2 節間ー8. シーラ・リュスタル=ミルレンディア.8
夜。
薄っすらと耳に入ってくる外の騒がしさに、彼はぼんやり目を開けた。
痛つっ、と苦痛の声を漏らしながら、裸身のままの上半身を起こす。伸びた銀の髪に隠された背中には、赤黒い痣が線状に歪に、いくつも並んでいる。
痛みを飲み込みつつ首を上げると、小さな蝋燭の火が一つ灯っているだけの薄暗い部屋の入り口に、彼は人影をひとつ見付け。
「……シーラ」
震える声で、あたしの名前を呼んだ。
「どうやってここまで来たんだ」
「ふふ。あちこちでランプを倒したり、天井を崩したり。ちょっといろいろ暴れてきたんだ」
いたずらっぽく笑いながら、サディオの寝台に近付く。弱々しいサディオの微笑みは、それでもいつもあたしに向けてくれていた、暖かい微笑みを昔のまま、残している。
「……それで、マンドルマまで誘い出せたのか。すごいな」
「あたしの仕業だっていうのはわかるようにいろいろしておいたからね。今頃、あたしのことを殺してやるって息巻いてるんじゃないかな、えへへ」
「笑い事じゃないぞそれ。あの女、やるとなったら本気でやるからな」
舌を出して笑うあたしに、サディオが溜息を吐いた。
そしてまた、小さく顔を歪める。あたしは小さく、ごめんねと呟いた。
「何が?」
「あたしが考え無しに来ちゃったから、サディオの立場が悪くなったよね。百叩き、されたんでしょ」
「いつものことだよ。あの女の趣味だから」
そう、優しく笑ってくれる。サディオはいつも、あたしを責めない。血は繋がってないけど、実の兄妹みたいに、いや、実の兄妹以上にあたしのことを可愛がってくれる。
「サディオ、一緒に来て。ここを離れよう」
「…………」
「きっとみんなどこかで生きてるって信じてたけど、なかなか居場所がわからなくて、助けに来るまで今までかかっちゃった。でもみんなはあたしの大切な仲間だし、団員だし。なんとしてでも助け出して、また一緒にミルレンダインを再興したいの」
サディオの手を握る。目を見詰めて、まっすぐに訴える。
サディオならきっとあたしの力になってくれる。そう、信じられた。
「……無理だ」サディオは目を伏せ、呟いた。「女性や子供たち、みんなをここで保護してもらう。その条件として、僕はマンドルマに忠誠を約束したんだ。僕が逃げればみんなが殺される。逃げるわけにはいかないよ」
「そのことなら大丈夫だよ。もう、みんな逃げてるから」
「――え?」
戸惑いの表情を見せるサディオ。
この部屋は、マンドルマの部屋の奥からしか来られない、彼女のお気に入りの男たちの詰所。単身ここに潜り込むのがどれ程大変だったか、サディオに想像できるだろうか。
小屋の屋根の上に身を潜めていたあたしだったけど、結局は作戦の共有が必要だと結論し、ヤツミナさんとだけ接触した。見張りの兵は勿論、他の仲間たちにも見付からないように、こっそりと。ヤツミナさんの話だと、ジェブルおじさんや他のみんなは、夜には戻ってくるっていう。それならと、あたしは夜になってから根城のあちこちに火をつける作戦を立てた。あちこちのランプの油を漏らしたり、積み上げられた資材から木片やら紙束やら燃えるものを探し回ったり。
別の場所に木の小屋をもう一つ見付けられたのは幸運だった。兵士たちが休憩を取るような場所みたいだったけど、とにかくここを大きく燃え上がらせて、兵士たちも、マンドルマ本人の目も釘付けにできた。魔法の風にあたしの声を乗せたから、大火事のごたごたの中でなら、あたし自身があのすぐそばにいるはずと思い込ませられただろう。マンドルマも火災の現場にあたしを探しに行ったはずだ。
その隙に、仲間たちはここの外に逃げて南西の集落へ。あたしは、マンドルマの部屋を通ってサディオの元へ。そういう流れだった。
「みんな逃げてるって――」
「説明はあとあと! 早くここを出るよ」
急かすあたしに、サディオはわかったと頷き。急ぎ上着を着、細剣を腰に携えて部屋を出る準備を整えた。時折顔を歪めるのが痛々しい。もう少しうまいやり方があったかもしれないなぁ。
「さぁ行くよ」
準備を整えたサディオの、手を取って走り出す。
マンドルマの部屋にはまだ誰も戻ってきていない。まだ、奴らはあちこちの火災に翻弄されてるみたいだ。
「こっち!」
部屋を出て、皿にサディオを引っ張って走る。燃やした小屋とは別の方向。ヤツミナさんたちのいた小屋とも別の方向。騒ぎのない、人の少ないはずの方へ向かって、ナイフを手に走り抜ける。
時折、女兵に出くわす。
「なんだお前たちはっ?」
返事なんてしない。代わりに魔法の風で足許を浮つかせ、鳩尾にナイフの柄を叩き込む。
うぐと呻いてその場に倒れ込む女兵。サディオはひとつ先の角まで先に行き、そこで同じように兵を一人蹲らせていた。
「さすが!」
「シーラっ、無理するなよ!」
駆け寄るあたしに、サディオは悠長な気遣いをくれた。
そうだった、そうだった。やけに納得してしまう。サディオはあたしのことまだまだ子供扱いしてて、過保護なくらいに心配してよこすんだった。久しぶりにもらった言葉に、思わず苦笑してしまう。ここまで助けに来たっていうのに、まだまだあたしはサディオにとっては小さな妹なのかなぁ。
次の角でまた、女兵の姿を見かける。男共と違って、ここの女はみんな顔を隠して同じ服を着てるので、見分けがまるで付かない。人形がたくさん並んでるみたいだ。
がす、ごづ、と得物の柄で頭を叩き、敵を床に寝かせていくあたしたち。
出口はもうすぐだった。
よしと頷き、根城の外に飛び出す。
月と、いくらかの星たちが雲の切れ間に姿を見せている、広い砂漠。そこには男どもを十人ほどと、女兵士を何十人と引き連れた、でかい腹の紫の服の女が仁王立ちしていた。




