく一杯飲んでみろ。話はそれから聞いてやる!」
「ちょっと、無理に飲ませんじゃないよ。子供用の果実液だって向こうにあるだろ」
「だっ、……誰が子供だってっ?」
めんどくせーなあいつ。
腰に手を当て、くははと苦笑しながら隣に立つミディアに追従を求める。ミディアも傍観組だと思い込んでいた。ふっと笑った彼女は、俺の話にはろくに答えず、徐に立ち上がって、「あんた飲まないんなら、私によこしなさいよ!」叫びながら、喧騒の中に走っていった。
「テメー、何飲もうとしてんだよ。テメーは部屋に戻って作業続けろよ」
「目の前に酒ぶら下げといて飲むなっての? この鬼畜!」
「安心しなさいよ。お嬢ちゃんの分だってちゃんとあるから」
「オジョーちゃんって年じゃないだろソイツ!」
「ゼノンあんたいい度胸してるわね」
とまれ、場の雰囲気は一気に和やか。先程まで目を吊り上げて怒鳴り合っていたゼノンやミディアとサディオとも、内心どうなのかは知らないが、今はそれぞれの場所で酒を飲んで――あるいは飲まされて――いる。
笑ってくれている奴の中にも、内心では気に食わないと思ってる奴は当然いると思うけど、表向きだけでも取り繕ってくれる、それだけで十分有難い。
さて。この場はだいぶ落ち着いたみたいだし、みんな飲む相手は見付けたみたいだし。俺は当初の目的通りに、部屋に戻ってさっさと寝ようかな。
「ねーえ、何なのこの騒ぎ。何かあったのぉ?」
あ。今さらシーラが来た。
「お前こそどこにいたんだよ。結構な騒動だったのに、全然様子も見に来ないで」
「あたしはずっと部屋にいたわよ。ウェルが返ってくるかと思って」
「え。部屋の前でみんな騒いでたみたいだったけど、気付かなかったのか?」
「そうなの? 寝ちゃってたから聞こえなかったみたいだね」
すげぇな。あの薄い扉の向こうでサディオたちがガンガン怒鳴り合ってたってのに、気付きもしないで寝てたのか。
「で、今はみんなで宴会なわけ? ずるいじゃん。あたしも呼んでよ」
「いや、正確には俺を除くみんなで宴会だ。俺は寝るから、あとはよろしく、シーラ」
「えっ? ウェルいないのっ?」
「俺は寝る。シーラと入れ替わりで寝る」
「やだ。じゃあ一緒に寝よ」
「一人で寝る。おやすみ」
「ちょっと待ってよぉ!」
と、いつも通りの縋り声を背中に聞きながら、俺はすぐ横に陣取っていた男の一人に、「シーラが飲みたがってるからよろしく」と伝え残す。おっ、という男の声を最後に、シーラの声は聞こえなくなった。訂正、しょーがないわねーもぉ!とかいう機嫌のよさそうな雄叫びは聞こえてきた。これでまぁ、五時間は帰ってこないだろう。一人で部屋でのんびりするとしよう。
正直言うと、昼間のサディオとの会話を聞いた直後で、あんまりシーラと二人きりになりたくなかったんだ。気が迷いそうな不安が、まだ拭い去れなかった。




