2-16-2.「覚えていやがったか」
慎重に言葉を零し始めていたシーラが、はっと息を飲み、二の句をしまい込む。全員の目が、扉に集められた。
「ちょっといいかい?」
乱暴に開けたその扉に左の前腕を預け、肩で息をしながら。闖入者の正体はハルトスだった。
「ど、どうしたんでますか組合長、そんなに慌てて――」
「緊急の事態でね。邪魔して悪いんだけど、ちょっと手伝ってもらいたいんだ」
「仕事か?」
ゼノンが首を傾げた。けど、ハルトスにはそうだと答える余裕もないようだった。
「報酬の話なんかは悪いけど後にさせて。なるべく意に添えるようにするから。とにかく戦える準備をしてきてほしいんだ」
「状況は」今度は俺が聞く。
「グァルダードに助けを求めに来た奴がいて、それを追ってきたハイエナがいる。問題なのはそのハイエナなんだ。一時的に保護した男を追って、ライトラールの窓口を押し通ってすぐそこまで入り込んで暴れてる」
「何よそれ!」
「マジでますかっ?」
ミディアとレマが、驚嘆の声を上げた。
「その逃げ込んできた男、何で匿ってるんだ? さっさと放り出しゃいいんじゃねーのか?」
投げ槍に質しながらも、ゼノンは既に臨戦態勢。壁に立てかけていた曲刀を肩に乗せ、空いた右手の指関節をコキコリ鳴らす。
「おら、行くぜ?」
「文句言ってるくせに、やる気満々じゃんか」
溜息を吐きながら、とはいえ俺も立ち上がる。強い敵に飢えてたのは俺も一緒。グァルダードの中心近くまで正面突破で潜り込めるなんて、並の実力じゃないことはまず保証されてる。
「助かるよ。僕は他にも何人か声かけてくるから」
ハルトスが笑ってすぐに踵を返す。その瞬間には、ゼノンも俺も走り出していた。
「ま、待ってよ!」シーラも後をついてくる。
「行ってらっしゃーい。くれぐれもこっちに誘導しないでね」ミディアはついてこない。
廊下に出ると、さっそく声が聞こえてきた。悲鳴、怒号。叫喚と焦燥。そして階段を降りると、一階はもう混乱の坩堝だった。
グァルダードに来るような連中だ。どいつもこいつも、多少なりとも剣は握れるはずだ。そいつらが、声を震わせ腰を泳がせて「ヤベぇ、あれはムリだよ……」と首を振っている。
「臆病モンはケツまくってろよ! さっさと道開けろ!」
そんな連中をかき分けて、ゼノンが喧騒の中心へ道を拓いていった。
――戦慄。瞬間、体中が泡立った。
今まさに足許の男性の首をかっ切って血飛沫を浴びた、その男。
「お?」
皆がふためき、逃げ惑う中、男の前に敢然と立った俺たちの姿は、男の目にも多少なり異質に映ったんだろう。大きく見開いた群青のその目は、あからさまに喜色に染まっていた。
「俺様の前に立つたぁなかなか気骨のある連中――、と思ったらお前たちか」
覚えていやがったか。俺はシーラを庇うように、体の重心を逆の足に移した。
顔が見えず、混乱と叫声の中では気配を察するのも難しい。シーラが今、昂っているのか怯えているのか、掴み取ることはできなかった。
「誰だお前。知らねーぞ」
真っ先に答えたゼノン。
男は背筋を伸ばし、ナイフ一振り、ついた血を払って。
「俺様もお前のことは知らねーな。覚えがあんのはそっちの二人だ。奇遇だな、再会できて嬉しいぜ」
忘れもしない。俺は黙って、剣を抜いた。
ヴォルハッドの襲撃の日、俺とシーラが二人がかりで戦って、まるで勝機を見出せなかった相手。
「なんてな。奇遇ってわけでもねぇ。俺としちゃ、お前たちとまた会えんじゃねーかって期待もしてたんだ。ま、こうもすぐに会えるたぁ思ってなかったけどな。さすがに出来過ぎだ」
「期待? どういうことだ」
「どうもこうもねぇ。俺もガゼルダも、お前らのことが気に入ってんだ。だからホントはお前らのこともさっさと処分しなきゃいけねーんだがな。目を零してやってんのよ」
にやにやと、確かに心底嬉しそうにその目を細めてこっちを見てよこす。
けど、聞きたかったのはそういうことじゃない。
「なんで俺たちがここにいることがわかったんだ」
「わからいでか。あんだけ大っぴらに情報収集しておいて」
男はころっと表情を変え、今度は眉を顰めた呆れ顔。
のんびり話をしているうちに、周囲の連中はそっと距離を取り始め、俺たちの周囲五メトリには斬られて動けない死傷者の他には人がなくなった。セラムのグァルダードの受付ホール、そもそも場所は広い。
周囲の確認に取れる時間は一瞬しかない。再びにやにや笑いを浮かべる男。隙を見せれば、俺もすぐに足許の男と同じようになるだろう。
「さて、せっかくの再会、のんびり茶でも飲みながら話をしたいとこでもあるんだが……、あいにく俺様も多忙でね」
ぎり、と、男はまるで得物を睨み付けた野犬か狼か何かのように、奥歯を向いて鼻頭に皺を寄せた。
手に握るのは大きめのナイフ一本。剣でもなく、弓でもなく。
「悪いが片手間にさせてもらうぜ」
言うなり、男はまた爆ぜた。
目の前から忽然と姿を消し、と思えばすぐ背後に気配を現す。
ぞくりと総立ちした背の鳥肌に、遅れて振り返ればもう男の姿は五歩も六歩も先。遠巻きに見ていたグァルディオン連中をナイフ一本で次々薙ぎ払い、血飛沫でホールを染めていく。
「ま、……待て――っ」
俺の制止の声なんて聞かず、まっすぐにグァルダードの奥へ進んでいく男。向かう先は仕事の受付カウンターが立ち並び、職員たちの控室がある方だ。
クソと毒づいてから、その背中を追った。




