其の参十四「木陰の誰か」
これから語るのは、もしかするとこれから広まるかもしれない
いや、広まってしまうかもしれない「怖い作り話」です。
全部で壱百八話。どれも短い物語です。
しかしその中には、時に背筋に冷たいものが走り抜け、
時にひそひそと誰かの囁きが聞こえ、
時に見てはいけないものが見えてしまうこともあるかもしれません。
そしてひとつだけ、どうしても言っておきたいことがあります。
これらの話は、すべて作り話です。しかし、ただの作り話ではありません。
この話、本当なんです。
これは、私が体験した、本当の話です。
私は、ウォーキングが趣味で、執筆の合間に市内の運動公園のジョギングコースを歩いています。
だいたい40分ほど、ゆっくりと。季節の空気を感じながら、頭の中を整理するように。
静かに歩く時間の中で時に作品のアイデアが浮かんで思わず笑みがこぼれてしまうこともあります。
それはそれとして、私はその日もいつものように公園へ向かいました。
その日は曇り空でしたが、すぐに雨が降って来そうな気配はなく、ただ湿度だけが少し高かったのを覚えています。そんな天気なので人もまばらで、コースには私以外に数人がいる程度。いつもより静かな午後でした。
そんな時、ふと私はあるものを目にしました。
それは「人」なのか「人ではない」のか。一目ではどちらとも判断できないものでした。
ジョギングコースの先、木々の間に立っているように見えたそれは、遠目には人のようでした。
しかし、だんだんと近づくにつれて「何かが違う」と感じました。
人にしては不気味で、不気味にしては人らしい。
顔は見えませんでした。というより、見ようとしても、視線が自然と逸れてしまうのです。
服装も、様々な時代が混ざったような……古びたようで、でも現代的なような。
いつの時代なのかとても曖昧な印象でした。
私は、歩く速度を落としながら、それを横目に通り過ぎました。
それは何もしてこない。ただ、立っているだけ。
それでも、何だか気味が悪く、背中にゾゾゾと冷たいものが走る気分でした。
翌日も、いつもと同じ時間に公園を歩き、そして、またそれを見ました。
昨日と同じ場所。木々の間に立っているだけ。
三日目も、四日目も。それは、変わらずそこにいました。
気味が悪いなと思った私は、次第にその存在を避けるようになりました。
コースを少し外れて歩いたり、そこに視線を向けないようにしたり。
でも、気配は感じるのです。
この公園の「そこに“いる”」という確かな記憶と感覚が、頭から離れませんでした。
五日目、私は公園へ行くのをやめました。最初は何だろうと思っていた私ですが
連日それを目にすることで正直、怖くなったのです。
それから数日後。もういないだろうと思い直した私は
再び公園に歩きに行きました。
その日は、晴れていました。湿気も少なく空気は軽い。久しぶりなせいか、緩やかに抜けていく風も心地よく感じました。
そして問題の……ジョギングコースの先、木々の間に立っているように見えたそれは、もうそこにはいませんでした。
よかったと、私は、ほっと胸をなでおろしました。
それから私は、また安心して公園を歩けるようになりました。
しかし、どこかモヤモヤとした感覚は、今でも残っています。
あれはいったい何だったのか。人だったのか?そうではなかったのか?
何かを伝えようとしていたのか。ただ、そこに“いた”だけなのか。
今でも、時折思い出します。
あの曇り空の午後。木々の間に立っていた、あの“何か”。
今日はこの怖い作り話の中に、私の体験談を一つ加えさせていただきました。
この話、本当なんです。




