激昂
ビリリッ!!ビッ!!ビッ!!
男性から貰ったばかりの名刺を勢い良く破っていく怜を、司は驚愕のあまりただ見つめる事しか出来なかった。破く毎に怜の顔は険しくなり、怒りとも憎しみともつかない色に染まっていく。怜は歯を食いしばり、涙目になりながら、紙片を小さくクシャクシャに丸めたかと思うと、それを思いっ切り男性に向かって投げ付けた。
「帰って!!藤堂の人達になんかこれっぽっちも会うつもりは無いわ!!」
そう叫ぶと、怜は勢い良く身を翻し、愕然としていた男性は慌てて怜の腕を掴んだ。
「お待ちください!どうか私と一緒にお越し頂きたい!」
「嫌よ!!離して!!」
怜は乱暴に腕を振り解こうとするが、男性も必死の形相で怜のもう片方の手を捕らえる。司は慌てて両者の間に割って入った。
「手を離せ!彼女が嫌がっているだろう!」
怜の腕から男性の手を引き剥がして捻り上げると、男性は痛みに顔を歪めながらも、司の手を強引に振り解いて睨み付けてきた。
「貴方には関係ないでしょう。事情も分からぬ余所者が、余計な手出しをしないで頂きたい!」
「関係ならある。俺は彼女の恋人だ。そもそも、人が嫌がっているのに無理矢理連れて行こうとするなど、今この場で警察を呼ばれても文句は言えないんじゃないのか。」
怜を後ろ手に庇い、威圧してくる男性に負けず司も睨み返す。一連の騒ぎに、通行人も足を止めてこちらを振り返っていた。徐々に増えていくざわめきと人だかりに、一瞥した男性が苦々しげな表情を浮かべる。
「…お言葉はご尤もですね。手荒な真似をしてしまい、申し訳ありませんでした。ですが、お話だけでも聞いて頂きたく、どうかこの通り、お願い致します。」
腰を九十度近く曲げ、男性は深々と頭を垂れた。
「聞く耳など持ちたくもないし、藤堂の命を受けた人間にもこれ以上関わりたくないわ。帰って。」
拒絶する怜の凍て付くような声色に、司は驚きをもって後ろを振り返った。怜は先程よりは少し落ち着いたようだが、怒りを宿した冷たい目つきで、射抜くような視線を男性に向けている。
「そこを何とか!どうかお願い申し上げます!!」
男性は尚も必死に食い下がる。どうやら相当の事情があるようだ。怜にも、そして男性にも。
「…日を改めて、話し合いの席を設ける事は出来ないだろうか?怜、君が嫌なら俺が彼の話を聞いておくから。」
司の提案に、怜は俯いて唇を噛み締めた。少し迷っているように見えたが、顔を上げてはっきりと口にする。
「いえ、私の事で司さんにご迷惑をおかけする訳にはいきません。私が後日、話を聞きます。」
「大丈夫か?顔色が良くないけど。」
「…大丈夫です。」
顔を青ざめさせ、表情を強張らせている怜の不安定な様子に不安が募るが、現時点ではおそらくこれが最良かと、司は男性の方に向き直る。
「貴方もそれで宜しいか?」
「…当方にはあまり時間がありません。早急にお話をお聞き頂きたいのですが。」
苦渋に満ちた表情の男性に、司は小さく溜息を吐いた。
「事情は分かりませんが、今すぐは無理でしょう。見ての通り、彼女は今冷静じゃない。どのようなお話かは知りませんが、事を急いた所で、貴方が望む答えを彼女から引き出す事は難しいかと思いますが。」
司が窘めると、男性は言葉に詰まったようだった。
「…分かりました。では日を改めてまたお伺い致します。日時はそちらで決めて頂いて構いませんが、至急ご連絡を頂きたく、宜しくお願い致します。」
男性と名刺を交換した司は、怜を促して本社ビルの地下駐車場に入って行った。怜はずっと鞄を両手で握り締めたまま青い顔色をして俯き、表情を張り詰めさせて唇を固く引き結んでいる。
「怜、大丈夫か?」
「はい。大丈夫です。」
大丈夫、と言う言葉の割には、様子は少しも変わる気配が無い。
「…大丈夫じゃないだろう。君がそんな表情をするなんて、余程の事情があるんだろうな。今日はもう食事は止めにしてこのまま帰ろうか。家まで送って行くから。」
司の言葉に、怜ははっとして顔を上げた。
「それは駄目です…!折角のお誕生日ですし、約束したじゃないですか。私なら大丈夫です。ご心配には及びません。」
「怜。」
司は優しく声をかけ、宥めるように怜の頭を撫でた。
「無理はしなくて良いよ。今の君の状態じゃ、食事を楽しむなんて出来ないだろう?俺は別に誕生日にそこまで思い入れはないし、今日じゃなくても構わないんだ。また今度一緒に行ければそれで十分だよ。」
「でも、でも…、そんなの、私が嫌なんです!」
涙目で懇願してくる怜に、司は目を見開いた。
「司さんが、お誕生日を私と一緒に過ごしたいって言ってくださって…、嬉しくて、今日一日ずっと楽しみにしていたんです!なのに、このまま帰ってしまったら、今日は嫌な記憶しか頭に残りません!きっと私、司さんのお誕生日が来る度に、今日の事を思い出してずっと後悔してしまいます。司さんにご迷惑をおかけして、嫌な思いをさせてしまったって…!」
今にも泣き出しそうな怜の顔を、司は自分の胸に埋めさせた。
「そうだったのか。ありがとう。楽しみにしていてくれて嬉しい。」
我ながらこんな時に不謹慎かとは思うものの、怜も自分との食事を楽しみにしてくれていたのかと思うと、喜びが湧き上がってくる。どうしようもなく嬉しくなった司は、ぎゅ、と少しだけ怜を抱き締めると、片手で怜の顔を上げさせて伊達眼鏡の奥の瞳を覗き込んだ。
「じゃあ行こうか。場所は俺が決めて良い?」
「はい…!」
漸く怜に笑顔が戻り、司は安堵して顔を綻ばせた。




