其の弐十五「不可終環」
これから語るのは、もしかするとこれから広まるかもしれない
いや、広まってしまうかもしれない「怖い作り話」です。
全部で壱百八話。どれも短い物語です。
しかしその中には、時に背筋に冷たいものが走り抜け、
時にひそひそと誰かの囁きが聞こえ、
時に見てはいけないものが見えてしまうこともあるかもしれません。
そしてひとつだけ、どうしても言っておきたいことがあります。
これらの話は、すべて作り話です。しかし、ただの作り話ではありません。
この話、本当なんです。
これは、私の作家仲間が体験した不思議な話です。
不思議ではあるのですが、私は絶対にこんな目には遭いたくない。
そう思わずにはいられない、そんな話です。
彼は、とてもまじめで物静かな男性でした。創作に対して真摯で、いつもアイデアをノートに書き溜め、きちんとプロットを書き、丁寧に物語を紡いでいくタイプの作家でした。そんな彼が、ある短編小説に取り組んでいた時のことです。
結論から言えば、その作品は完結することなく、未公開のまま世に出ることはありませんでした。
彼はその理由をこう語っていました。
「書いても書いても、書き上げさせてもらえなかったんだ」
プロットは明確で、起承転結の構成もきちんと整っていた。実際、彼は「起」「承」「転」までは何度も書き上げていたのです。
問題は「結」。
物語の終わりに差し掛かった瞬間に必ず起こる、奇妙な現象でした。
彼が使っていたノートパソコンは、結末を書き始めると必ずフリーズしたそうです。
しかも、ただ固まるだけではなく完成間近の原稿は、跡形もなく消えてしまったというのです。
保存していたはずのファイルが開かなくなる。バックアップも壊れている。クラウドにも痕跡が残らない。
そんなことが何度も続きました。
彼は何度も書き直し、何度も失い、そしてついにその作品を書き上げることを諦めたのです。
その作品のタイトルは「不可終環」。
終わることのできない不可思議な循環。そんな意味を込めた、彼の造語でした。
四字熟語風の響きが妙に印象的で、私は初めてタイトルを聞いたとき
なんだか不思議な言葉だなと感じていたことを覚えています。
彼は、その物語のあらすじを私に語ってくれました。
それは、ある男が奇妙な町に迷い込み、そこから抜け出そうとする話でした。
町はどこか空気が歪んでいて、時間の流れも曖昧。人々は同じ言葉を繰り返し、同じ行動を繰り返す。
男は出口を探すが、どの道を選んでもまた町へと戻ってくる。
そんな終わりのない物語。
私は、その話を聞いたとき、何気なくこう思いました。
もしかするとこれは、必然だったのではないかと。
タイトルが「不可終環」。内容も「終わりのない物語」。
もしかすると、彼がその造語をタイトルに選んだ瞬間から、何かが始まっていたのではないか。
その言葉自体に、物語が終わることを拒む力があったのではないか。
書き上げようとするたびに、物語そのものが現実から消えようとしているのではないか。
そこにまるで、完結することを拒む意志が宿っているかのように。
これを私は、ただの妄想だと自分に言い聞かせました。
しかし、このことを語る彼の様子は真剣でした。冗談ではない。創作の苦しみではない。
何かもっと深いところで起きている何らかの異常を、彼は感じ取っていたようでした。
この話を聞いて以来、私は作品のタイトルをつけるときに少しだけ慎重になりました。
言葉には、力がある。意味を込めた瞬間に、その言葉は形を持ち始める。
そして時に物語を動かすだけでなく、物語全体を、そして書く者をも動かしてしまう。
この物語の原稿、起承転まで書いたものを、今も彼は書斎の棚に置いてあるらしく
以降それには触れず、続きを書こうとはしていないそうです。
「不可終環」
私は、その言葉を口にすることを避けています。
書き上げる目前まで書いた原稿が消えてしまうなんて私は絶対にこんな目には遭いたくない。
そう思わずにはいられないからです。
ただ、一つ。
言葉には、力がある。意味を込めた瞬間に、その言葉は形を持ち始める。
このことは本当にそうなのかもしれません。




