其の五十六「誰がその場を育てたか」
これから語るのは、もしかするとこれから広まるかもしれない
いや、広まってしまうかもしれない「怖い作り話」です。
全部で壱百八話。どれも短い物語です。
しかしその中には、時に背筋に冷たいものが走り抜け、
時にひそひそと誰かの囁きが聞こえ、
時に見てはいけないものが見えてしまうこともあるかもしれません。
そしてひとつだけ、どうしても言っておきたいことがあります。
これらの話は、すべて作り話です。しかし、ただの作り話ではありません。
この話、本当なんです。
これは私が、心霊スポットについて、最近見ていた動画の中で聞いたお話です。
全国各地には、様々ないわれを持つ心霊スポットがあります。私は心霊スポットや廃墟、怖い雰囲気のする場所へは全く行くことはありません。 それなのに、こうして怖い作り話を書いている……そんな矛盾を抱えながら、今日もキーボードを叩いています。
それはそれとして──これは、私が最近見ていた動画の中で聞いた話です。
心霊スポットは、一体だれが育てたのか。
この言葉を聞いたとき、私は反射的に「そこで起こる様々な怪奇現象」が心霊スポットを育てているのだと思いました。夜中に現れる幽霊、不可解な物音、写真に写り込む影。そうした現象が積み重なり、場所に「霊的な力」を宿すのだと。
しかし、この語り手は、静かにこう言いました。
「心霊スポットは、人間の口伝によって育てられるのですよ。」
私はその言葉を聞き、妙に納得してしまいました。
考えてみれば、どんな心霊スポットも最初はただの場所にすぎません。
古いトンネル、廃校、山道、廃墟。
そこに人が「幽霊が出る」と言い始める。そして誰かが体験談を語り、また別の誰かがそれを聞いて広める。やがて噂は大きな形を持つようになり、その場所は「心霊スポット」として認識される。
つまり、幽霊そのものよりも、人間の言葉がその場所を「育てて」いるというのです。
この話を聞いて、私はふと、昔聞いたある話を思い出しました。
地元の山中にある古いトンネル。(場所の名前は伏せておきます)
そこは「深夜に通ると女の幽霊が現れる」と言われていました。私は怖がりなので行ったことはありませんが、友人たちが一度そこへ肝試しに出かけていました。
そのとき彼らは口々に「何もなかった」と言いながらも、後に、その中の一人が「確かに女の影を見た」と言いだします。
すると、その場にいた全員が「そういえば……」と記憶を重ね合わせていき、その場所の「女の幽霊が出るトンネル」という噂がここでまた強固なものになっていく。
そこに本当に幽霊がいたかどうかは関係ない。
人の口がその場所を「幽霊の出る場所」に変え、噂の広がりがやがてその場所を「心霊スポット」へと変えていく。
語り手はさらに続けました。
「心霊スポットは、人の恐怖心を糧にして育つのです。人に語られるたびに、その場所はより恐怖を育てる力を増す。だから、あなたが怖い話を書いていることも、また一つの『育てる行為』なのですよ。」
私はその言葉に背筋にゾゾゾと冷たいものが走るのを感じました。
怖がりの私は心霊スポットに行ったことはない。
しかし、こうして話を聞き、書き、それを広めることで、知らず知らずのうちにその場所を「育てて」しまっているのかもしれない。
世の中には「誰も行かないのに有名な心霊スポット」もあります。
そこに行った人の体験談が少なくても、怖い噂だけが広がり続ける場所。
それはまさに「口伝」によって育てられた心霊スポットなのだと思います。
そして、噂が広がれば広がるほど、心霊スポット好きな人はその場所に「恐怖」を期待して訪れる。
恐怖を抱いて訪れる人が増えれば増えるほど、その場所は「心霊スポット」としての存在感を増していく。
幽霊がいるかどうかは関係ない。
人の恐怖心と語りが、その場所を「幽霊の出る場所」に変え、その場所を「心霊スポット」へと育てていく。
私はこの話を聞いてから、廃トンネルや空き家を見かけた時、あるいは人混みの中でも、ふと考えるようになりました。
「ここも、いつか心霊スポットになるのだろうか」と。
誰かが「ここで幽霊を見た」と言い出す。
それを聞いた人がまた別の人に語る。
やがて噂は広がり、何もなかった場所が「幽霊の出る場所」として認識される。
そうして心霊スポットは生まれ、育っていく。
心霊スポットは、人間の口伝によって育てられる。
私はその言葉を聞き、妙に納得してしまいました。
幽霊が近くにいても、多くの人は気付かない。 けれど、人が語ることで、幽霊は「いること」になり、場所は「心霊スポット」となる。
私はこの話、本当だと思います。みなさんは、どう思いますか。




