2-3-8.「怒らないから言ってみろ。何飲ませたんだ」
ぎゃあぎゃあと騒いだ割には結局時間をかけて辿り着いたベイクードの街。
ハイエナは、オアシスから離れた頃にはもう気配がなくなっていた。それでも駱駝のいない帰路。だらだら歩いてたら、帰り着くのが何時になるかわからない。息を切らせるサイフォスの背を押して無理矢理急がせ、どうにか夜中と呼べる時間のうちには帰ってきたところだ。
「えぇっ? 駱駝の代金、僕が弁償するんですかっ?」
「当然でしょっ? あんたがあの変な花火玉を使わなきゃ、もうちょっと楽に帰ってこられたんだから!」
そんなの契約にない、とぶつぶつ愚痴を零すサイフォスだったけど、俺も甘い顔をするつもりは毛頭なかった。こっちは契約内容は全うしたんだ。その上で依頼人の余計な手出しで損害が出たんだから、補償はしてもらわなきゃ割に合わない。
……なんか、さっき買ったばっかの駱駝だったのにな。愛着も湧かないうちに別れちゃったのがちょっと淋しい。
「さて、ここで約束の代金プラスアルファとサインをもらえれば仕事は完了。何か不満があれば、一緒にグァルダードに来てもらって、互いの言い分を調停してもらうわけだけど」
「……いや、いいです。揉めても仕方ないですし。……駱駝代、痛いなぁ」
「了解。じゃあ、この辺で別れよっか」
シーラが提案した。「この辺」は最早サイフォスの店のすぐ近く。なんだかんだとここまで連れて帰ってくるのだから、シーラも結局サービス精神旺盛なんだなあ。
金を受け取って、別れて。代わりの駱駝を買い直してからグァルダードに行きましょうか、とこの後のことを話し合うこと二分ほど。
「ああっ!」
唐突に、シーラが大声を上げた。
「あたしアイツに大事なこと伝えそびれちゃってたわ。ごめんねちょっと待っててくれない? ちょっと行ってくる」
「え、ああ、いいけど。別に一緒に行くぞ?」
「や、大丈夫。ホントにちょっとした話だからさ。ここで待ってて。ホントにすぐ戻るから」
何やら慌てて、そしてサイフォスの店に走っていくシーラ。
何だろう。何を伝え忘れたって言うのか。仕事に関する話なら、俺も聞いておいた方が今後の参考になりそうな気がするけど。
夜の街。行き交う人の姿は多くはないがそれなりに見受けられ、皆一様に忙しそうにしている。ここで品物と金を扱っている商人たちは一体いつ寝ているのか。シーラがそんなことを言っていた。確かに彼らの忙しない動きと強い口調でのやり取りを眺めていると、休む暇なんてなさそうだと感心してしまう。
少しく疲れを感じて、道の脇に寄る。小さな穴あきバケツが転がっていて、腰を下ろすのに使えるかと試してみたんだけど、座り辛くて諦めた。
…………。
「遅い」
すぐ戻るって言ってたのに、多分もう二〇分経ったってのにまだ戻ってこない。
ぱさぱさと砂を相手に貧乏ゆすりを始め、そこから更に一〇分ほど経ったように感じた頃、ようやくシーラが戻ってくる姿を目にした。
「ごめんごめん、遅くなっちゃった」
「何してたんだよ。時間がかかる用件なら俺も一緒に行ったのに」
「ううん、違うんだ。用件自体はすぐに終わったんだけど、あいつがなんかトイレに籠ってたみたいで、なかなか出てこなくって」
はぁ、そうかい。気のない返事をして、歩き出した。
「まぁいいさ。言わないって言うんならもう聞かない。俺も疲れてるしな。やることやって、さっさと帰ろう」
「うんそう。そうだよ。そうしよう、ね」
にっこり笑うシーラの顔に、砂一掴み程の違和感があったようにも感じたけど、それは掴んだ指の間をさらさらと逃げ落ちて、あっという間にわからなくなった。もう一度掴み直そうという思いは、今の俺の中には湧かない。
まあいいさ。大したことを隠しているようには確かに見えないし。さっさと駱駝を買って、グァルダードに報告に行って、塒に帰ることにしよう。
