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女嫌い社長の初恋  作者: 合澤知里
胸を張る為に

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悪夢の

今回少し長めです。

それから週末になると、司は怜を家に招いて料理を教えてもらいつつ、一緒に夕食を作るようになった。材料や調味料は勿論、鍋やザル等の道具を揃える所から始まったこの料理教室だが、司も怜もこの時間を気に入っていた。根菜類はピーラーで剥いても何故か半分くらいのサイズになり、野菜を切っても大きさが不揃いで、出来上がった料理の見た目も不恰好なものではあったが、怜のお蔭で味だけは毎回美味しく仕上がった。怜と一緒に料理をするのは思いの外楽しく、また自分で作った物はより美味しく感じられて司は満足し、怜もまた司との料理を楽しみつつ、徐々に腕を上げていく司の成長ぶりを頼もしく思っていた。


そして七月最初の日曜日。毎年の事とは言え、華から悪夢の召集が来た。


「はい司、これもお願いね!」


既に両手いっぱいに紙袋を持つ司に、華の手によって更なる荷物が追加される。何の事はない。ただのデパートのバーゲンセールの荷物持ちだ。

楽しそうにあっちへふらふら、こっちへふらふら、色々な店に寄っては、こっちとそっちのどっちが似合うだの、手持ちの服と合わせるにはどうすれば良いだの、いっその事両方買おうかだの、ぐだぐだと悩む華と咲。その後方で、司は大量の荷物を持たされ、ひたすら二人の気が済むまで買い物に付き合わされる、毎年の悪夢の恒例行事。司が中学生になった頃から早々にその役目を押し付け、年齢を理由に毎回逃亡する父と、残念だけどこちらも書き入れ時だから、と言う至極尤もな理由を盾に、ちっとも残念そうじゃない笑顔で休日出勤をする明が羨ましい。いや恨めしい。


「司さん、大丈夫ですか?」


だが毎年と違うのは、怜も一緒にいる事だ。毎回、目つきの悪さも手伝って、通りすがりの誰もが司の顔を見た途端にギョッとする程苛立ちながら二人を待っていた司も、今回ばかりは穏やかな表情をしている。


「やっぱり私、自分の分くらいは持ちます。華さんと咲さんのお荷物もまだ増えそうですし。」

「大丈夫だよ、これくらい。服が嵩張っているだけだから、実際は見た目より軽いしね。」


唯一自分を気遣ってくれる怜に癒され、司は微笑みを浮かべた。二人の荷物だと思うと頭に来るが、怜の荷物なら幾らでも持ってあげたくなる。


「怜も遠慮していないで、折角だからもっと色々見て来なよ。気に入った物があったら、どんどん買っておいで。」

「わあお兄ちゃん今日は優しい!じゃあこれも宜しく!」

笑顔の咲がまた荷物を追加した。ちょっと待て、お前には言っていない、と司は内心で毒づく。


長時間かけて一通り見て回り、漸く満足したらしく、華が休憩にしようと言い出した。デパートの中の喫茶店で荷物を下ろし、司は漸く一息つく。毎回、ここまで辿り着けば、後はコーヒーを飲みつつスマホを弄りながら、母と妹の長いお喋りを適当に聞き流せば帰る事が出来るのだ。尤も、今日は怜も一緒なので、そんな事をする気は無いのだが。


「それにしても楽しかったわね。怜さんはスタイルが良いから、何でも似合うんだもの。パンツスタイルも素敵だけれど、是非今日買ったスカートやワンピースも着てみて頂戴。」

華が紅茶を飲みながら、怜に笑顔を向けた。


「勿論です。折角お二人が見立ててくださった服ですから。お蔭様で良い買い物が出来ました。ありがとうございます。」

軽く頭を下げた怜も、嬉しそうに微笑む。


「でも怜さんあまり買わなかったね。他にも似合う服沢山あったし、もっと色々買えば良かったのに。」

チョコレートパフェを掬いながら、咲が残念そうに言う。


「そうでしょうか。私にしては結構買った方なんですが…。」

「気に入ったら馬鹿みたいに何でも買いまくる母さんと咲に比べれば、誰だってそうなるさ。怜の方が普通だろ。」

戸惑う隣席の怜を尻目に、司は正面に座る二人に向かって吐き捨てた。


「司、今何か言ったかしら?」

「…別に何も。」


にっこりと上品に微笑む華から冷たい視線を浴びせられ、司は顔を背けてチーズケーキを口に放り込んだ。ここで下手に機嫌を損ねて長々と説教を聞かされるよりは、後もう少しだけ我慢していい加減さっさと解放されたい。


