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遙かなるユイス・ゼーランドの軌跡  作者: 乾 隆文
序章 第四節 ティリルが家に来た日
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0-4-2.残されたティリル







 結局、ユイスおじさんは予定通りにここを離れてった。


 おじさんは、幼馴染のティリルの父親で、母さんと二人暮らしだった俺にとっても実の父親みたいな人だった。お互い片親だったおかげで、俺の母さんはティルにとっても多分本当の母親みたいな存在だったと思うし、俺たち同士も兄妹みたいにして育ったんだ。


 加えて、ユイスおじさんは俺にとっては剣の師でもあった。幼い俺の目から見ておじさんの剣の腕は相当で、八歳くらいの頃だったか。興味を持って、素振りをするおじさんに話しかけたところ、「よければ君もやりますか」と、基本の型を教えてくれるようになったんだ。


 気が付けば随分のめり込んで、軽い仕合くらいならおじさんとできるくらいまで教えてくれた。旅立ちの前日にはそれまでおじさんが大事にしてた剣までくれた。


「これから、うちの娘を守ってやってください」


 なんて、そう言われたときには頭のてっぺんまで痺れるような思いだった。


 俺が、ティリルを守るんだ。


 おじさんの代わりに、俺がなるんだ。


 そう、誇らしい気持ちでいっぱいになった。


 そして俺は、ティリルの気持ちを見失ってたことに気付かされるわけだ。


 おじさんがどこに何しに旅立ったのか、それは今もわからない。ティリルも聞かされていないらしい。母さんなら何か知ってるかも、と思ったこともあるけど、母さんも何も教えちゃくれなかった。


 子供にとって大事なのは、そんなことじゃない。


 ティリルにとっては「父親に置いていかれた」ことが一番の重要事だったんだ。そのことにその日のその朝まで気付かなかった、俺は俺で、自分の馬鹿さ加減に幻滅して凹んでた。


 浮かれた気持ちを誰に言ったわけじゃない。見透かされてはいたかもしれないけれど、母さんにだって直接伝えたわけじゃない。それでも、ティリルのことを一番考えてるのは俺だ、っていう自負が崩された喪失感は、俺にとっては今すぐに埋めなきゃならない大問題だった。


 だっていうのに、ティリルはまるで部屋から出てこようとしない。昼食も、夕食の時間にも部屋から出てこないで、物音一つ立てようともしない。生きてるのか不安になるほどの静けさに、母さんが「様子は見ておくから、心配しなくても大丈夫よ」って言ってくれた。でもそれで落ち着けるはずもない。俺にしかできない、ティリルのへの励ましがあるんじゃないかって、今度はそんなことを悶々と考えながら、その晩もろくに寝付けなかったんだ。




 そして翌朝。やっぱり二人きりの朝食を終えた後、俺はさっそく考えた作戦を決行する。


「ね、ねぇ、母さん。今日の夕飯とか、なんか予定ある?」


 母さんは部屋の埃を掃いている。さっき洗い物を終えたところで、家の仕事はまだまだたんまりあるんだ。


「まださっき朝ご飯を食べたところよ。それに今日あたり市へ下りてみようと思っていたところだったから、まだ何も考えていないわ」


「だったら、シチューにしよう。ウサギとかトリとか豪勢に入れてさ!」


 俺は、声を高らかに提案した。


 俺にとっちゃ起死回生の策だ。前に母さんが作ったシチュー、ティリルがすごく美味しいって言いながら食べてたの覚えてたんだ。


「そうねぇ。じゃあ、そうしようかしらね」


「やった! じゃ、俺町まで行って買い物してくるよ。この時期なら何かしら肉が出てるだろうし、あと牛乳と野菜を適当に」


「ニンジンとジャガイモならあるわよ?」


「あれ、いつ買ったんだっけ?」


「ゼーランドさんにもらったのよ。食べきれなかったから使ってほしいって」


「ああ、そっか。じゃあそれ以外で、なんか適当に選んでくるよ。これがないと!って言うようなもの、何かある?」


「いいえ。任せるわ」


「よし! 俺、ティリルも誘ってくる!」


 母さんの許可を得た俺は、飛び跳ねるようにティリルの部屋に向かう。背後で母さんが何か言ってたみたいだったけど、もう俺の耳には届かない。


 例の二階の右側の部屋。扉は鍵が開いてて、俺はノックする気持ちの余裕も持ってなくて、ついそのまま飛び込んじまった。


「なぁっ、ティリル!」


 ティリルはベッドに俯せに、枕に顔をうずめて寝転がってた。


 泣いてたんだろうな。けど、俺はやっぱり自分のことで頭がいっぱいで、ティリルの気持ちに気付いてやれてなかった。


 ベッドの端に飛び乗るように座って、そんなティリルの背中をぱんぱんって叩いて。


「町へ行こうぜ! 母さんが夜シチュー作ってくれるっていうからさ。肉とか野菜とか、買いに行こう?」


 ティルは答えない。同じ姿勢のまま動かないで、一言も発しないで。


 俺は正直不安になって、強引にティリルの肩を掴んで上半身を持ち上げた。


「なぁティリルっ、無視するなって!」


 無理矢理俺の方に向けられたティルの顔は、見たことないくらいぐちゃぐちゃだった。目は赤くて、瞼ははれぼったくて、前髪はぼっさぼさで、頬にはシーツの跡がついてて、よだれも鼻水もろくに拭けてなくて。


 見た瞬間、俺も動けなくなっちゃって、言いかけた言葉が喉に張り付いて出てこなくなっちゃった。ティリルはすぐに俺の手を振り払って、逃げ込むようにまた枕に顔をうずめて。


 ごめんって、気が付いたら口からこぼれてた。それもまた、余計な一言だった気もする。


 打ちひしがれて、ゆっくりベッドを降りて、とぼとぼと部屋を出て行く俺に、それでもティリルは一言答えてくれた。


「……うん、準備する」


 蚊の鳴くようなその声が、俺にとっては飛び上がるほど嬉しくて、家の屋根が揺れるんじゃないかってくらいの大声で「ああ!」って返事をしちゃったんだ。





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