2-20-4.「ハドラにも戦う理由があるはずだ」
やがて、空気が震えた。
始まったと、肌が感じ取った。三人とも、誰からともなく立ち上がり戦闘態勢を整えた。足音を潜めながらこの広い研究室跡を出て、廊下を進んで階段を上る。
上った先には二つの扉があった。右に小さな扉が一つ。左には、両開きの大きな扉。正面は、壁。
「どっちだ?」
ゼノンが喚く。そっとハドラの顔を見てみたけど、何か知ってるような表情じゃなかった。
俺が知るわけはない。じゃあもう、あとは適当なことを言うだけだ。
「……昔話なんかじゃ、小さいものに福が詰まっていることが多いんだけどな」
「っつーことは、奴らは小さい部屋にいるってことだな!」
戯言を受け取って、ゼノンがにやりと笑う。
「……えっと、敵がいる方が、福、なんですか?」
ハドラが戸惑う。
妥当な疑念に、思わずくつくつと笑い声を上げてしまった。
「よっしゃいくぞ!」
ゼノンが右の小さい扉に手をかけ、声も大きく確認する。俺とハドラは、黙って肯いた。
錆びたノブがキイィと悲鳴を上げ、鉄の扉がその口を開いた。
中は、まるで書斎。大きく立派な書き物机と黒の皮張りの柔らかそうな椅子。壁の一面に本棚が並び、古びた書物が背表紙を揃えて行儀よく立っている。
人はいない。ゼノンはすぐさま「ハズレだっ!」叫んで、扉を閉めた。そしてその勢いで、「次っ!」と叫んだのが早いか、背後の両開きの扉に手をかけたのが先か。ホント元気だなぁ。敵に会う前に疲れちゃうぞ。
大きい扉の部屋は、中も大きな部屋だった。幅も奥行きも、軽く二十メトリ。高さもゆうに五メトリはある。
そこに乱雑に木箱が積み上げられ、太った布袋がいくつも転がされ。それから剥き出しの本や紙片が高々と重ね置かれている。倒れないように、互いに寄りかかりながら。
その、山となった資材の隙間に、アミラがいた。手に古びた本を持ち、暢気にページをめくりながら、あらと目線をこちらに動かす。まるで店番の最中に仲の良い友人が遊びに来た、くらいの緊張感のなさで、俺そして達に微笑みかけて見せた。
「こんにちは、また来たんですね。ガゼルダ様なら外に行ってしまいました。今ちょっと、騒ぎが起こってるんですよ。そういうときは部下に任せて、首領は奥でどっしりと構えていてほしいと思うんですけど、ガゼルダ様もボズロ様も、まず自分が出ていってしまうんですよねぇ」
「……その間、あんたが留守番ってことか?」
聞くと、また一つにっこり笑って。
「私はこの部屋のお片付けです。そろそろ下の部屋を使うので、物置にしていたこの部屋も使えるようにしないといけないんだそうです」
腰に手を当て、それから少し表情を曇らせて。部屋の全体を見回し、深い溜息を零す。
「もう少し早めに言ってほしいんですよねぇ。昼間っからずっと、この時間までぶっ続けの作業ですよ。こんな大量の荷物、そんなにすぐに片付くわけないじゃないですか」
ねぇ、と首を傾け、こちらに同意を求めてくる。
「……何に、使うんですか?」
会話を望んだのはハドラだった。戯言なんて無視しようと決めていた俺でもゼノンでもない。敵を前に彼が口を開くなんて、正直意外だった。
「この部屋は……、下の研究室に繋がる倉庫入り口、の、はず……。下に降りるためには、ここか、隣の小部屋を通らなければいけない。……ですよね?」
「あなたは――? この建物に詳しいんですか?」
「……あなたたちに奪われる以前、僕は、この廃墟を管理、していました。……おぞましい実験に加担していた、先祖の罪を、贖うため。……潰された命の無念を、慰めるため」
「ああ」何かを思い出した、とアミラはぽんと手を叩き、それからにっこりハドラの顔を見た。「確かにいましたね。私たちがここを根城と決めたとき。ただの浮浪者だと思っていましたが、まさかこの施設を管理する人だったなんて」
「あ、その……」
くすりと零すその笑み声に臆したか。ハドラが少し言葉を見失ったようだった。
無理もない。いまだにゼノンにすら怯えを隠さない彼だ。むしろ、第一声を発したことの方が余程彼らしくない、
けど、ハドラにも戦う理由があるはずだった。でなきゃ自ら同行を志願したりしない。
「…………。……教えてください。この部屋を、何に使うんですか……?」
「ここの管理者だというのなら、使い方は知っているんじゃないですか? 私も人から聞いた限りですけど」
「…………ここは、……ここは、無闇に使っていい場所じゃ、ないんです。……ここは恐ろしい場所です。あなたは知らないかもしれませんが……、ここではたくさんの人が、苦しめられ傷付けられて殺された場所――」
「知ってます。それで?」
アミラの笑顔は崩れない。どれほどハドラが声を震わせ、言葉を絞り出しても、その微笑みには罅ひとつ入る様子がない。
「……ここは、そうして殺された人たちの怨念が、渦巻く場所です」




