番外編6
アウリスがリューディアの病室を訪ねたのは夕刻になってからだった。ノックをすると相手を確認せず入出許可を出した彼女に小言を言いつつ、アウリスは彼女の側に寄った。
おそらく、アウリスは彼女に礼を言うべきなのだ。彼女のおかげで、アウリスは怪我ひとつなく無事だったのだから。だが、それよりも彼女のことが心配で、思わずそれを口にしてしまった。リューディアが不思議そうにする。
「心配はありがたいのですが、殿下にそこまで気にしていただく必要もないかと」
アウリスは眉根を寄せ、リューディアを見つめた。はっきりと言わないと、彼女には通じないらしい。
「……言わなかったか?」
「何がですか」
アウリスは一拍呼吸を置き、答えた。
「リューディア、愛している。お前がいなければ生きられない」
沈黙したリューディアは少し間を置いてから理由を問うてきた。だが、何故、と言われてもアウリスにもわからない。人を好きになるのに、明確な理由が必要なのだろうか。彼女の気持ちが自分に向いてほしい、と思うのが愛ではなのだろうか。
彼女が剣を持つと不安だ。怪我をしないかと、心配になる。
自分の思いをつらつらと言い連ねると、リューディアは戸惑った様子を見せた。何でも、男性から言い寄られたことはないらしい。
なら、女性からはあるのか、と半分冗談で尋ねると、彼女はうなずいた。すごいな、女性と言う生き物は……。
アウリスがリューディアに積極的なアプローチを宣言すると、彼女は本気にしていないのか笑って「何をしていただけるのか、楽しみにしておこうと思います」などと言ってのけた。アウリスは自然と唇に笑みを浮かべた。
「ああ。楽しみにしていろ。必ずお前の心をとらえてみせる」
△
とは言ったものの、基本的に相手の方から寄ってくるアウリスだ。思いを寄せる令嬢になにをすればいいのかわからない。手っ取り早いのは贈り物であるが、リューディアがそういったもので喜ぶとは思えない。それでも、一応アウリスは何が贈られるとうれしいか、周囲の女性に聞いてみた。
「もらってうれしいものですか? そうですねぇ。花束とか」
「もらってうれしいもの? う~ん……剣とか、かなぁ」
「お、贈られてうれしいものですか……? えっと、本でしょうか。魔導書だとよりうれしいです」
と言う返答がそれぞれエリサ、ミルヴァ、マリアンネから返ってきて、アウリスはさすがに聞く人を間違えたと反省した。おそらくエリサの意見が一般的な女性の意見に近いだろうが、花束をもらって喜ぶリューディアが想像できない。
リューディアの思考に近いのはミルヴァだろうが、どこに好きな女に剣を贈る男がいるのか。マリアンネに至っては論外である。
というわけで、安易に贈り物をするのはやめた。
となれば、この時期だと夜会などで積極的に話しかけるくらいだろうか。
リューディアは目を覚ましてから二日後に『退院』していった。その後は必ず行かなければならない夜会には参加しているようだ。
そのため、主だった夜会に参加すればリューディアがいた。ティーリカイネン公爵家でも夜会が開かれたため、アウリスも参加した。当たり前かもしれないが、ティーリカイネン姉妹と仲の良いエリサとミルヴァも一緒だった。
リクハルドと一緒だったとはいえ、女性たちの中に入るのはアウリスには難易度が高かった。少しリューディアと喧嘩になったが、そのおかげで仲良くなれた気がする。しかし、「アウリスもユハニと似てるね」と言う言葉には断固拒否を示させてほしい。
まあ、リューディアとともにいられる時間が増えて浮かれていたことは否定しない。しかし、決して自分が狙われていることを忘れたわけではなかった。
「忠告したと思うが、気を付けるように言ったはずだな?」
とユハニに再度忠告されるのは心外である。別に、1人でふらふらしたわけではない。リューディアが一緒だったし、少し離れたところからエリサ、ミルヴァ、セラフィーナの3人が様子を見ていた。ついでに言うなら、マリアンネも巻き込まれていた。
アウリスはティーリカイネン公爵家の夜会で、再びリューディアと共に庭に出たのである。誘ってみたらうなずいてくれたので、2人で庭に出た。そして、それに三人娘がついてきたのである。マリアンネは従姉の家と言うことで、お泊り中だったらしい。おそらく、リクハルドが連れてきたのだろう。
ティーリカイネン公爵家の夜会に参加しなかったユハニが、どこから情報を仕入れたのか。聞くだけ無駄だろう。マリアンネがすまなさそうな表情でユハニの隣に立っているから。
「……私的には、何故マリアンネがあの場所にいたのか不思議なのだが」
話の方向転換を試みるが、マリアンネがびくっとしてユハニの背後に隠れる。ユハニも「それはどうでもいい」とマリアンネをかばうようなセリフを吐く。アウリスは肩をすくめた。後で確認したところによると、彼女は月の光を浴びた夜露を集めていたらしい。魔法の実験に使うのだそうだ。
「まあまあ。確かにアウリスも悪いけど、ユハニもそんなに責めることないと思うよ。何しろ、現場はティーリカイネン公爵邸だからね」
「……そうかもしれんが」
相変わらず爽やかな笑顔でユハニをとりなすリクハルドだが、言っている内容は結構ひどい。
「そういうユハニは何か分かったのか?」
「……いや」
歯切れ悪くユハニが首を左右に振る。どうやら何もわかっていないらしい。それどころか。
