2-16-1.「このままじゃいけない」
久しぶりに、ティリルの夢を見た。最後に会ったときと変わらない笑顔。……いや、最後に会ったときは辛そうな膨れ顔だったんだっけ。夢の中では笑ってた。俺の知ってる、可愛くて稚くて柔らかい笑顔のティリルだった。
他愛のない夢だった。実家で、なんていうことのない時間を過ごして、二人でたくさん笑って。よく思い出すと、少しエッチな展開もあったような気がするけど、うん、でも、そこはよく覚えていないことにする。何でそんな夢を見たか、原因はわかってるし。
ともあれ、目が覚めたとき、心の中は物凄く穏やかだった。幸せで、ふわふわした暖かい感傷に浸りながら、寝台から降りて服を着替えた。
頭が冴えたのは、朝食の後だった。
長く待たせない。なるべく早く帰る。現実のティリルに、約束したんじゃなかったか。ヴォルハッドという強敵を前に大きな壁にぶち当たり、壁を破る方法どころか、破る方法を探す方法すらろくに探せていない。砂漠に来て既に数か月。一歩も成長できていない気さえしてくる。挙句、先日のあの店での醜態だ。
最悪だな、と額を押さえる。
何より最悪なのは、ティリルの夢を見たのが久しぶりだった、ということだ。家を出てしばらくは、毎晩見ていた。随分と薄情なものだな、と心の中のもう一人の自分が今の自分を冷笑する。
このままじゃいけない、と、俺は拳を強く握り締めた。
「ってわけで、この俺が体を張って仕事して、ツカえる情報を一杯集めてきてやったんだ。ありがたく聞いとけよ、お前ら」
いつものメンツにレマまで集め、ゼノンのがふんと胸を張る。
件の店でジーナと部屋に籠ったゼノンは、大層楽しい思いをしてきたんだそうだ。こうしてみんなで集まる前、部屋で二人のときに、肌をつやっつやさせながらその話を聞かされた。それでまぁ、よくもこれだけ偉そうにできるなぁと感心してしまう。
「よく言うよね。娼館で遊んできただけの癖に」
目を背け、臭い匂いでも嗅いだかのように舌を出すシーラ。あら、へぇ、そうなの、とどうやら唯一知らなかったらしいミディアが、こっちはこっちで珍獣を見るような目でゼノンの顔をまじまじと見た。
「あ、……遊んできたわけじゃねーよ! 俺も仕事だから仕方なく、だなぁ――」
「あーはいはい、何でもいいから早く教えてくれる?」
今度は藪蚊を追い払うように右手をはらはらと振り、ゼノンの話の先を促した。ゼノンは少し顔を赤くし、チッと舌打ちを一つ。それ以上反論しても分が悪いとは判断したんだろう。気を取り直して情報の整理を始めた。
実際、ゼノンが集めてきた情報は、有益なものがとても多かった。
ヴォルハッドが、グァルダードに不満を持ってる一匹狼や、ライトラール辺りで燻っているその日暮らしの盗賊連中を引き入れて、三か月かそこらで戦える兵隊に鍛え上げているという話。
ジーナの常連客であったその男は元々はセラムを拠点に活動していた組合員だったが、去年の末頃ヴォルハッドに身を寄せ、この街を離れたこと。そして二か月ほど前に一度やってきて、この街に逗留したこと。
「そのときに店に寄って、この話をしてったらしいんだ」ゼノンが言えば、「二か月前……。ミルレンダインを襲撃したときのことだね」シーラが神妙に頷く。話の整合性が取れて、少しずつ連中の動きが見えてくるようだった。
また、疑問も生まれた。
ミルレンダインの襲撃は、本来予定外だったという話。
ゼノンが「確かに普通に考えて、最初に狙うならザード団だよなぁ。大してでかくねーし」と呟き。
ミディアが、「普通に考えるなら、きっかけはシーラの幼馴染じゃないの? アグロとか言う」と当てを付けて周囲の納得を促した。
内部からの密告者が現れ、急遽予定を変更して、その情報が新鮮なうちにミルレンダインを叩く。当たり前とも呼べるわかりやすい理由に、皆が納得の素振りを示したけど、俺は心のどこかに何か引っかかるものを感じた。
といった具合に、ゼノンの情報はみんなの興味を引き、議論を促したわけなんだけども。
中でも一番有益だったのは、次の話だった。
「その男は今はヴォルハッド団の一員として、このセラムを離れて西の拠点に移ってるんだと」
呆れ気味に語るゼノン。
その言葉に、聞き手の全員が息を飲んだ。
「西の拠点……」シーラがうぅんと考え込む。
「街で言や、ハーンの方らしいぜ」
「ハーンって、……確か、ミラースさんも連中を見かけたって言ってた」
「それね。正直半年前の情報じゃ、移動の根拠にはならないと思ってたけど」
ゼノンが補い、俺とミディアも吟味する。
初めて奴らの具体的な話を得た。その手応えに、聞き手四人の顔も自然と持ち上がった。
「かなり有力な情報でますね」手元の紙に情報をまとめていたレマが、ここで初めて口を開いた。「それで、皆さんはどうするんでますか?」
そして突然の疑問形。手元の紙から顔を上げたレマの目に、すぐに答えられる者はなく、俺自身もその真意を汲み取ることはできなかった。
「どうするって、何がだよ」
「ゼノンさんの情報は相当に有益だったと思うでます。正直これだけの情報の代価が三人分の花代だなんて、破格もいいところでます」
三人分。ゼノンと、情報提供者のバラーバと。あと……?
「お、俺が使ったのは入館料と酒代だけだぞ! しかも最後の方はハルトスの奢りだった!」
「はいはい、内訳はどうでもいいでます。とにかく格安だって話。それで、敵の拠点が見えてきて、皆さんはどうするんでます? いよいよこの街を離れるんでますか?」
レマが核心に触れた。
発言の真意に触れ。俺は、ここで動かなければ嘘だ、と拳を握った。
ミルレンダインが襲撃されて、そろそろ二か月が経つ。敵の情報は十分には集まっていない。情報の集積地であるこの街でこの状況なんだから、きっと敵は本当に動いていないんだろう。あれだけ大掛かりな声明を打っておきながら、気配の欠片も見せないんだから、今は計画の準備を水面下でゆっくりと進めているところなんだろう。多分、極めて順調に。
ようやく見えてきた、奴らの尻尾の先。掴まなければ、掴もうと手を伸ばさなければ、俺たちのこの思いは嘘になる。
「私は」
シーラが声を零した。器の限界まで注ごうとした水が、ついに一滴、張力の膜を破ってしまったとでもいうように。
「私は、行こうと――」
バダン!と、けたたましい音を立てて扉が開かれた。
慎重に言葉を零し始めていたシーラが、はっと息を飲み、二の句をしまい込む。全員の目が、扉に集められた。




