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遙かなるユイス・ゼーランドの軌跡  作者: 乾 隆文
第二章 第四節 バドヴィアの日誌
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2-4-8.「いや、なんでだよ」







「落ち着いて話をするためにここに来たんだ。本の内容はどうだ?」


「うん。さすがバドヴィアの研究日誌。ズバッ、ぎゅわって感じね! 解読にも時間かかりそうだし、続きは国に帰ってゆっくりまったり読み込もうかしらね」


「ふざけろぉぉ!」


 ミディアの反応にゼノンが吼える。今にも刃物を抜きそうな勢い。


「お前人の話聞いてたか? 聞いてねぇな? おい、それは人からの預かりものなんだっつってんだよ。簡単にやるわけにいかねぇんだよ」


「は? あんた誰よ?」


「おいそっからか?」


 舐めてんなよクソ女。見る間に口が汚くなっていくゼノン。罵詈雑言浴びせられても耳許に集る蚊程も気にしないミディア。そして、それをツマミにして涼しい顔で酒を飲むシーラ。ああメンドクサイ。こいつらほったらかして、さっさと塒に帰っちゃいたいなぁ。


 っておい。ここで酒注文するなよミディア。店員たちもこの卓に近付くの嫌がってるぞ。


「わーかった、わかったわよ。要するに、あんたもこの本がないと困るのね?」


 恐々運ばれたリンゴの果実酒をちろり舐めながら、ようやくミディアがゼノンに目を向けた。ゼノンはぜはぁぜはぁと息を切らしながら、枯れた声でそうだと答える。


「じゃあ、ぱぱっと書き写しちゃうわ。私は中身を持って帰れれば十分だから」


「え、それでいいのか?」


 提案された、意外に穏やかな結論に、思わず俺は声を上げてしまった。何としてでも原本を持って帰ると頑なな態度を守るだろうと、俺はミディアの気性をそう分析していた。


「まぁね。そりゃ盗んででも保存したかった本ではあるんだけど、正直保存状態がボロボロだし、おまけにぐちゃぐちゃ落書きもされてるしで、気持ちが萎んじゃったわ。資料保存の意味で一度写本作っておけば、後はメディンの国立図書館に寄贈しとけばいいかなって」


「シャホン……って、何だよ」


 ゼノンが肩で息をしながら質問する。書き写した本のことだよと教えてやった。


「つまり、この本丸ごと書き写すってのか?」


「五十ページくらい大した量じゃないわよ。一週間もあればスパッと写し終わるわ」


「い、一週間も待たせるのかよっ?」


 それくらいは待てよ、と呆れ気味に首を振ったのは俺だ。傍目から、ゼノンは譲歩のしどころだと思う。勝負に負けた罰則が、任務遂行の日程にプラス六日間。聞いた範囲では急ぎの仕事でもなし、本自体を失う展開を考えたら甘受できる話じゃないだろうか。


