其の十壱「勘弁してください」
これから語るのは、もしかするとこれから広まるかもしれない
いや、広まってしまうかもしれない「怖い作り話」です。
全部で壱百八話。どれも短い物語です。
しかしその中には、時に背筋に冷たいものが走り抜け、時にひそひそと誰かの囁きが聞こえ、時に見てはいけないものが見えてしまうこともあるかもしれません。
そしてひとつだけ、どうしても言っておきたいことがあります。
これらの話は、すべて作り話です。しかし、ただの作り話ではありません。
この話、本当なんです。
これは、私がある人から聞いた話。
その人は、地方にあるスーパー(場所、店名は控えさせていただきます。)で働いていた。商品の補充や棚の整理などをこなす日々。仕事は忙しく、時には閉店後も作業が長引くことも。その日も、業務が立て込んでしまい、帰りの時間は深夜二時を過ぎていた。
店内の照明はすでに落とされバックヤードの蛍光灯だけが白く光っていた。静まり返った店内で、彼はひとり帰り支度をしていた。エプロンを外し、ロッカーに荷物をしまい、タイムカードを押す。いつも通りの手順だった。
そのとき、ふと耳に何かが届いた。
「…うぇぇ…うぇぇ…」
それは子供の泣き声のような、か細い音だった。その人は最初は気のせいだと思った。こんな時間に、こんな場所で子供が泣いているはずがない。しかし、音は確かに聞こえていた。店の奥の方から、微かに。彼は心の中でつぶやいた。
「これは猫の声。猫が鳴いてるだけ。」
そう思うことで、怖さを抑えようとした。夜の静けさの中では、音が妙に響く。空調の音や冷蔵庫の稼働音が、時に人の声のように聞こえることもある。だから、これは猫の声だ。そう思えば、怖くない。彼は荷物を持ち、出口へ向かった。
そのとき、同じく残業していた同僚が、突然声を上げた。
「ねえ、子供の泣き声が聞こえませんか!?」
その瞬間、彼の足が止まった。聞こえているのは、自分だけではなかった。
誰かと情報を共有してしまったその音は、もう「猫の声」ではなかった。誰かが「子供の泣き声」と言葉にしたことで、それは今現実になった。否定できないものになってしまった。
彼は、怖さよりも先に、こう思ったという。
「勘弁してください。怖いから猫の声と思うようにしていたのに…」
その言葉には、切実な願いが込められていた。
見えないものを、見えないままにしておきたい。聞こえる音を、聞こえないふりでやり過ごしたい。そうすることで、日常を守りたい。だが、その日常は、同僚の一言でもろくも崩れてしまった。
その後、二人は急いで店を出た。
外は静かだった。街灯の下に、誰もいなかった。もちろん駐車場も空っぽで、少し強めの風だけがヒューヒューと吹いていた。
泣き声は、もう聞こえなかった。
私が聞いたのはそんな話。
この話をしてくれた彼は今でもこの時のことを思い出すといいます。
あの夜、あの声、そしてあの言葉。
「勘弁してください。」
それは、怪異に対する拒絶ではなく、日常を守ろうとする彼のささやかな抵抗だったのかもしれないと、私はそんなことを思ったのでした。
この話は、本当の話なのだそうです。




