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遙かなるユイス・ゼーランドの軌跡  作者: 乾 隆文
序章 第四節 ティリルが家に来た日
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0-4-3.計画の第一は貸本屋で







 季節は初夏だった。


 山に登れば、まだ丸まった雪の塊があちこちに転がってる頃。町まで続く丘の道を、ティリルと二人連れ立って歩いた。


 髪をまとめて出掛ける準備を整えたティリルは、泣いた跡などほとんど消して、ほんの少しだけ残した赤い目許も「寝不足なのかな」と思われるくらいの違和感に留めて、余所行きの笑顔を作り上げた。


 玄関先でも母さんが「大丈夫?」としきりに声をかけてやっていたけれど、当のティルは案外ケロッとしたもの。「はい、心配かけてごめんなさい」なんて、いつも通りに受け答えしていたくらいだった。


 下らない話をしながら――、というか一方的に俺がベラベラと喋りながら、いつもよりはちょっとゆっくりしたペースで道を歩いた。


 喋るのは俺ばっかりだったけど、ティルもいちいち「うん、うん」と頷いてくれてたから、俺は何も心配に思ってなかった。


 町に着いて、何はなくとも市場へ向かう。


 髭面のおじさんや、細身のお姉さんや、目付きの鋭いお婆さんや。いろんな人が道端に簡単な荷台を並べて、そこに思い思いの商品を積み上げている。中身は食料品。大体町の近くで育てられた野菜か、山で取れた獣肉か。たまに普段見かけない、水ウリとか枇杷とかいう果物が並んでいたりすると、来る客たちの目の色が変わるんだ。


「あっ、雉肉売ってるぜ! ティリル、あれでいいか?」


 俺の目にパッと留まったのはでっかい雉の丸肉。筋骨隆々のおじさんがやってる店で、他にもいくつか鳥の肉を荷台に並べてあった。


「……うん、いいんじゃない」


「美味そうだな……、ティリルどれくらい食べる?」


「少しでいいよ」


「えぇ? 夕飯だぜ? 今そんなじゃなくても絶対夜にはお腹減るって。たくさん買っとこう?」


 ティルの細腕をぐいぐい引っ張って、その店の前まで行く。


 おじさんは先に買い物をしていた女性の対応をしていたけど、ちらちらと俺の方にも小さく目配せを送ってくれていて、その女性の支払いが終わると子供の俺らにも愛想よく「待たせたな」って言ってくれた。「この雉か。捌くか? それとも丸ごと?」


 ティルには偉そうに言ったけど、さすがに三人で丸ごとは食べきれない。半分量にしてくれって注文すると、おじさんは丸のままだった鳥肉を適当に切り捌いて、二山作ったところでどっちがいいか聞いてくれた。


 そこそこ珍しい食材は、値段もそこそこに張ったけど、俺は満足だった。


 ティリルだって美味しいものを食べれば機嫌もよくなる。今度は美味しそうな野菜を求めて、ティリルの腕を引き別の場所へ移っていった。


 キャベツと玉葱を買い、荷物を重くして市場を離れる。


「じゃあ、もう帰る?」


 ティルが首を傾げた。


 何でだよ、と俺は広い往来、両手を広げて主張した。


「ティルだって、町に来るのってそうしょっちゅうってわけじゃないだろ。少し遊んで行こうよ! 久しぶりなんだしさ!」


 ティリルは少し躊躇って、口許に右手を当てぶつぶつと何かを呟いてた。それから小さく頷いて、「わかった、付き合うよ」と息を吐いた。


 何言ってんだよ。付き合ってるのはこっちなんだぞ。口を尖らせそうになって、俺は一つ深呼吸。そんなこと口に出したら大変だ。気付かれないように、ティリルを元気付けるんだ。その目的を忘れちゃいけない。


