其の弐十九「宣告標識」
これから語るのは、もしかするとこれから広まるかもしれない
いや、広まってしまうかもしれない「怖い作り話」です。
全部で壱百八話。どれも短い物語です。
しかしその中には、時に背筋に冷たいものが走り抜け、
時にひそひそと誰かの囁きが聞こえ、
時に見てはいけないものが見えてしまうこともあるかもしれません。
そしてひとつだけ、どうしても言っておきたいことがあります。
これらの話は、すべて作り話です。しかし、ただの作り話ではありません。
この話、本当なんです。
これは、私が取材先で聞いた、ある道路標識にまつわる話です。
私は仕事柄、車を運転する機会が多くあります。運転は嫌いではありません。
それどころか、むしろ好きなほうです。
とはいえ、長距離になると当然のように疲れます。
そんなとき、道の駅やサービスエリアで食べるご当地グルメは、私にとって最高の癒しです。
地元の味に触れることで、その土地の空気をより深く感じることができる。
取材の合間の、私のささやかな楽しみです。
そんなある日、〇〇県(場所は伏せさせていただきます)での取材中、
インタビューさせていただいた方から、妙な話を聞きました。
それは「宣告標識」という、聞き慣れない言葉でした。
道路には様々な標識があります。速度制限、一時停止、横断歩道、進入禁止など、
どれも見慣れたものばかりです。
車を運転する者にとっては、注意すべき大切な存在です。
その方が言うには、これらの標識の中に「宣告標識」というものが紛れていることがあるのだそうです。
「宣告標識」は、見た目は普通の標識と変わりません。
走行中に見ても、何の違和感もない。ただの一時停止。ただの速度制限。ただの横断歩道。
しかし、それが「宣告標識」であったとき、それを無視した瞬間、その場で必ず事故が起こるのだというのです。
例えば、一時停止が宣告標識だったとき、それを無視すると、その場で必ず衝突事故が起きる。
横断歩道が宣告標識だっとき、それを無視すると、その場で必ず横断中の歩行者との接触事故が起きる。
速度制限が宣告標識だったとき、それを超過すると、その場で必ず速度に応じた単独事故が起きる。
そして、事故が起きたその脇で「宣告標識」は今となっては懐かしいフラワーロックのように、くねくねと踊りながら、ニヤニヤと笑っているのだそうです。
私はその話を聞いたとき、ゾゾゾと思わず背筋が冷えました。
標識が笑う?そんな馬鹿な、と思いながらも、どこか否定しきれない不気味さが残りました。
それ以来、私は運転中、標識に対して少しだけ敏感になりました。
見慣れた標識の中に、もし「宣告標識」が紛れていたら。
見落としたその瞬間、それは「無視」と判断されるのだとしたら。
私は、標識を見逃さないように、意識的に目を配るようになりました。
しかし、道路には標識が溢れています。
いくら注意していても、すべてを完璧に把握することは難しいでしょう。
もしもその中に、ひとつでも「宣告標識」があったら。
そして、それを見落としてしまったら。
今日も、どこかの事故現場の脇で、「宣告標識」は踊っているかもしれません。
「ほら、標識を守らないから~」と、ニヤニヤと笑いながら。
私はこの話を、ただの都市伝説だと片づけることができませんでした。
標識は、無機質で、感情のない存在です。
だからこそ、そこに何らかの“意志”が宿っているとしたら。それは、何よりも恐ろしい。
この話、本当かもしれません。どうか、安全運転を心がけてください。
標識は、あなたを見ています。




