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遙かなるユイス・ゼーランドの軌跡  作者: 乾 隆文
第二章 第十五節 娼館、逆月のしずくにて
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2-15-5.「じゃあ、一杯くらいおごられようかな」







 うん、すぐ、帰るよ。言いながら柔らかいソファに背中を預け、ゆったりと背中を伸ばす。今更だけどこの席は、真ん中の舞台がとてもよく見える。距離は離れているものの、少し高い位置から踊る彼女たちの姿を見下ろせて、良い感じだった。


 黄色、緑、赤、桃色。色鮮やかな、装飾も多彩な衣装。光を受けて煌めく、金鎖銀鎖や宝石類を鏤めた装飾品。それらが全て、踊り子の女性たちの黒や金の髪、白や褐色の肌を引き立てる役目に留まって、控えめに――面積的にも控えめに――、けれどしっかりと存在感を示している。


 舞台のすぐ脇で軽快な音楽を奏でている黒白鍵盤琴(ファルトピアン)の響きも、なかなかに心躍らせてくれる。踊り自体も音楽の軽快さにしっかり合っていてすごくいい。いや、舞踊の知識なんてないから偉そうな意味じゃなく。見るだけの立場からして、うん、すごくいいんだ。


 ……語彙が貧しいなぁ。俺に芸術的素養とやらはまるでないみたいだ。


「結構、いいもんだと思わない?」


 机に頬杖を突きながら、ハルトスもその踊りを柔らかい目で眺めていた。


 確かにな、と答え。手にしたグラスを一口呷って、酒のなくなった淋しさに二、三グラスを揺らして、カラカラという音を惜しんだ。


「買う気がないなら、それでもいいんじゃない? この店は、音楽や舞踊を楽しむだけの客でも、追い出すような無粋はしないよ」


 微笑まれて、返事を迷ってしまった。仕事も後はゼノン次第だし、酒も尽きたし。立ち上がるタイミングだったはずなのに、なんで俺は未練がましく、溶けた氷の数滴を喉に流し込んでいるんだろう。挙句、問いかけてきたハルトスに、「あんたはどうするんだ?」なんて。随分ずるい質問を向けてしまっていた。


「僕は、人待ちさ」


「……そうか」


 そういやさっきアルドアールに何か注文してたな。……なんて考えた次の瞬間、女の子が「失礼します」と個室を覗き込んできた。麦藁色の髪の長い女性。小柄で若い、可愛らしい印象。


「おおー、ミアちゃん! 待ってたよぉ」


「ごめんなさいお待たせしちゃって。お仕事が終わったのかすぐにわからなかったから」


「いやいやぁ、そんなこと気にしないで! 時間ならたっぷりあるんだし、この後いっぱい楽しめばいいんだよぉ」


 彼女の姿を目に収めるや、ハルトスはでれっと表情を蕩けさせ、だらしない顔になってその子の手を引っ張った。その子もろくに抵抗せず、引っ張られるままにハルトスの隣に崩れ込んで、その肩に艶っぽくしな垂れかかる。


 胸も局部も出してはいないけど、布面積の少ないピンクの衣装で、まぁそのための衣装だっていうのはよくわかる。ハルトスをお得意にしているみたいだし、ひょっとしたらハルトスの好みなのかもしれないな。


「どうします? これの次が本日の最終舞踊になりますけど、ご覧になってからにしますか?」


 彼女、ミアって言ったか。その言葉を聞いて、ハルトスはふっと顔を上げた。


 俺の方はさっきから、ハルトスと会話をしている間も舞台の踊りは見ていた。じわじわと曲調と動きを激しくして、一際の盛り上がりシーンを演じ終えて。それから踊り子たちは一度舞台上から降り、今はただファルトピアンの音色が、静かに広間を飾っていた。