「俺と兄上を襲った男たちだが、獄中で服毒死しているのが発見された」
「……」
アウリスもリクハルドも思わず沈黙した。これで、振り出しに戻ってしまった。
「……でも、獄中に毒を持ち込めるということは、命じた黒幕は警備にも口をはさめる人物ってことだよね」
「とすると、だいぶ人物は絞り込めるな」
「だが、決定打にはならない」
うーむ、と3人ともうなる。だいぶ容疑者は絞り込めるが、特定はできない。何ともむず痒い状況だ。
「本当は最後の夜会までに捕まえておきたかったんだが……すまん」
最後に付け加えられたユハニの言葉に、アウリスとリクハルドは目を見開いた。
「お前が謝罪するなんて、明日は雪でも降るのか?」
「いやいや。降るのは槍かも」
たちの悪い冗談に、ユハニは眉をぐっと持ち上げ、怒りの表情になった。
「2人とも、いい加減にしないと本当に雪や槍の雨を降らせるぞ」
うん。ユハニならできそうである。
△
そんなわけでこの夏最後の夜会が開かれた。会場は王宮である。と言うか、社交シーズンはじめと最後の夜会はたいてい王宮で開かれるので、例年通りと言えば例年通りである。
早速リューディアをダンスに誘ったアウリスだが、彼女の表情はさえない。この社交シーズンの初めに彼女を誘った時よりはいい雰囲気になっていると思ったのだが、気のせいだったのだろうか。
だが、周囲を見渡して何となく納得したアウリスである。アウリスが積極的にリューディアに声をかけるようになったことで、彼の思い人が彼女であることは知れ渡っていることだろう。それについて、貴族たちの反応は別れた。
全体的に見て、貴族男性からは不審げに見られ、貴族女性からは暑い視線を贈られているリューディアである。それは、変わらない。しかし、自分の娘を王太子妃に、と考えているであろう貴族の親たちからはおおむね不評であるようだ。当たり前だけど。
それくらいでめげるリューディアではないが、居心地の悪さまでは無視できないようだ。
リューディアが毒に倒れてから三週間。もう大丈夫だと豪語するリューディアであるが、医師の指示には従うべきだろう。そう指摘すると、リューディアは肩をすくめて「わかったよ」と答えた。
彼女と共に壁の華になっていると、彼女の妹のセラフィーナとその恋人のイェレミアスが近づいてきた。どうやら、リューディアはイェレミアスに対する未練を完全に振り切っているらしい。その潔さに感服だ。セラフィーナが嬉しそうにリューディアに話しかけた。
「お姉様。入口の所に飾られている氷像をご覧になりました? あれ、マリィが創ったらしいですよ」
「らしいね。彼女の芸術的センスには感服するよ」
事前に知っていたリューディアはセラフィーナにそう答えた。アウリスも入口のマリアンネ作女神の氷像を見ていた。以前より完成度が上がっている気がした。
「……マリアンネは抽象画が専門だと思っていたが、普通の芸術作品も作れるんだな」
以前から思っていたことを口にしてしまった。
ボーイが差し出したワインを受け取り、それぞれ口をつけようとする。セラフィーナだけはシャンパンであったが。
「ん?」
リューディアが声をあげた。その声につられてそちらを見ると、何とワイングラスが凍っていた。
「……凍っている」
「マリアンネか?」
氷と聞くと最近は彼女を思い出す。リューディアのものどころか、他三人のグラスも凍っていた。
そこに、リクハルドから声がかかった。彼に尋ねたが、彼もマリアンネの魔法かどうかはわからないらしい。
その彼は婚約者のミルヴァを置いて様子を見に行った。その才にリューディアに短剣を渡していったのが気にくわないが、確かに、彼女の戦闘力が頼りになるのは否定できない。
そして、そのまま待ち続けたが、リクハルドは戻ってこない。少々もめたが、アウリスとリューディアで様子を見に行くことにした。
静まり返った廊下を2人で歩く。こんな状況でなければロマンチックだったかもしれないが、王宮であるのに警備兵が誰もいないのは不自然である。ユハニがこんなことを許すはずがない。とすれば、彼が指摘していた通り、警備兵が勝手に入れ替えられていた可能性が高い。
隣で、リューディアが身震いした。
「……なんか寒くない?」
「そうだな……冷気が漂っている気はする」
夏ではありえない冷気が漂っている。よく見れば、吐く息が白い。アウリスはイブニングドレスのリューディアに上着を差し出した。つきかえされるかと思ったが、よほど寒かったのか彼女は素直に受け取ってくれた。
「これ、マリアンネなんじゃないか?」
「えっ」
ふと思ってアウリスが言うと、リューディアが間抜けな声をあげた。しかし、すぐに同意してくれる。
「そうかもね。ってことは、寒くなる方に向かっていけば、マリィがいるということかな」
「……先に私たちが凍りつかなければいいけどな」
進むごとに冷気は増している。本当に、2人とも凍りついてしまわないとは限らない。
神話に聞く霜の王国のような世界が現れた。廊下は白く、吐く息は白い。そこにたたずむ小柄な少女がいた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
前から思っていましたが、マリアンネの魔法はエ〇サの魔法に近いですよね……。マリアンネも街ひとつくらいなら氷漬けにできそうな気がします。




