其の五十弐「みまもり」
これから語るのは、もしかするとこれから広まるかもしれない
いや、広まってしまうかもしれない「怖い作り話」です。
全部で壱百八話。どれも短い物語です。
しかしその中には、時に背筋に冷たいものが走り抜け、
時にひそひそと誰かの囁きが聞こえ、
時に見てはいけないものが見えてしまうこともあるかもしれません。
そしてひとつだけ、どうしても言っておきたいことがあります。
これらの話は、すべて作り話です。しかし、ただの作り話ではありません。
この話、本当なんです。
これは、私が友人から聞かせてもらった体験談です。
その友人は、娘さんの送迎を日課にしていました。
毎朝学校へ送り、夕方迎えに行く。
山裾に沿った細い県道を通るのですが、片側は鬱蒼とした林、もう片側は古い石垣と畑。
昼間でもどこか薄暗く、冬の夕方などはすぐに影が濃くなるような場所だったそうです。
ある朝、車を走らせていると、林の切れ間に動くものが見えました。
それはタヌキでした。
珍しいなと思いながら通り過ぎたのですが、その日の帰り道。
また同じ場所に、朝と同じ姿勢でじっとこちらを見ている、同じタヌキがいたのです。
偶然だろうと思ったそうですが、翌日も、その翌日も、送迎の行き帰りに必ず同じ場所で同じタヌキに出会ったのです。
最初は微笑ましく感じていたそうですが、日が経つにつれ、次第に不安を覚えるようになったといいます。 タヌキはいつも同じ場所に立ち、逃げることもなく、ただじっと見ている。
まるでそこで待っているかのように。
娘さんも最初は喜んでいたものの、次第に「なんだか怖い」と言うようになったそうです。
確かに、毎日同じ場所で同じ動物に出会うというのは不自然です。
友人はふと思いました。 あれは本当にタヌキなのだろうか。
もしかすると、何か別のものが姿を借りているのではないか、と。
ある冬の夕方。林の影が濃く落ちていた頃。
いつものように娘さんを迎えに行き、帰り道を走っていると、やはり例の場所にタヌキがいました。
その日はいつもより近くに立っていて、車のライトに照らされると、目がぎらりと光ったそうです。
それを見た娘さんは小さく悲鳴を上げ、友人も思わずアクセルを踏み込みました。
背筋にゾゾゾと冷たいものが走り、心臓が早鐘のように鳴ったといいます。
その時、友人は「やっぱりあれはおかしい!」そう思ったそうです。
しかし、ある日曜日。送迎のない日に、友人はあの場所を歩いてみることにしました。
昼間の光の下で見ると、そこはただの林の切れ間。
タヌキが立っていた場所には、小さな祠がありました。
苔むした石の祠。半ば崩れかけていましたが、その前には古い木札が立っていて、かすれた文字でこう書かれていたそうです。
「道中安全」
その瞬間、友人はハッとしたといいます。
毎日同じ場所で同じタヌキに出会ったのは、偶然ではなかったのかもしれない。
タヌキは祠の前に立ち、じっとこちらを見ていた。それは脅かすためではなく、むしろ見守るためだったのではないか。
娘さんを送り迎えする車を、道中の安全を祈るように。
それからもタヌキには何度も出会ったそうですが、不思議と怖さは消え、むしろ安心感を覚えるようになったといいます。 娘さんも「守ってくれてるのかもね」と笑うようになったそうです。
やがて春になるとタヌキの姿は見えなくなりました。
友人は、今もあの祠の前を通るたびに、心の中で「ありがとう」と呟いているそうです。
これは、私が友人から聞いた話です。
怖いと思っていた出来事が、最後には良い結末を迎え、私はどこかホッとした気分になりました。
きっとそのタヌキは、ただの動物ではなく、祠の守り神だったのかもしれません。
友人と娘さんの道中を、静かに見守っていたのだろう、と。
この話、本当なんです。