「うぅ……、しょうがねーなくそっ! いいよ待ってやるよ、その代わり、一週間分の宿代飯代は用意しろよ」


「なんでだよ」ゼノン以外の三人の声が、きれいに揃った。


「誰も待っててほしいなんて頼んでないだろ。さすがにそこは、嫌なら帰ったらどうだ?」


「あたしも同感。あんたが駄々捏ねるから一週間で返してやるって話になったんじゃん?」


「っていうか私こそ宿代出してほしいわ。調査費の申請ってゲロゲロなんだからね?」


 ゼノン以外の勢いも、きれいに揃った。捲し立てられるゼノンはたじたじだ。


「いや、だって、俺だってもう小遣いが……」


「稼げばいいでしょお? あんた盗賊じゃん」


 あーだこうだと、またぞろ質の低い議論が盛り上がる飲み屋の隅。


 条件としては、シーラは酔っていた。


 ミディアも飲み始め、すぐに呂律が怪しくなった。


 ゼノンは飲んでいないが、雰囲気に飲まれて恐らく焦燥が大きい。


 もしこの条件下に素面の俺がいたら、ここでシーラが唐突に提示した案に対し、冷静な反応(ツッコミ)ができていたことだろう。


「もぉ、しょーがない! うん、もう、二人とも、ミルレンダインで面倒見てあげるよ! ついてきなさい!」


「いや、なんでだよ」


 あいにく俺も酔っていたので、この程度のツッコミしかできなかった。




「……で。なんでこの二人をミルレンダインに連れてかなきゃいけないのぉ?」


 飲み屋から出た帰り道。月と星に見守られ夜風に当たって、少しだけ冷静になったシーラがぼんやりした目でそんな感想を呟いた。


「いや、なんでだよ」


 俺自身の酔いも大分覚めてき、さっきよりは随分冷静なツッコミができるようになってきていた。さっきと同じ? そんなわけない。さっきよりは随分キレがいいはずだ。


「あたしが聞いてんだけど?」


「俺が知るかよ。二人の面倒見るって胸張ってたのはシーラだろ」


「そうだっけ?」


 酔いが覚めて来たのか、駱駝の背に揺られながら眉間に皺を寄せるシーラ。かと思うとくひひと変な笑いを浮かべ。


「ウェルも実のとこスケベだよねぇ。『胸張って』なんてあたしの胸ばっか見てたんだ」


「お前は何の話しててもそうなるんだな。エロオヤジか」


「年頃の可憐な乙女に向かって、その言い草はどうなのさー」


 口を尖らせ、ぶちぶちと文句を垂れるシーラ。


 そう言うなら、たまには可憐なところを見せてみろよ。いつだって胸さらけ出して襲い掛かってくるじゃないかよ。言葉にはせず、溜息だけついて。それから、俺は意識を後ろの二人に向けた。


 ミディアは夕刻買ったばかりの駱駝に乗りながら。鞍の上で尚、件の日誌に夢中になっている。まだ慣れない新しい主人からの全幅の信頼に、むしろ駱駝の方が戸惑っているように見えた。


 ゼノンは馬。持久力よりも機動性を重視しているようだ。だがやり場のない苛立ちが、無意識のうちに鐙に伝わっている。戸惑いながらも諦めも見せる、そんな馬の表情からは、ゼノンとの付き合いの長さが感じられた。


 なんだかなぁ、と俺も戸惑い呆れながら、もう一度前を向く。


 俺が跨る駱駝は、買って数日と言ったところ。少しは慣れてくれたと思うけど、まだ以心伝心ってわけにはいってない。


 ミルレンダインの塒に戻り、酒の入った連中の好奇の目を逃れながら、真っ先に向かうのはマウファドのところ。


「ん、客か?」


 多分に漏れず盃を濡らしていた頭領の睨視。相変わらず、身震いするような眼力だ。


 どうせ拒まれるにしても、アグロ副頭領よりマウファドの方が話が早いだろう、そう考えての選択だったのだが。


「ほぉ、グランディア人の学者と、クウェイトんとこのガキか。面白い組み合わせだな、いいじゃねぇか」


「え……、いいって、父さんホントにいいの? こんな連中ここに置いて」


 思わず驚くシーラに、マウファドは眉を顰め、「お前が連れて来たんじゃねぇのかよ」とぼやく。


「意外だよ。俺のこともすんなり受け入れてくれたし。盗賊団ってもっと排他的なのかと思ってた」


 やいのやいのと騒ぎ立てるシーラとゼノン、それからミディアの三人を横目に、俺はマウファドに聞いてみた。酒を片手に、左の眉だけを上げ、つまらなそうな顔。


「盗賊団、なんて一言でまとめられてもな。それぞれに生き方があるし、それぞれに考え方がある」


 ああ、それもそうだ。当たり前のことを言われて、俺は自分の偏見を反省した。


「他所モンだからって追い出したら、面白いものも見損ねる。平穏なんてつまんねぇよ。何も新しいことが起きねぇ人生なんてよ。

 まぁ、あくまで俺の考えだ。こいつらが他の連中と何か揉め事起こすなら出て行ってもらうことになるだろうし。それに、俺がやめた後は新しい頭領がどう考えたって俺も口出ししねぇしな」


 付け足すときには、口許をにやつかせていた。


 言外のプレッシャーは受け取る。さっさと覚悟を決めやがれ。顔に書いてあった。


「まぁ、俺もあんたに面白いと思わせられるように、頑張って強くなるさ」


「お前はもう、十分面白いぜ?」


 努めて強がった俺に、マウファドは意外な評価をくれた。


 目を丸くして見返すと、けれど目線は返ってはこない。小さく酒を舐めながら、まぁでも喧しくなるのはちょっと鬱陶しいな、とじゃれ合う三人を眺めながら話を変えるのだった。


「そりゃまぁ、申し訳ない」


「他所モン受け入れるのは構わねぇけど、たまには清楚で胸のでかいイイ女、みたいなのも連れてこいや」


「あー。善処するよ」


 マウファドも浮ついた冗談を言うことがあるのか、と感心しながら、俺はボリボリと頭を掻いて答えた。





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