エピローグ
エピローグ
土曜日は久しぶりの一人を満喫していた。月曜からずっと笹倉が家にいて、それのついでに麻生やら岩崎やらが来ていたから毎日賑やかだったのだが、改めて思うと一人というのは実に静かだった。恐ろしいことに少し退屈だと感じてしまった。その日はいつもの生活に戻って、買い物やら洗濯、掃除など、家事にいそしんだ。
そして日曜日。
朝刊にある殺人事件のことが書いてあった。記事の内容は大手電化製品メーカーの代表取締役が自宅で殺された事件で、犯人が土曜日未明に自首したらしい。容疑者は元妻で動機は養育費。以前調停で養育費の金額を設定したのだが、最近になって社長さんが突然もう払わないと言い出した。その真相を確かめるべく、容疑者は社長との間にできた娘を連れて社長宅に向かい、通された書斎で口論になり、物の弾みで元夫を殺してしまったという。
大手電化製品メーカーの社長が殺されたわりには、記事の取り上げ方は小さなもので、スポーツやら芸能やらのニュースに飲み込まれていた。世間から見たらあまり興味の持てる内容ではないらしく、やはり当事者にしかこのつらさは分からないということを物語っていた。
月曜日。学校に行くとなんら変わらない日常があった。麻生と笹倉はそろって休みだったが、岩崎はいつものようにお節介を焼き、頼んでもいないのに例の事件を新聞記事やらインターネットの記事やらをいろいろ持ってきて解説をしてくれた。
そして放課後。俺は一人、帰路に着きながらぼんやり考え事をしていた。今日は特に何も用事もなく、岩崎にどっか連れ回されることもなかったから、帰ろうと思ったら四時半には家に着くことができた。
帰ろうと思ったら、ということは、帰ろうと思わなかったわけで、現在午後八時過ぎ。いったい何をしていたかというと、ほとんど覚えていない。ただ何をするわけでもなく、いろいろなところに寄って道草を食いながら帰ってきた。普段ならこんなことはしない。じゃあなぜこんなことをしたかというと実のところ、ある予感があったからだ。
それからしばらく歩いて俺のマンションである白い七階建ての建物が見えてきた。オートロックを開錠し、すでに一階にいたエレベーターに乗り込み、自宅の階数のボタンを押す。エレベーターに乗っている間は、黙って階数表示を見つめているのが慣わしであると勝手に考えているので、それを実行する。そしてドアが開き、歩き出す。ふと気が付く。俺の部屋の前に誰か立っていた。
「あんた、笹倉京子だよな?」
「はい」
先週と同じ問いかけをしたが同じ返事は返ってこなかった。返されても困ったが。
笹倉は俺のほうを向かず、手すりから外を見たまま話しかけてきた。
「新聞は見た?」
「ああ。いくつか見させてもらった。自首したんだってな」
「うん」
立ち話もなんだから中に入るよう進めようとしたが、なんだかそうするのも躊躇われた。
「あのあと実際はどうしていいか分からなくて、すぐに判断することができなかったの。でも結果的にこうしてよかったんだと思う。自首を勧めたときのお母さんの顔は成瀬君が言っていたとおりほっとしたように見えた」
笹倉は悩んだ結果、やはり自首を勧めたようだ。俺は笹倉の下した判断に対して特に言うことはなかったのだが、この判断はどうやら正解だったようだ。
「ありがとう」
振り向いた笹倉の顔は笑顔だった。輝いて見えるのは街灯のせいだけじゃないように思える。
「あの時成瀬君がいろいろ言ってくれなかったら、私はお母さんも自分も不幸にするところだった」
不幸、とはいったいどういうことを指すのだろうか。
「弁護士さんの話によると、少なくても懲役三年以下。よくて執行猶予が付くかもしれないって。お母さんの犯した罪は本当にいけないことだと思うけど、罪を償って出てきたときにはまた新しく一緒の生活ができると思うの。人生まだまだ先のほうが長いんだから、三年くらい立ち止まったって、そのあとの努力しだいですぐに取り戻せる。だから今はしっかり反省してもらいたい」
警察に捕まること、人を殺害してしまったこと。両方とも違う。本当に不幸なのは自分の人生を見失ってしまうこと、他人の幸福を願えないことだと思う
だから笹倉親子は不幸ではない。お互いの幸福を願い、これからをしっかり見据え、新たな自分の人生を見つけようとしているのだから。
「礼には及ばないよ。俺はたいしたことしていない。だけど俺のくだらない話が少しでも役に立ったならよかった」
「君は変わっているね」
笹倉の言葉はほめているようにもけなしているようにも聞こえた。
「ところで麻生君はどうしてる?」
「今日は学校に来ていなかったから知らないな。麻生がどうかしたのか?」
「麻生君に言っておいて!私は好きな人がいるから君とは付き合えないって」
「好きな人?」
「うん。クールでめんどくさがりで、何に対しても無関心だけど、本当はすごく優しくて、困っている人やかわいそうに人に対してすごく熱くて、さりげなく助けてくれる。そんな人なんだ!」
誰のことを言っているのか、さっぱりだがまぁそんなに興味もないし麻生でないことが分かっただけで俺にとっては十分だ。
「麻生のこと気づいていたのか?」
「まぁうすうすね」
笹倉のことはあまり知らなかったのだが、このことで少しイメージが変わったのか。意外に鋭かったんだな。
「それはいいとして、自分で言えばいいだろう」
「私、明日引っ越すんだ。転校するの」
少し考えてみれば簡単に分かることだった。笹倉は母子家庭だったし、元父親も死んでしまったのだ。だから九州にいる親戚の元に世話になるそうだ。今回の悲しい事件をきっかけに二人の距離がぐぐっと縮まっただけに、麻生にはとても残念な話だった。
「それで好きな人っていうのはもういいのか?」
「うん。正直未練といえば未練だけど、今の私じゃどうせ無理」
「まだ分からないだろう」
「ううん。だけどあきらめないよ。もっと自分を磨いてその人にふさわしい女性になれたら、そのときは自分の気持ちを伝えようと思う」
何にしても笹倉がここまで明るくなってよかった。一時は自殺とかするんじゃないかと、気をもんだが、少し先のことまで考えているうちは何も心配する必要はないだろう。
「最後に一つお願いがあるんだけど、聞いてくれる?」
「俺にできることなら何でも」
笹倉は俺の顔をじっと見つめていた。何にするのか悩んでいるようにも見えるが、さすがにそんな長い間見られると困るんだが。
俺がたじろいでいると、笹倉が俺に前にすっと右手を差し出した。
「握手してください。いいかな?」
「そんなことでいいならいくらでも」
俺も右手を出す。そして握手。笹倉はさらに左手を重ねて、両手で俺の右手を握ってきた。最終的に自分の額の前に持っていき、祈るようなポーズになった。俺はどうリアクションをとったらいいのか分からずに、されるままになっていた。今日の笹倉には驚かされてばかりだった。
そして名残惜しむように俺の右手を離すと、優しく微笑みながらこう言った。
「改めてありがとう。私たち親子にとってあなたは神に等しき人物でした」
そこまでいくと逆に馬鹿にされているような気がしたが、そう言うのも気が引けたので、俺はこう返すだけに留めた。
「お礼を言われる覚えはないさ」
これで簡潔になります。最後まで読んでいただいてありがとうございました。文章も内容も稚拙だったと思いますが、皆様が楽しんでいただけたなら幸いです。近いうちに続編を書きたいと思いますので、もしよろしければそちらのほうもよろしくお願いします。もしかしたらタイトルを変更するかもしれません。




