2-15-7.「もういい、もう十分です!」
ふふ、と微笑みながら俺の左手に抱き着く少女。
どうしてこんなことになっちゃったんだろう。彼女は、俺の好きなひとではないのに。
「嬉しいな。ウェルとこうしていられるなんて」
少女はそう言って、頬を赤らめこちらを見上げてくる。
現実感の乏しさが、俺をどんどんとおかしくしていく。
「私、ウェルになら、全部見せられるよ。……うぅん。見て、もらいたいな」
言葉で。そして、胸当てをずらしながら小さな乳房を手の平で隠す、あどけない仕草で。ティリアはティリルの振りをしながら、俺の理性をどんどん追い詰めてくる。
そっと開いた手の平の下。恥ずかしそうに目を伏せながら「どう、……かな?」なんて。思わず「きれいだよ」って答えそうになる。慌てて顔を背け、違うそうじゃない、と唇を噛み締め。けれどじゃあどれが正解なのかもわからずに、初心な童貞丸出しに、ごくりと唾を飲み込んだ。
「見て、くれないの……? 意地悪なんだね。じゃあ……、私から、キスしちゃうよ?」
少女の攻勢が続く。
えっと振り向いた俺の前には、もう既に彼女の顔がすぐ近くにまで迫っていた。
手を肩の後ろに回され、体を密着される。彼女の素肌が、俺の服に強く触れている。
唇が唇と重なるまで、あとどれくらいの距離が残されていただろう。
――やっぱり、ダメだ。
なけなしの理性で彼女の体をぐっと手の平で退け、顔を背けて「離れてくれ」と伝えた。
「あ……、え?」
「ごめん。こんなところまで来ておいて……。けど、やっぱりだめだ。似てるってだけで惑わされちゃ、ダメなんだ」
何をいまさら。自分の言葉に、まず自分が呆れた。
彼女はティリアで、ティリルじゃない。そんなこと、最初からわかっていたじゃないか。ぼんやりして、飲み込まれて、ここまで来ちゃっただけでもう、言い訳のできない大失態じゃないか。胸まで晒させて。
「ええと、すみません。私も何だか楽しくなっちゃって、興に乗ってしまったみたいで」
ようやく、ばつの悪そうなところを見せてくれた。その照れた顔は初対面ぶりに戻ってきた、ティリア本人の表情だった。
「じゃあ、ここから先は、ティリルさんじゃなくティリアとしてご奉仕致しますね」
「いやいやいやいや!」
もう一度、ベッドに両手をついて猫のように迫ってこようとするティリアに、俺は両手をぶんぶんとふり、拒絶の意を示した。
「いや! もういい、もう十分です! ちゃんとお金は払うから、これ以上はもう服を着てください!」
「――え?」
大きく目を見開いて、ティリアは動きを止めた。
意味が全く分からない、というように、口をぽかんと開け、微かに首を捻って。
「……え。その、着衣のままの方が、お好みでしたか?」
「そうじゃなくて!」
思わず声を大きくしてから、気持ちを落ち着かせようと何度か深呼吸を繰り返した。
「ごめんなさい。俺、あなたと交わる気はないんです。こんなところに来て、部屋まで一緒に来てもらっておいて何を言ってるんだって話なんですけど、でも、これ以上あなたに触るわけにはいかないです」
「……え? 本気、ですか?」
「本気です! だから、お願いだから服を着てください!」
もう一度声を荒げると、ようやくティリアは背筋を縦に戻して、それから深く溜息を吐いた。「私もうすっかりやる気だったんですけどねぇ」なんて。今までで一番演技っぽさのない声で、そんな文句を投げつけてきた。
「着るのはいいですけど、知っての通りこれ、丸見えですよ?」
黄色い胸当てを付け直したティリア。羞恥の欠片もなく、ふんと胸を張って見せる。確かにその薄い布地は、隠すべき場所を全部透かして見せて寄越すので、結局俺が目のやり場に落ち着くことはなかった。
いい加減、すぐ隣は距離が近過ぎる。俺はそっとベッドから立ち上がり、少しだけ話をするために床の上に直に座り直した。
「あなたがティリルさんに本気なのはわかりましたけど、……私、絶対言いませんよ?」
「え。それって、どういう?」
「たった一晩の火遊びくらい、きっとバレませんよ。それにもしバレるなら、お店や、この部屋に入ってしまった時点で、多分もう言い訳できません。お金だって払うつもりがあるのに、やることだけやらないなんて一番損じゃないですか」
言いたいことは、わかった。それは、確かにそうだ。ここで何をやるにしろ、やらないにしろ。こんな店に入ってティリアに呆けてしまったって言うだけでもう、ティリルに対する弁明はない。
けど。
「それでも、やっぱり無理です。それに、ティリルに対するところだけじゃない。ティリアさんに対しても、他の人のことを考えながらするなんて、失礼だと思うから」
「私っ? 私は気にしませんよぉ」ついつい敬語になってしまう俺に対し、ティリアの方はついに口調までくだけ始めた。「仕事ですもん、って言っちゃうとお客さんには失礼かもですけど、でもそれくらいの関係だっていうのは弁えてないといけない仕事ですもの」
「本当に気にならないもの、なんですか?」
「気にしてたら心が持ちません」
「けど、好きでもない相手に体を許すなんて」
言って、口を噤んだ。さすがに踏み込み過ぎたかと、開いた口を後悔した。
ティリアは別段怒った様子は見せなかった。ただ、じっとこちらを見て。
「ウェルさん、外国人さんですよね」
と、確認してきた。
「あ、ああ。そうです。ソルザラン――……」
「この国は、何でもあるし何でもできる国です。でも、力も魔法も、そしてお金もない人は何もできない国でもあります。私は、そっち側の人間です。盗賊なんて生き方はできない。でも、自分の体一つでこのセラムに住むことができてるんですから、不満なんてないですよ」
くすっと笑って、教えてくれた、
ああ、そうか。それも一つの強さなのか。ティリアの、そしてこの店で働くすべての女性たちの力を見せ付けられたようで、俺は一人勝手に頭を丸太で殴られたようなショックを受けていた。
何をわかった気になって、ゼノンやバラーバを見ながらあれこれ考えてしまっていたのか。彼女たちを一番理解せず、侮辱していたのは俺自身だったのかもしれないじゃないか。
「さて、どうしましょうかねぇ」
んー、と立てた指を一本、顎の辺りにそっと添えて。ティリアは足を組みながら、自分の膝に頬杖をついて俺のことを見下ろしてきた。




