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遙かなるユイス・ゼーランドの軌跡  作者: 乾 隆文
序章 第五節 涙の理由
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0-5-3.剣の理由







「お父さんとよく来たここ……。この場所に来れば、ひょっとしたら淋しさも忘れられるんじゃないかって、昨日思い付いたんだ」


 えへへ、とティルが笑った。また、声が大きく戻った。まるで景色の向こう側にいる、おじさんに話しかけるように。


 その気丈さが、なんだかいつもよりもずっと可愛らしく感じられて。俺は思わず顔を熱くして目を背けた。


「初めて連れてきてもらった時は、高くて怖くて泣いちゃって、全然景色なんか見られなくて、もう帰るって大泣きしたんだよね、私。

 その癖、家に帰ったら妙にこの場所が気になって。次の日になったら『もう一度連れてって』だって。私、わがままだったねぇ。お父さんよく怒んなかったよね、呆れなかったよね。私だったら『だって昨日泣いたじゃない』って怒ってたかもしれない。

 でもお父さんはもう一度連れてきてくれて、やっぱり怖かったけど、お父さんにしがみつきながらだったけど、それでも私、二回目のときには景色に目を向けることもできたんだ。それで、この湖がすごくきれいだなって思って、そう。二回目のときに、ここは私のお気に入りの場所になったんだ」


 えへへ、と、一人で笑う声がする。


 これも、初めて見るティリルの顔だ。彼女は一人遊びが得意で、俺以外の友達を見たことがないくらい、超が付くくらい内向的。一人のときはずっと本を読んでるイメージで、誰かと、あるいはごっこ遊びなんかでも、いっぱい喋る印象がない。


 こんなにたくさんの言葉を生むティリルを、俺は知らない。


「お父さん。……お父さんにとっては、ここはどんな場所だったの? 結局お父さんは教えてくれなかった。お父さんはこの場所にどんな思い出を持ってたの? それは、旅に出ちゃったことと関係あるの? ねえお父さん。どうして何も教えてくれなかったの? どうしてお父さんは私に、たいせつなことを何にも分けてくれなかったの?

 お父さん……。私は、お父さんにとって、たいせつじゃなかったの……?」


 声の最後は、震えていた。そのままティリルは、崩れるようにその場にしゃがみ込んだ。駆け寄ってやりたかった。おじさんにとってティリルが大事じゃないなんて、そんなことあり得ない。そう言いたかった。


「……ねぇお父さん! どうして行っちゃったのっ!」


 ティリルが大声を上げた。


 拳を握って、崖に向かって腹から声を出して。


 初めて見るティリルだ。もう十年近い付き合いのはずなのに、こんなに激しいティリルは見たことない。大声で、湖に向かって怒鳴り立てる。まるでそこに、おじさんがいるかのように。そこにいるおじさんに、全部、ありったけ、ぶつけるみたいに。


「答えてよっ! 答えてよお父さん!

 私、夢だったんだよ! 四人で暮らすの、ずっと夢だった! おばさんと、ウェルと、お父さんと私。四人で一緒の家で生活するの、ずっと夢だったの!

 でも、叶わないんなら捨てるから! 今まで通りでいいから! お父さんがいなくなっちゃうなんてやだよ! だったらもう夢なんて見ない! だからお願い! 帰ってきてよ!」


 わぁと大きな声で叫んで、それでも答えるのは風だけ。


 拳を握って大きく立った、ティリルのその背中。逆風に晒されながら立ち続けたその背中は、でも少しずつ震え始めて、そしてそのうち。


「――っく、うっく、……うぐっ、っく……」


 へたりと、ティリルはその場にしゃがみ込む。しゃくり声がどんどん大きくなる。


 激しい夕立の降り始めみたいに、その泣き声は急激に大きくなって。いつしか誰にも、雲空にも山々にも憚ることのない大きな声に変わって。


 俺はもう、何にもできなくなっちまった。


 姿を現して、慰めてやろうかとも思った。肩を抱いてやろうかとも考えた。でもできることなんて本当に何もない。ただ、淋しがり屋で泣き虫な幼馴染が、それでも俺の前では一度も見せなかった、心からの泣き顔を隠れて見守ること。……それだけだった。


 手を差し伸べて、その涙を拭いてやれたら、どんなにいいだろう。


 けど、ティリルを泣き止ませることができるのは、俺の細っちい腕じゃない。嫌というほどそのことを思い知らされた。


 そう、俺じゃない。俺じゃ、ティリルを笑わせられない。



 

 しばらく泣いて、しばらく佇んで。


 どれくらい経ったろう。それからティリルは、言うだけ言って、泣くだけ泣いて、もう口を開く必要はない、とでも言うように、何も言わずに踵を返した。ちらっとだけ倒木に目を向けられ、見つかったのかと肩を震わせたけど、向けられたのはほんの一瞬。すぐに視線を戻し、茂みに入って山を下りて行った。


 俺は、もうしばらくだけ動けないまま、いた。いろんな思いが混ざり合って、すぐには何をしようとも思えなかった。


「……ティリル」


 ぽつりと、名前を呼んだ。


 さっき見た涙が、頭の中に鮮明に蘇ってくる。


 一緒に遊んでいて、つい調子に乗って怪我をさせてしまったときとは違う。


 軽い冗談を本気に取られて怒らせてしまったときとも、違う。


 俺の前でだって、あの泣き虫はしょっちゅう泣いてた。けど、あんな顔は一度も見せたことはなかった。


 俺じゃ、ダメなんだ。


 今の俺じゃあ、ティリルを守ることなんて、できない。


 悔しかった。


 悔しい、という思いを実感した瞬間、俺は立ち上がってた。


 早く家に帰りたい。家に帰って部屋に駆け込んで、おじさんにもらったこの背中の剣を握りたい。


 いつかおじさんにも勝つんだと、今は無理でもいずれ世界一強くなるんだと、俺の頭はそのことでいっぱいになった。





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