 結構いいもんだと思った音楽も踊りも、ハルトスや広間にいる他の連中はまるで楽しんでいないみたいだと、何が気に食わないのか俺は拗ねたように鼻を鳴らした。


「そっかぁ、もうそんな時間か」


 ぼんやり呟くハルトスは、やっぱりそこまで興味を向けているわけでもないようだった。少しだけ考える風を装い、すぐに。


「いや、今日はいいかな。この席は彼に譲って、僕はミアちゃんと早く上に行きたいな」


「あは、ホントですか! じゃあ早速、お部屋にご案内しちゃいますよ」


 えへへと甘えた声でハルトスに体を寄せるミア。よしじゃあ行こうと立ち上がるハルトス。もう俺のことなんて視界の端にも入ってない。


「じゃ、僕はそろそろ行くよ」


 ――と思ったけど、目の端くらいには映っていたらしい。ぐっと人の頭をごつい手の平で押さえ、「最終舞踊は一番盛り上がるからね。酒ぐらいおごってあげるから、見るだけ見てったらどぉ?」優しい声で、言ってきた。


「……そうだな。じゃあ、一杯くらいおごられようかな」


 机に両手で頬杖を突きながら答える。それに対する返事はもうない。ふっと鼻で息を吐き、どいつもこいつも、と音に出さない声で零した。


 程なく、別の女性がお酒をお持ちしましたと声をかけてくれる。ありがとうと答えて目を向け、ぎょっとした。女性の持つ盆の上には氷だけが入ったグラスと、高そうな穀物酒の瓶が一本。詳しくはわかんないけど、これ相当するんじゃないかな。しかもボトル一本とか飲み切れないし。


「どうしたんですか? ご注文と違いましたか?」


 肯定も否定も即答は難しかったけど、違うと答えると多分彼女を困らせるだけだ。とりあえず、ここは素直に受け取ることにしよう。どうなったって支払いはハルトスだ。


「あの、私、座らせて頂いてもいいですか?」


 ボトルとグラスを机に置いた後、その女性は銀盆を体の影に持ちながら、もじもじとそんなことを聞いてきた。


「どういう意味?」


「えっと、その……、お相手をさせてもらえませんかってことなんですけど」


 ああ、そういう意味か。


「悪い。俺、今日は仕事で来たんだ。酒だけ飲んだら帰ろうと思ってるから、そういうのはいいよ」


「で、でも! 何だったら少しお値引きしておきますから、ちょっとだけ試したりするだけでも……」


 試しってなんだよ。


「いやいやごめんな、本気でそのつもりがないんだ」


 女性はしばらくしつこく言葉を重ねて来たけど、何度も繰り返し断って、ようやく最後には諦めてくれた。なんだか疲れるなぁ。グラスに酒を注ぎながら溜息を吐く。一口舐めると、水で割っていない穀物酒はかなり強くて、これは気を付けないと深酔いするぞと鼻の頭に皺を集めながら自分を戒めた。


 この店に来て、女の子に声をかけてもらってるのに、断る方が悪いんだろうなぁ。誰かに横に座っていてもらおうか。けど、その誰かの仕事を邪魔しちゃうことになるしなぁ。


 舞台の上に、踊り子が出てきた。


 ガァーンッ!と、いきなり強く響くファルトピアンの音。広間の客たちの目を、今だけはとばかりに激しく集める。


 最初に出てくるのは二人。珍しく裾の長いドレスを着込み、何やら悲し気な表情で動きの大きい踊りを始める。


 物語仕立てなのか。俺はすぐに舞台上の動きに引き込まれ、目が離せなくなった。


 合間、何人か女性が俺に声をかけてきた。隣に座ってもいいか。酒を注がせてくれないか。一緒に飲ませてもらえないか。全部に断りを入れるのが段々と面倒になってきたが、さりとて座ってもらうつもりもない。


 見終わったら、なるべく早く店を出よう。酒は、到底空にはできないけど仕方ない。そんな風に思っていた矢先、また次の女性がやってきた。


「失礼致します。ご奉仕をさせて頂きに上がりました」


 いらない、と答えようとして、彼女の顔を見て、口が動かなくなった。


 すらっと長い香茶色の髪。碧色の丸い大きな瞳。小さな口。小柄な体に、小振りな胸。服装こそ、細い布を胸の中央で捩じっただけの簡素な胸当てと小さな下履き、しかも素材が薄く透けていて、いかにもこの店独特のものではあったけど。はにかむような控えめな笑顔と、鈴の音のようなころころと響く声は、まるで――。




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