帰郷の果て
宿屋の夫婦は、娘を失ったばかりの頃のような気持ちで日々を過ごしていた。
きっと娘は帰らない。あれからどれだけの月日が経ったのか、目を背ける時間はとうに過ぎた。だからこそ、せめて縁のあった冒険者が探している少女くらいは助かってほしい。
どうか、どうか。無事戻りますように。
夫婦は聖堂に通い詰め、毎日祈り続けた。
そんな日が続いた、ある朝。
宿の窓辺に一羽の白い小鳥が訪れた。
宿を開ける準備をしていた夫人が、窓に近づいて小鳥を見つめる。窓越しに見つめ合う様が妙におかしくて、くすりと笑った。
「おや、珍しいお客さんだこと。こんな鳥は見たことがないねえ」
逃げてしまうかも知れないと思いつつ窓を開ければ、意外にも小鳥は小さな体で飛び跳ねながら宿の中に入ってきた。そして赤子の手のひらほどの翼で羽ばたくと、高らかに歌った。
――――眠れ 良い子よ
泣く子はないか 泣かずに眠れ
泣かずに眠れば 小さな夢喰鳥が
お前の悪夢を ひょいとくわえて
お山に連れ去り 墓穴に埋めて
リオルの花に 変えてくれるよ――――
独特の地方訛りを再現した歌声は、幼い少女の声に似ていた。
そして夫人には、その声に聞き覚えがあった。知らない歌だが、声は間違いようがない。
「ああ……なんてこと…………」
その場に膝をつき涙を流す夫人の肩に、小鳥が留まる。
――――Neir liette Mouttie. Lasa infelia niel lisyera ti nachtie.――――
(ママ、もうすぐ帰るわ。最期は大好きなベッドで眠りたいの)
最後にそう歌うと、小鳥は光の粒子となって消えた。聞いたことのない言語だったが、不思議と意味が心に染みこんできて、夫人は思わず胸元を握りしめた。
開け放たれた窓からは、爽やかな朝の風が舞い込んでくる。遠くに街の喧騒を聞きながら、混乱しつつもいま起きたことを噛みしめる。
マギアルタリアに住んではいるものの、夫人には魔術と魔法の区別はつかない。だが、何となくいまの小鳥は、この宿に泊まった冒険者の一人、エルフの青年が使う魔法のように感じられた。
彼は見目が美しいだけでなく、ヒュメンにもわかるほど甘やかな風の魔素を纏っていた。それを小鳥の羽ばたきと歌声からも感じたのだ。
「お、おい。どうした、大丈夫か!」
背後から亭主の慌てた声がして、夫人はのろのろと顔を上げた。窓辺で座り込んでいたせいで、具合でも悪いのかと思われたらしい。
夫人は「私は大丈夫」と答えてから、今し方の出来事を話した。
信じてもらえないかも知れない。余所のお嬢さんとは言え目の前で沈んでいく様を見たために、疲れて幻でも見たのだろうとあしらわれても仕方ないと思いながら。
「……ふむ、そうか。もしかしたら、冒険者様方がなにか娘の手がかりを見つけたのかも知れん。遺体の一部でも持ち物でも、戻ってくるならそれは娘《あの子》だ。迎える準備をしておこうか」
だが亭主は、一瞬たりとも疑いを見せずにそう答えた。
「ええ……そうですね」
亭主に支えられながら立ち上がり、宿の支度と平行して娘のための準備をする。
幸い此処は魔導帝国だ。魔術師自体はあふれんばかりにいる。教会を通して依頼すれば、すぐに葬送術師が手配された。幸いなことに火流葬儀場の空きもあり、娘を迎え、そして送り出す準備は滞りなく済ませられた。
「急な依頼ですみませんねえ」
夫人は宿に迎えた葬送術師にお茶を出しながら、恐縮して頭を下げた。
「いえ、大丈夫です。それより資格を取ったばかりの自分で、本当に良いんでしょうか? 大事な娘さんの葬儀だと伺いましたが……」
「勿論ですとも。お世話になります」
「承知致しました。では、精一杯おつとめさせて頂きますね」
出されたお茶を一口啜り、宿の食堂内をぐるりと見回す。
