やり直し
それから二週間後の土曜日。司は怜を清祥亭に誘い、夕食を楽しんでいた。
「相変わらずここのお料理はとても美味しいですね。」
鱧の湯引きを辛子酢味噌で頂きながら、幸せそうに微笑んだ怜は、司の様子が若干いつもとは違う事に気が付いた。相槌を打ち、美味しそうに料理を頬張っている司だが、何処か緊張しているように見える。
「司さん、もしかして、また私に何か頼み事でもあるのですか?」
怜が疑問を口にすると、海老のお吸い物を口にしていた司は、盛大にむせ出した。
「大丈夫ですか?司さん。」
「…ああ。どうしてそう思ったんだ?」
暫く咳き込み、漸く落ち着いた司が怜に尋ねる。
「いつもよりも少し緊張されて、落ち着かないご様子なので、そうではないかと。また華さんに何か頼まれたのですか?」
怜が予想を告げると、司は苦笑して首を横に振った。どうやら外れだったらしい。だが、先程の司の様子からして、何かある事は間違い無さそうだ。怜は続く言葉を待ったが、司は難しい顔をして食事に戻ってしまったので、怜も急かす事はせずに料理の堪能へと戻る。
そう言えば、前にもこんな事あったな…。
あの時は年末年始の休みが明けてすぐだった。正に今居るこの場所で、急にプロポーズされるという、当時の自分にとっては厄介事でしかなかった無理難題を吹っかけられて早半年。まさかただの職場の上司としか思っていなかった司と、今では本当の恋人同士になっているなどと、あの頃の自分は想像もしていなかった。この半年間で色々あったなと、怜が懐かしみつつ食後の水菓子を頬張っていると、司が漸く口を開いた。
「怜、話があるんだ。」
真剣な目で自分を見つめる司に、怜もそんなに大変な頼み事なのだろうかと思いつつ、手にしていたフォークを置いて居住まいを正した。
「俺は怜を愛している。必ず幸せにして見せるから、俺と結婚して欲しい。」
「え…?」
予想外の言葉と共に、何処からか取り出した高そうな小箱の中身の指輪を見せられ、怜の思考は暫し停止した。
「…嫌、か?」
固まってしまったまま反応が無い怜に、不安になった司が恐る恐る尋ねる。我に返った怜は慌ててブンブンと首を横に振った。
「い、嫌な訳ないです!!えっと、あの、不束者ではございますが宜しくお願い致します!」
顔を赤くした怜が勢い良く頭を下げると、司はほっとしたように満面の笑顔を見せた。怜を促して左手を取り、薬指にそっと指輪を嵌める。あまりに急な事でまだ実感が湧いていない怜は、自分の指でキラキラと輝く、大粒のダイヤモンドの周りに小粒のダイヤモンドが数個散りばめられた白金の指輪を、目を丸くし呆気に取られた表情でただただ見つめていた。
「良かった。これで漸く恥ずかしい思い出を上書き出来そうだ。」
苦笑する司に、怜はゆっくりと視線を移す。
「…その思い出って、もしかして半年前の事ですか?」
「ああ。あの時の事は今でも反省しているよ。自分の勝手な都合だけで怜にプロポーズするなんて、本当に失礼だったなって。だから同じこの場所で、もう一度怜にちゃんとしたプロポーズをしたかったんだ。」
照れたように笑う司に、怜は顔を綻ばせた。
「そうだったんですね。司さんのお気遣い、とても嬉しいです。でも、私としてはあの事を上書きして、無かった事にはされたくないのですが。」
怜の言葉に、司は怪訝そうな顔をする。
「この半年で、私を取り巻く環境は大きく変わりました。大切な人達が出来、親戚や友人と仲直り出来、何よりも私自身を好きになる事が出来ました。これは偏に司さんのお蔭で、その切っ掛けとなったのが、司さんが私にしてくださったあのプロポーズだと私は思っています。ですから、司さんにも覚えておいて頂きたいんです。」
楽しそうな笑顔を見せる怜に、司も口元を緩めた。
「ああ。忘れないさ。最初のプロポーズ自体は、俺も反省はしているが後悔はしていないからな。でもここへ来る度に、あの事を思い出して苦い思いをするよりは、今日のプロポーズの方を思い出にしたいし、怜にもそうして欲しかったから。」
「私にとっては、両方共大切な思い出になりますよ。全ての切っ掛けになり、しかも司さんに二度もプロポーズされた場所だなんて、本当に最高です!」
屈託の無い笑顔を見せる怜に、司も笑顔を零した。半年前まではずっと無表情だった怜。その怜が、今は天真爛漫な笑顔を自分に向けてくれている事が何よりも嬉しい。この幸せが何時までも続くように、いや、必ず続かせて見せると、司は改めて心に誓った。




