其の参十弐「静怪視点」
これから語るのは、もしかするとこれから広まるかもしれない
いや、広まってしまうかもしれない「怖い作り話」です。
全部で壱百八話。どれも短い物語です。
しかしその中には、時に背筋に冷たいものが走り抜け、
時にひそひそと誰かの囁きが聞こえ、
時に見てはいけないものが見えてしまうこともあるかもしれません。
そしてひとつだけ、どうしても言っておきたいことがあります。
これらの話は、すべて作り話です。しかし、ただの作り話ではありません。
この話、本当なんです。
これは、私が高校生だった頃、実際に見た不思議な出来事のお話です。
その日、天気は悪く、窓の外は厚い雲に覆われていて、昼間なのに教室の中はどこか薄暗く感じられました。湿度が高かったせいか、空気もいつもより重く感じたのを覚えています。
二時間目の授業は英語でした。男子も女子も憧れる、若い女性の先生の授業です。
落ち着いた声と、丁寧な板書。今では懐かしいチョークのカッカッカという音が、
リズムよく教室に響いていました。
私は窓際中央の席に座っていて、何気なく教室を見渡していたとき、最前列の男子生徒がうつらうつらとしているのに気が付きました。教壇のすぐ前。先生の目の前で、彼の頭がカクン、カクンと揺れているのです。
その様子に気付いた先生は、彼に目を向けたのですが、私はその視線の向かい先に、妙な違和感を覚えました。先生の目は、彼の顔ではなく、彼の頭の"ほんの少し上"を見ていたのです。
それはまるで、そこに"何か"がいるかのように。
そして先生は、彼の肩を、トン、トン、トンと一定のリズムで三回叩きました。
その時も、先生の目線は彼の頭の少し上を向いたままでした。
男子生徒はビクッと体を震わせて目を覚まし、その瞬間、教室内には笑い声が広がりました。彼は恥ずかしそうに「すみません」と言いましたが、それに対して先生が返した言葉は「大丈夫?」でした。
先生の目線もそうですが、私は、その言葉にも引っかかりました。
授業中に居眠りをしていたら、「気を付けて」や「起きていてね」が普通ではないでしょうか。それがどうして「大丈夫?」なのか。
その疑問は、授業が終わっても私の中に残り続けました。
放課後、私は図書室にいました。図書部の私は、いつものように読書をしながら貸し出しの対応をしていたのですが、そこに英語の先生が現れました。
先生は図書部の顧問でもあり、趣味で小説を書く読書家でした。
そういえば……先生は、いつも静かに本を読みながら、時折ふとした瞬間に、何か別の世界を見ているような目をすることがありました。
私は、思い切って授業中に感じた違和感について、先生に尋ねてみました。
先生は、チラリと周囲を見てから、私に小声でこう言いました。
「彼の頭の上に、睡魔が乗っていたの」
私は、言葉の意味をすぐには理解できませんでした。
先生の話によると、彼の頭の上には“睡魔”が乗っていたのだそうです。
それは、ただの眠気ではなく、意志を持った存在。人の意識を奪い、夢の中へ引きずり込もうとするお化けのようなもの。
それに気付いた先生は、彼の肩を一定のリズムで三回叩いたのだと言いました。
一定のリズムで三回肩を叩く。それは、睡魔を追い払うための作法なのだそうです。
そして、目を覚ました彼に「大丈夫?」と声をかけたのは、彼が居眠りをしていたからではなく、睡魔に乗られていたことへの「大丈夫?」だったのです。
私はその時、「それって本当ですか?」と半信半疑で聞いていたのですが、先生の目線、言葉、そしてあの時の空気を思い返すと……今では、あれは本当だったのではないかと思っています。
あの日の空の重さ。先生の目の向き。肩を叩くリズム。そして、あの「大丈夫?」という言葉。それらすべてが、作り話とは思えないのです。
あれからもう何年も経ち、今の私は四十歳半ば。
そんな今でも、誰かがうつらうつらとしている姿を目にすると、私はそれを思い出し、そんな人の頭の少し上を見てしまいます。
そこに、睡魔が乗っていないか、と。
この話、本当なんです。




