其の五十七「健康執狂」
これから語るのは、もしかするとこれから広まるかもしれない
いや、広まってしまうかもしれない「怖い作り話」です。
全部で壱百八話。どれも短い物語です。
しかしその中には、時に背筋に冷たいものが走り抜け、
時にひそひそと誰かの囁きが聞こえ、
時に見てはいけないものが見えてしまうこともあるかもしれません。
そしてひとつだけ、どうしても言っておきたいことがあります。
これらの話は、すべて作り話です。しかし、ただの作り話ではありません。
この話、本当なんです。
思い出さなければ、いつまでも忘れていたかもしれない。
今日はそんな話を、私からお話しさせていただきます。
それは、私の知人のこと。
彼は「健康」に異様なほどこだわる人でした。食べ物は無添加でなければ口にせず、飲み物も水か特定の健康茶だけ。睡眠も規則正しく、毎日同じ時間に寝て同じ時間に起きる。運動も欠かさず、筋トレとジョギングを日課にしていました。
一見すれば、理想的な生活。 誰もが『見習いたい』と思うほどの健康的な習慣。
しかし、彼のこだわりは次第に「執着」へと変わっていきました。
ある日、彼は私にこう言いました。
「人間は、食べるもの次第で寿命が決まる。だから、少しでも不健康なものを食べると、あっという間に死が近づくんだ。」
その言葉を聞いた瞬間、私はゾッとしました。
それは、彼の目はあまりにも真剣で、どこか狂気じみていたからです。
それから彼は次第に食事量を減らし始めました。
「食べ過ぎは毒だ」と言い、必要最低限しか食べない。
それでも「まだ多い」と言って、さらに減らす。
やがて彼は、ほとんど断食に近い生活を続けるようになっていました。
私は何度も 「そんなことをしていたら、逆に体を壊すよ。」と、忠告しました。
でも、彼は笑って言いました。
「いや、これが本当の健康なんだ。人間は食べなくても生きられる。むしろ食べるから病気になるんだ。」
彼のその言葉に、私はもう何も言えなくなりました。
それから数か月後。彼は急に倒れ、病院に運ばれましたが、すでに手遅れでした。
死因は栄養失調による心不全。
健康にこだわり過ぎた結果、彼は逆に不健康になり、命を落としたのです。
葬儀の後、私は彼の部屋を訪れました。そこには、健康に関する本や雑誌が山のように積まれていました。
「断食のすすめ」「無添加こそ命」「食べるな、死ぬぞ」──そんなタイトルばかり。
そして机の上には、彼の日記が残されていました。そこにはこう書かれていました。
「食べないほど、体が軽くなる。」「食べないほど、心が澄んでいく。」「食べないほど、死が遠ざかる。」
しかし、その最後のページには、震えるように不鮮明な文字でこう書かれていました。
「食べないほど、死が近づいている。」
私はその言葉を見た瞬間、背筋にゾゾゾと冷たいものが走りました。
彼は最後の最後で、自分の間違いに気付いていた。しかし、それはもう遅すぎました。
それからというもの、私は「健康」という言葉を聞くたびに、彼のことを思い出します。
健康は大切です。 しかし、こだわり過ぎれば、それは毒になる。
彼の死は、そのことを私に強烈に教えてくれました。
今でも時々、彼の声が耳に蘇ります。「食べるから死ぬんだ。」
その言葉を思い出すたび、私は今でも背筋に冷たいものを感じます。
そして、彼の日記の最後の一文が頭をよぎるのです。
「食べないほど、死が近づいている。」
これが、健康にこだわり過ぎて逆に不健康になり、亡くなってしまった私の知人の話です。
この話は、本当です。