 こぼれそうになった本音をぐっとこらえて、俺はティリルに「おう、ありがとな」って笑いかけてやった。


「さて、どこに行こうか」


「ウェルがどこか行きたいところがあったんじゃないの?」


「あ、いや、それはそうなんだけど、……えっとぉ」


 首を傾げるティリルに、俺は慌てて両手を振る。


 そして、そうだと思い付き。


「そう、そうなんだよ! ちょうど読みたい本があってさ! 貸本屋、付き合ってくんない?」


 妙案だと自画自賛。だってティリルは本が大好きなんだ。貸本屋に行けば、きっとティルも楽しんでくれる。ただ、この案にも一つ大きな落とし穴があって――。


「ウェルが貸本屋?」


 うん、まぁ、俺のイメージじゃないよな。……わかってるけどさ。


「な、なんだよ。俺だって本くらい読むぞ!」


「ふぅん。……なんて本を探してるの?」


 ぎくっ。な、何でそんなツッコんで聞くんだよ。


「や、やぁ、その、……な、なんか題名忘れちゃってさ! 行って見てみれば思い出すかなって。あはははは」


「…………」


 ごまかし笑いを軽やかに上げると、ティルはもうそれ以上しつこくは聞いてこなかった。


 そうなんだ、と独り言みたいに呟いて、それ以上は何も言わない。また少し俯いて、俺に手を引かれるのに従って歩いて。


 ちぇ、もっと元気出せよ。思ったけど、話しかけようにも今下手に口を開くと本の筆者とか、どこで知ったのかとかを説明しなきゃならなくなりそうで、俺もそれ以上口を開けなかった。


 貸本屋は町の南側にある。家からは遠い方だ。


 何せティリルにとっては行きつけの店だ。俺に手を引かれてたのはあくまで元気がなかったからってだけで、扉を前にするや、勝手知ったるとばかりに中に入って店主のじいさんに挨拶した。


「よぉ。珍しいな、仕入れの日以外に来るなんて。この前来た時から新しい本は増えてないぞ」


「ええ、わかってます。今日は友達が本を探してるって言うので」


「あぁ、そうか。付き添いか。


 どれ、何の本を探してんだ? 置いてある本なら出してやるぞ」


 じいさんが、前髪にかかる白い髪を右手で掻き上げながら、俺に向かって笑いかける。やべぇ。この展開は考えてなかった。見ればティリルも「どうするの?」とばかりにこちを見つめてる。


 逃げ場ねぇじゃん。どうするよ、俺。


「あ、や、えっと――、た、タイトル忘れちゃったんですけど、なんかこう、最近流行りらしい児童文学作家の本で、ええとぉ……」


「流行りの児童文学作家? デルロイかな。それともヴェスコットあたりか?」


「ウェル、何かタイトルに入ってた言葉とか、何についての本かとか、そういうヒントも思い出せないの?」


「あー、ええと、うーと……」


 いじめかこれ、ティルの奴、まさかわざとやってんじゃないだろな。


 ……ええい、こうなりゃテキトーだ!


「ああ! そういや、主人公の少年がスープの具にされちゃうシーンがあるんだとか言ってたな。豚肉の燻製(バルク)のきれっぱしか何かにされて」


「スープの具?」


 ティリルと店主のじいさんが、声を揃えて聞き返す。


 悪いなティリル、せっかく手伝うって言ってくれてるのに、こんな出任せ言っちゃって。俺の本なんかいいから、ティルは自分の好きな本を探してくれば――、って、じいさんどこ行くの?


「主人公が豚肉の燻製(バルク)にされるって言や、ラヴィエルの『八夜(やつや)の楼閣』だと思うが……」


 ……いや、あんのかよ。


「あー、そう。これこれ! ありがとじいさん! 俺これが読みたくてさ!」


「でもウェル、これ児童文学じゃないよ。大人向けのけっこう難しいやつ」


「しかも流行りっていうか古典だしなぁ。ホントにこれなのか?」


 うぅ、もうこれ以上追い詰めないでくれよ。


「ああ! これ! これで合ってる! これ借りてくよ! 楽しみだなぁ。早く読みたいなぁ!」


「……まぁ、ウェルがそう言うなら、止めないけど」


「俺としちゃ、読める本を借りて行って欲しいんだがなぁ」


 戸惑い半分、呆れ半分。そんな二人の視線を受けながら、俺は全く読む気のない、興味の欠片もない本を借りることになった。うぅ、結構するんだよなぁ。このお金で何か美味しいものがもうひと食材買えたかもしれないのに……。


 まぁいいや。俺の方の話が落ち着いたあと、ティルはティルでやっぱり少し本棚に目を向けていくみたいだ。何やら分厚い本を手に取って、開いて、眺めて。夢中になってるティリルの姿を見てるだけでも、茶番を演じた甲斐はあったってもので。


「あ、ごめん。つい自分でも見ちゃってた」


 と、俺の会計が終わったことに気付くや、ティリルはぱたんと手にした本を閉じた。


 え、いやいいよ。もう少し見てこうよ。勧めてみたが、ティリルはふるふると首を横に。


「おじいさんにまた次の新刊入荷の日を聞いてあるから、私はそのときまたゆっくり見るよ。ウェルの用事がすんだなら、早く帰ろう。ローザおばさん待ってるんじゃない?」


 言われちゃって、もうそれ以上は何も言えなくなった。


 うぅ、結局ティリルを元気付ける計画第一号は失敗。俺の手許に、読めもしない、一週間後にまた来て返さなきゃいけない面倒な本が一冊残っただけに終わった。





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