「うふふふふふふふふふ……」
……うん。シーラの気色悪い笑い声は、聞こえなかったことにしよう。
街で食事をしてから、塒に戻ってきた俺たち。時刻は夜中の四時。ミルレンダインにとってはまだまだ酒が美味い時間らしいけど、来て数日の俺はまだまだ時差ボケの真っ最中だ。ひどく疲れたので、顔を見ては酒を誘ってくる連中をすべて断り、宛がわれた部屋に潜り込む。
「やっぱり疲れた?」
一緒に部屋に入ったシーラが、珍しく静かな口調で聞いてきた。そうだな、と答える。今のシーラに答えるのにちょうどいいくらいの投げ遣りさで。
「ふふ。初めての仕事だもんね。まだまだ早い時間だけど、今日はもう休んじゃった方がいいんじゃない?」
言いながら、シーラは優しくグラスを渡してくれた。中は透明な水。酒には見えない、水。
「どうした? 水なんて勧めてきて」
「へ? な、なんで? 疲れてるだろうから、飲むかなって思ったんだけど」
「いや嬉しいけど、いつもは絶対酒を勧めてくるだろ。酔わせて襲ってやる、とか言いながら」
「そ、そんなこともあったかしらぁ? うふふん。まあ細かいことはいいじゃん? お水、飲まない?」
怪しさしかない笑みを零しながら、ごまかしにもなってない言い分を口にするシーラ。
喉は乾いていたけど、さすがに飲む気が起きなくて、けどシーラの凝視を掻い潜ることも難しくて、さてどうしたものかと悩んでいると。
「おい、シーラ? ちょっといいか?」
部屋の戸を叩く音と、シーラを呼ぶ声があった。
「ん、誰? アグロ?」
呼ばれて応対するシーラ。今だとばかり、荷物にあった空の水筒に水を移して、一気に飲んだ振りをした。
「もう、何なのよ」
「アグロか。どうしたって?」
「知らない。今ならまだ間に合う、とか何とか」
「間に合う? 何にだ?」
「さあ。寝惚けたんじゃないの」
そんなことより、飲んだ? 飲んだ? ――空になっている俺の手許のグラスを見、あはとひと笑い。美味しかったでしょと気遣ってみせる。ああ、ありがと。彼女の笑顔に寒気を感じるようになってしまった俺は、あれこれ気にせずさっさと寝てしまうことにした。
「寝る? もう寝る? じゃあ、あたしももう寝よっかなー」
「おお。そうしろそうしろ」
真ん中をカーテンで分けてある、小さな筵のあっちとこっち。
シーラが何を企んでるのか気になったけど、もう寝ちまえばそれで終わると、俺はシーラに背を向けさっさと横になって目を瞑った。
――ぐに。
「ぅおいっ! 何触ってんだよ!」
「なんでよぉっ! なんで勃ってないのよぉっ?」
「いきなり何の話だ!」
「だって三十分もしたらギンギンになるって言ってたのに……。やっぱアイツの薬なんてこれっぽっちも効かないじゃないのぉ!」
「……シーラ。まぁ、落ち着け。水でも飲んでさ」
「落ち着けないよぉ! 駱駝代チャラにしてやったってのにこんな使えない薬掴まされたんじゃ、とんだ詐欺じゃないのぉ。……んぐ、うぐ……。……なんか、この水変な味しない?」
「――で? 俺に何飲ませたんだ?」
「え?」
「怒らないから言ってみろよ。サイフォスの店でどんな薬を買って、俺に飲ませたんだ?」
「……えへ?」
「なにを、飲ませたんだ?」
「媚薬」
「……そうか」
「えっと、怒ってない?」
「ああ、怒ってないよ。でも身の危険を感じるから、今日は外で寝ることにするわ」
「待って待って、だってウェル全然効果出てないじゃない。別に外に行く必要――」
「ギンギンになったシーラの横じゃ、危なっかしくて寝てられないから外行くよ」
「え、それってどういう意味――、え、ねぇ待って、今の水って――、え、ウソでしょ? え?」
「じゃあな、おやすみ。いい夢を」
「ヤダ待って、待ってよウェルぅ! やぁん、こんな、体火照っちゃって、あたし寝られないじゃないさぁ……」