「き…今日のお買い物で、華さんが一番気に入られた物はどれですか?」

「一番気に入った物?そうね…。」


怜の質問に気を取り直し、女性陣での楽しげなお喋りに戻った華に、司はほっとして溜息をついた。ケーキやパフェを食べ終わり、後もう少しだけ続くかと思われたお喋りは、お手洗いに行くと席を立った怜に二人が便乗して打ち切られる。思っていたより早く帰れそうで、司は胸を撫で下ろした。三人が喫茶店外にあるデパートのトイレに行っている間に支払いを済ませておけば、戻り次第すぐにここを出られるに違いない。


「今日はついてるなー!可愛い服いっぱい買えたし、怜さんのコーディネートも色々出来たし、何よりもお兄ちゃんが苛々していなかったし!」

「そうね、そこの部分が一番大きいわね。いつもより気持ち良く買い物が出来たもの。これも怜さんのお蔭だわ。」

用を済ませ、化粧を直しながら、華が怜を振り返って微笑む。


「いえ、私は何もしていませんが…。」

「そんな事ないよ。いつもお兄ちゃん、私達に付き合わされるの凄く嫌がってずっと不機嫌なんだもん。今日は怜さんが一緒だったから、お兄ちゃんの機嫌が良かったんだよ。」

「そう、でしょうか。」

「そうよ。これからもバーゲンの時は是非一緒に来てもらいたいくらいだわ。」

華の要望に、怜は一瞬躊躇したが。


「私で良ければ是非。今日もお二人に色々コーディネートを教えて頂けて、勉強になりましたし、楽しかったです。」

「わあ、やったあ!」

喜ぶ咲と華を尻目に、怜は内心で司に謝っていた。


これって、バーゲンの時は必ず司さんに荷物持ちさせちゃうって事よね…。司さんごめんなさい…。


司の負担を減らすべく、せめて自分の分だけでも持とうとしたのに、頑として聞き入れてくれなかった司を思い出し、怜は小さく溜息をついた。

そして化粧直しを終え、三人が連れ立ってトイレを出た時。


「あれ…水野みずの?水野だよね!?」


声のする方を振り返ると、小さな男の子を連れた二十代後半くらいの女性がこちらを凝視していた。


「水野なんでしょう!?ねえ!?」

女性は尚もこちらに向かって呼びかけるが、周囲にそれらしき人物はいないようだ。華と咲が首を傾げていると。


「…私は水野ではありません。」


背筋が凍るような冷たい声色に、華と咲はギョッとして振り返り、そして息を呑んだ。先程まで柔らかい表情を浮かべていた怜が、一変して冷たい能面のような無表情で、女性を睨み付けている。


「人違いでしょう。」

誰に言うでもなく、そう口にした怜は、身を翻して喫茶店へと戻りかけた。


「待って!!あの時の事を謝らせて欲しいの!お願い!!」


怜は否定しているのに、彼女は目的の人物だと確信したのか、必死になって走り寄り、怜の腕を掴んで懇願した。怜は嫌そうに女性を振り返ったものの、やがて溜息をついて華と咲に向き直る。


「申し訳ありません。急用が出来ましたので、今日はこれにて失礼致します。ご面倒をおかけして恐縮ですが、荷物は近日中に改めて取りに伺います。」


頭を下げた怜は、男の子を連れた女性と共にその場を後にする。咲は暫しの間呆然として怜の後ろ姿を見送っていたが、徐々に不安を覚えてきた。女性に声をかけられて以降の、怜の冷たい無表情。まるでまだ自分達に心を開いてくれていなかった、以前の怜に戻ってしまったみたいで、次第に焦燥感に駆られていく。


「どういう事なのかしら…?」

戸惑う華の呟きが耳に入った途端、咲は弾かれたように華を振り返った。


「お母さん、私ちょっと行って来る!この事お兄ちゃんに伝えて!!」

「ええ!?ちょっと咲!?」


狼狽える華をその場に残し、咲は怜の後を追って走り出した。

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