カウンターには小さな写真が立てかけてあり、仲睦まじい様子の夫妻と娘が写っている。写真は僅かに色褪せており、写っている夫妻は若く娘も幼い。これほど家族を大切にしている二人なら、娘が成長した折には写真も新しく撮ることだろう。それがないという事実が、家族の止まった時を声もなく伝えていた。
「おかみさん! 馬車が来たよ!」
陽が傾き始めた頃。
宿に一人の男性が駆け込んできた。彼もまたマギアルタリアで店を構えている人物で、宿屋夫妻同様に、魔骸によって家族を失っている。
宿屋夫妻が外に飛び出すと、一目見たら二度と忘れようもない華やかな馬車が見えた。停車して間もなく降車口が開き、執事の手を借りて花の少女――ミアが降りてきた。
彼女は宿屋夫妻に気付くと真っ直ぐ歩み寄ってきて、涙を堪えるような微笑を浮かべた。
「こんにちは。道中クィンたちから聞いたわ。とても良くしてもらったって」
「とんでもない。宿屋として当然のことをしたまでだよ。それよりお嬢ちゃん、お怪我は?」
「わたしはへいきよ。皆が来てくれたから」
其処で夫妻が顔を上げ、一行を見る。誰も目立った怪我をしていないどころか装備のほつれすらなく、魔骸と戦ってきたばかりとは思えない姿だ。
「それで……娘さんのことなのだけれど」
ああ、遂に。
夫妻は覚悟を決めた顔で頷いた。
どれほど凄惨な残骸だろうと、服の切れ端だろうと、しっかり受け入れよう。
そう思って、一行のあとについて馬車の傍につく。
ゆっくりと後部の扉が開かれて、覚悟と共に固く閉じていた目を開くと、夫妻は息を飲んだ。
「これ……は……?」
馬車の荷を積む場所には、小さな箱が収まっていた。
白い花の輪が蓋の上に置かれた、木製の箱だ。
「職人のもんじゃなくて悪いが、棺を作って収めてきた」
「え……?」
言葉の意味が飲み込めず、夫妻は呆けた顔で箱を見つめる。
形だけでも葬儀ができればと、空の棺を作ってくれたということだろうか。娘のためにわざわざ其処までしてくれるなんて。そう思っている夫妻の目の前で棺が降ろされ、蓋が僅かに開かれる。
「最期にお顔を見てご挨拶してあげてください」
クィンの言葉に、夫妻は今度こそたったの一音すら発することなく固まってしまった。
顔を見ることが出来る。それがなにを意味するのか、知っている言語なのに理解が追いつかず、脳が事態を処理するのに、随分と時間を要した。
「顔を……見ることが出来るんですか……」
やっと絞り出した言葉も、まるで鳥の人真似のようで。
これまで見てきた魔骸の被害者は、それは見るも無惨でひどい有様だった。
鍛えられている冒険者でさえ四肢を失ったり腹をえぐられたり、原形をとどめておらず現場から連れ帰ることすら出来なかった者も珍しくないという。更に最近は魔骸の毒を受けると、傷口から歪んで化け物になるなどという噂まであるのだ。
幼子の体など、木の葉のようにちぎれてなくなっているだろうと思っていたのに。
「ああ…………あぁ……!!」
棺をのぞき込んだ夫妻の目に映ったのは、まるでベッドで眠っているかのように安らかな表情で目を閉じている娘の姿だった。
棺に縋り付いて泣き崩れる妻の背を、鼻を啜りながら夫が摩る。
悪夢を吸い取り、安らかな眠りを与えるとされるリオルの花に囲まれて、胸の上で手を組んで、白い顔で眠る幼い娘。頬を撫でれば、いまにも目を開けて微笑みそうで。笑う声が聞こえそうで。火流葬会場へ運ぶあいだも、運んでからも、夫妻は知人に支えられてやっと歩ける状態だった。
「これより、葬儀を執り行います」
葬送術師が杖を掲げると、炎が棺を包み込んだ。
巻き上がる炎が、棺とその中で眠る娘を魔素に分解していく。備えられた花も、舞い上がっては灰と化し、空へと消えていく。
炎が夜空に吸い込まれる様は、まるで星空の一部になっていくかのようで、夫妻は遠い夜に瞬く星を、いつまでも眩しそうに見上げていた。




