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遙かなるユイス・ゼーランドの軌跡  作者: 乾 隆文
序章 第四節 ティリルが家に来た日
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0-4-1.砂漠の夜の、昔がたり








「ねぇ」


 シーラが俺の背中に、体を預けてきた。


 なんだよ、と、わざとぶっきら棒に聞き返す。


 男ってのは難儀なもの。こいつをそんな対象だとはこれっぽっちも思ってないのに、この、気の抜け切った夜風の中、体温まで伝わってくる距離感で甘い声を出されたら、鼓動を早めるくらいの反応はあっという間にしちまうんだ。


「聞かせてよ。ウェルがなんで、この国に来たのか」


「は? どういう意味だよ」


 ぶっきら棒続行中。動悸に加えて、コイツがそんなことを言い出すことへの警戒心もある。こいつはホントに油断ならない。人を油断させて、ええと――、と考え込ませて、その隙に服でも脱いで襲って来ようとする。ふざけた痴女だホント。


「違うの。今日はそう言うんじゃなくて」


 違うと言いつつ、いつになく甘えた声。そう、いつもよりもずっと、甘ったるい声を俺に向けてくる。警戒するなっていう方が無理だ。


「じゃあ、どう言うんだよ。っていうかお前、酔ってるだろ」


「酔ってるよぉ。酔ってなきゃウェルの昔話なんて聞こうと思わない」


「……それはそれで、酷くないか?」


「アタシはね、いつも“いま”にしか興味ないの。今が楽しけりゃいいの。過去がどうだっていいの。未来なんかこれから好きに作り変えればいいの。

 だから今こうしてウェルに聞いてるのは、ホントにただの戯言。ちょっとだけね、好きになった奴の過去を覗くのも、悪くないかなって」


「……酔狂だな」


「あはは、文字通り、ね」


 けらけらと、笑うシーラ。その後頭部が、俺の頭にこつと当たった。


 戦場でこいつに背中を預けるのも今更珍しくもないのに、どうしたんだ俺は、顔が火照って堪らない。頭の高さが同じになる珍しさに当てられてるのか。背中合わせでよかった、なんてホントに俺もどうかしてる。


「強くなりたいって思った。一言で言ったら、そういうことだよ」


「一言で言わなかったら?」


「……強くなりたいって思った。故郷で腕を磨いたけど、まだまだ足りなかった」


「いやぁだ、もっと語ってよ。夜はほら、まだまだ長いんだよ?」


 なんだか、今日のシーラは随分と(いとけな)い。おかげでこっちもついつい気が緩んじまう。よくないなぁ、コイツのわがまま聞いたところで、悪い結果にしかならないのはわかってんのに。


 シーラにあいつの話したって、喜ばれるわけないのに。


「ね? 聞かせてよ。ウェルがどうして、力を求めるのか」


「守りたかったんだよ。でも、俺じゃ足りないってわかったから」


 ついに断片がこぼれちまう。あぁあ、ったく俺の意志の弱いこと。


「え、なになに。誰を守りたかったの?」


「…………はぁ。

 わかったよ。じゃあ話すけど、いいな? 明日には忘れてろよ?」


「あはは、むりー。アタシこれでも記憶力いいんだから」


「ホントかよ」


「ホントだよ? 例えばそうね、ウェルと初めて会った日、アタシが選んだのは紫のアトラクティア風の透かし布(レーエス)下着だった」


「ブレないなぁ、お前」


 きししと歯を擦るような笑い声を出すシーラ。俺はもう、呆れて溜息すら出ない。


 そもそも下着の色やデザインなんか、俺の方が覚えてないんだし、記憶力の証明になんかならない――。


「ほら! そんなことより早く話した話した!」


「わ、わかったよ。途中で寝るなよ」


 やっとこぼれた溜息一つ。俺はこの砂漠に来て初めて、他の誰かに幼馴染の名前を言って聞かせたんだ。



          ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 話を聞かされたのは、前日になってからだった、と思う。


 親同士じゃあ話がついていたんだろうな。だってこんな大事なことを二、三日の猶予で突然に決めたりはしないだろうし、といってそんなに早いうちから十歳そこらの子供の耳に入れておくとも思えない。そうでなくても、母さんの口数が少ないのは元々だ。


 ともあれ、俺が母さんから知らせを聞いたその夜は、嬉しくて全然寝らんなかった。


 ティリルがうちに来る。そのことを考えるだけで、腹の内側がくすぐったくなって、布団の中で一人で何度も悶えてた。明日になったら何して遊ぼうかって、そんなことが頭の中をいっぱいにぐるぐる回ってて、とても眠るどころじゃなかった。


 明日になったら――。


 まずはティリルの部屋を作るのを手伝おうか。


 さっき母さんが、二階の右側の部屋を開けてた。半分物置になってた部屋から衣装箱や小物入れを運び出して、埃を払ってた。あそこがティリルの部屋になるんだろうな。ベッドとか、コート掛けとか最低限の家具はあったはずだけど、言ったってティリルも女の子だ。あんな殺風景な部屋でいいわけない。オシャレなところってそんなに見たことはないけど、それなりに服だって持ってるんだろうし、小物とか家具とか気に入りの手放せないものだってあるに決まってる。


 カーテンだって絨毯だって、今ある古ぼけたやつじゃとても女の子の部屋に見えない。そういやティリルの部屋のカーテンはかわいらしい色合いだった。持ってきたいって言うかな。


 いや……。ティリルの部屋って言や、一番大事なのはあれじゃんか。うん、本だ。


 待てよあれを全部持ってくるってなったら、こことティリルの家を何往復しなくちゃいけないんだ? 本棚だって持ってこなきゃいけないだろうし……。うわぁ、大変だな。明日はどんだけ体力が必要なんだよ。


 ――今にして思えば、ガキだったなって思う。その時の俺は、自分のことばっかりで、人の気持ちなんて全然考えられなかったんだ。


 翌朝うちに来た時のティルは、旅立とうとするユイスおじさんの背中にしがみつきながら、この期に及んで必死に泣き喚いてたんだ。「置いてかないで」って。




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