話し合い
翌日の土曜日の昼下がり、司は怜を家まで迎えに行き、怜が話し合いの場として指定した、会社近くの喫茶店へと向かっていた。
「怜、本当に昨日の今日で良かったのか?まだ落ち着いていないんじゃ…。」
司は車を運転しながら、助手席に座る怜に尋ねる。
「問題ありません。嫌な事は後回しにするよりも、さっさと片付けた方が気が楽ですから。」
怜は抑揚のない声で答えた。問題がない、と言われても、顔色があまり良くないのが伊達眼鏡をかけていても分かる。司は怜を心配しつつも、後回しにしても彼女の心労が長引くだけだろうと、意思を尊重する事にしてアクセルを踏み込んだ。同席する以上、万が一怜が再び不安定になるような事があれば、必ず自分が支えるのだと決意を新たにする。
二人は時間前に喫茶店に入ったが、客がまばらに座っている店内の一番奥の席の手前側に、既に角田が座っていた。二人は店内を通り抜け、その向かい側の席へと歩み寄る。
「お忙しい中お時間を頂き、ありがとうございます。」
立ち上がって二人を迎えた角田が丁重に一礼した。
「いえ。こちらこそ昨日は名刺を破ってしまってすみませんでした。貴方は何も悪くないのに。」
怜も角田に頭を下げる。
注文を取りに来た店員にコーヒーを三つ頼むと、怜は角田へと向き直った。
「早速ですが、お話とやらを伺いましょうか。」
「はい。昨日少しお話しした、当社会長の藤堂が、貴女にお会いしたいという件についてなのですが。」
「お会いする気はありません。」
即答で撥ね付ける怜に、角田は困惑したように眉尻を下げた。
「藤堂にも事情がございまして。…実はここだけの話、藤堂は病を患っており、現在闘病生活を続けております。しかしながらここ最近は、長期の入院生活と、薬の副作用も相まって、すっかり気弱になってしまいました。藤堂はずっと秀樹さん…貴女のお父様との縁を切ってしまった事を後悔しており、命があるうちに一目貴女にお会いしたい、と申しております。」
角田の話を、怜は何処か他人事のように、表情一つ変えずに聞いていた。店員が運んで来たコーヒーに口をつけた怜は、おもむろに口を開く。
「会って、どうしようと言うのですか?」
「え…?」
無表情でぶっきらぼうに尋ねる怜に、角田が戸惑いを見せる。
「昨日の私の失礼な態度でお分かり頂けたかと思いますが、私は藤堂の人達とは金輪際関わりたくありません。今日貴方にお越し頂いたのも、その事をはっきりとお伝えする為です。お話とやらは以上でしょうか。」
「お…お待ちください!」
早々に話を切り上げようとする怜に、角田が焦ったように声を上げる。
「是非とも、藤堂を元気付ける為に、雪原様に病院まで足をお運び頂きたいのですが…。どうしても嫌だと仰るのであれば、せめてその理由をお聞かせ願えないでしょうか?」
角田の問いかけに、怜は眉間に皺を寄せて角田を睨み付けた。
「貴方は藤堂の人達から、彼らが私の父と母にした仕打ちを聞いていないのですか?昨日私が激怒した理由を、私の口から言わないと彼らは自覚も出来ないと?」
「いえ…!決してそういう訳ではございませんが…!」
「角田にはあまり詳しく話していないのです。彼を責めないでやってください。」
角田の後ろの席からの声に、怜と司は顔を上げた。立ち上がったスーツ姿の中年の男性が長椅子を回り込んで角田の隣に立つ。男性の後ろからは老年の女性が姿を現した。口を両手で覆って今にも涙を零しそうな表情をしている。
「初めまして。藤堂コンツェルン社長の、藤堂直樹です。…貴女のお父さんの弟です。こちらは母の絢子です。」
藤堂!?最初から来ていたって事!?
目を見開いて顔を歪めた怜が腰を浮かせる。その怒りに満ちた表情に息を呑んだ司は、怜が口を開きかけた瞬間に怜の手を握り締めた。我に返ったように司に目を向けた怜は、少しの間逡巡した後、口を噤んで腰を下ろした。
怜の挙動を悲愴な面持ちで見つめていた直樹は、立ち上がって通路側に移動した角田に促され、絢子と共に長椅子に座った。
「貴女が私達に会いたくないという事は重々承知の上なのですが、どうしても貴女に会って謝罪させて欲しかったのです。驚かせてしまって申し訳ない。」
静かに話す直樹を、怜は鋭い眼差しで睨み付ける。
「ごめんなさい…。本当に、ごめんなさい…!!」
涙をぽろぽろと流しながら謝罪する絢子に視線を移し、怜は青い顔をして睨み付けたまま黙りこくっていた。司はテーブルの下で一旦怜の手を離し、指を絡めて再度握り直す。怜の手は少し震えていたが、しっかりと握り返してきた。
「私からも謝罪します。貴女のお母さんを疑って、傷付けて、貴女の存在をなかった事にしようとして、本当に申し訳ありませんでした。」
深々と頭を下げる直樹に、怜がゆっくりと口を開く。
「…貴方が謝る必要は無いでしょう。母の話によると、貴方は当時まだ高校生だったとか。母も、貴方からは何か言われた訳ではないようですし。」
「確かに、私は貴女のお母さんには何も言っていません。ですが、家族との縁を切ると言う兄に反発し、大喧嘩した挙句引き止めなかった経緯があります。私も同罪のようなものです。」
直樹の告白に、怜は再び黙り込む。
「父も兄との縁を切ってしまった事を酷く後悔しています。父は頑固で意地っ張りな所があるので、自分から謝る事が出来ず、そのうち音を上げて泣き付いてくるだろうと高を括って、兄からの連絡をずっと待っていました。ですが、寂しさを紛らわす為に煙草が増えた事が祟ったのか、肺がんと診断され、漸く、兄に会いたい、行方を捜せと。…そして兄が既に亡くなっており、もう謝る事も出来ないと知って酷く落ち込んでいます。せめて貴女にだけでもお会いし、貴女と貴女のお母さんに大変辛い思いをさせてしまった事を謝罪したいと申しているのですが…。どうか、会ってやって頂けないでしょうか。」
直樹の話を、怜は俯いて聞いていた。やがて司の手を離し、ゆっくりとコーヒーを飲み干した怜は、二人分のコーヒー代をテーブルの上に置いて立ち上がる。
「少し、考えさせてください。」
立ち去る怜に、絢子の泣き声が一層大きくなる。不安げに怜の後ろ姿を見つめる直樹と角田を尻目に、司もコーヒーを飲み干して怜の後に続いた。




