其の六十五「夕暮れの空き地に立つ女」
これから語るのは、もしかするとこれから広まるかもしれない
いや、広まってしまうかもしれない「怖い作り話」です。
全部で壱百八話。どれも短い物語です。
しかしその中には、時に背筋に冷たいものが走り抜け、
時にひそひそと誰かの囁きが聞こえ、
時に見てはいけないものが見えてしまうこともあるかもしれません。
そしてひとつだけ、どうしても言っておきたいことがあります。
これらの話は、すべて作り話です。しかし、ただの作り話ではありません。
この話、本当なんです。
これは、いつもお邪魔している駅前の小料理屋さんを切り盛りする女将さんから聞いた、彼女が子供の頃に体験した不思議な話です。
◇◆◇
その日の夕方近くのことでした。女将さんは弟さんと一緒に近所の公園へ遊びに行ったそうです。
公園の端には広い空き地があり、子供たちがボール遊びをしたり、鬼ごっこをしたりする格好の遊び場になっていました。弟さんもそこで夢中になって走り回っていたのですが、日が暮れるのは早いものです。気がつけば空はすっかり茜色から群青へと変わり、辺りは薄暗くなっていました。
「そろそろ帰ろうか。」
そう声をかけ、二人が帰り支度を始めたその時でした。
空き地の奥に一本だけ立っている木。その幹の影から、着物を着た女の人がこちらを見ていることに気付いたのです。白い着物に黒い帯。顔ははっきりとは見えませんが、長い髪がふわりと風に揺れているのが分かりました。その女の人は、静かに手を招いていました。
女将さんは思わず足を止め、「誰だろう……?」と呟いたそうです。
その瞬間、弟さんがトトトと小走りでその方向へ歩き出してしまいました。
「待って!」と声をかけましたが、弟さんはまるで引き寄せられるように女の人の方へ進んでいったといいます。
木の影に近づくと、そこには小さな祠がありました。苔むした石の台座に木の小さな社が乗っていて、どうやら狐を奉った祠のようでした。しかし、その祠は荒れ果てていました。落ち葉や枯れ枝が散らかり、供え物もなく、誰も手入れをしていない様子でした。
弟さんは祠の前に立つと、スッとしゃがみ込み、散らかった落ち葉を手で払い始めました。枯れ枝を脇に寄せ、苔をこすり落とし、まるで掃除をするかのように祠をきれいにしていったのです。
女将さんはただ呆然とその様子を見ていました。
ふと気づくと、着物の女の人の姿はもうありませんでした。祠の前に立っていたはずなのに、どこにも見当たらない。弟さんは掃除を終えると、静かに立ち上がり、戻ってきました。
「どうしたの?」と尋ねても、弟さんは首を振るだけで何も答えません。
ただ、その顔はどこか満足そうで、祠を振り返るとほんのりと微笑んでいるように見えたそうです。
それから数日後のこと。弟さんは女将さんに不思議な夢を見たと話しました。
夢の中で、あの祠の前に立っていると、白い着物を着た女の人が現れ、弟さんに向かって「ありがとう」と言い、深々と頭を下げたのだそうです。
その瞬間、女の人の姿は狐へと変わり、祠の中へと消えていった──弟さんはそう語りました。
女将さんはその話を聞いて背筋がゾゾゾとしたそうです。
あの日、弟さんが祠を掃除していた時、確かに着物の女の人が手招いていた。
あれは人ではなく、祠に祀られていた狐の化身だったのではないか。
そして弟さんが祠をきれいにしたことで、狐は弟さんの夢の中に現れて感謝を伝えに来たのかもしれません。
それ以来、弟さんは不思議なことを言うようになったそうです。
「公園の空き地に行くと、あの祠の前はいつもきれいになっている。」
それは誰かが掃除をしているのか、それとも──。
◇◆◇
これが、駅前の小料理屋さんを切り盛りする女将さんから聞いた、彼女が子供の頃に体験した不思議な話です。
公園の空き地、一本の木の影に立つ着物姿の女の人。
弟さんが歩いていった先にあった狐を奉った祠。散らかっていた祠をきれいにする弟さん。着物を着た女の人は、本当に狐だったのでしょうか。
この話、作り話のように思えるかもしれませんが、どこか本当のようにも思えてしまうのです。
みなさんは、どう感じるでしょうか。




