【15】
とりあえず、この話でいったん完結です。
ヴァルトの乱心事件が起きた翌年の春、リューディアはアウリスと結婚した。それに至るまでの流れをざっと話したリューディアは、ティーカップを持ち上げてお茶をすすった。
「……失礼ですが、お姉様。そこからどうして殿下との結婚に至ったのかさっぱりわかりませんわ」
そう言ったのはセラフィーナだ。当時15歳だった彼女も、すでに21歳。イェレミアスと結婚し、三児の母となっている。
「確かに、しばらく友人みたいな関係だなぁと思ってみてたら、いつの間にか結婚が決まってたわよね」
そう言ったのはミルヴァ。彼女も今、22歳だ。一年半ほど前に婚約者のリクハルドと結婚し、今、臨月を迎えようとしている。
そのため、王太子妃であるリューディアが、ミルヴァの嫁ぎ先であるエルヴァスティ侯爵邸に来ると言う事態になっている。まあ、別にいいのだが、リューディアは身分を笠に着るつもりはないから。
「いや、アウリスに『そろそろ結婚しようと思う』って言われたから、適当に『そうだねー』とか言ったら、いつの間にかこんなことに」
ぶっちゃけたリューディアに、ミルヴァは「お兄様が聞いたらショックで倒れるかもね」と笑った。
結婚したとき、アウリスを愛していたかと言われたらリューディアは首をかしげただろう。アウリスのことは好きだったが、愛しているかと問われると微妙だ。
だが、今なら断言できる。リューディアはアウリスを愛している。
だから、リューディアはあの時、アウリスと結婚してよかったと思っている。
かつて、アウリスはリューディアに言ったが、何故愛しているか、それを説明するすべはない。こんなところがいとおしいとか、そういうことを述べることはできるが、そう言うことではないのだ。
愛とは難しいものだ。しかし、友情からでも愛は育つのだなぁ、と思った。
「それに、お姉様がイェレを好きだったと、初めて知りましたわ」
セラフィーナが自分の夫の名をあげる。リューディアは苦笑した。もう6年も前の話だ。
「昔の話だよ。今から思えば、イェレを好きな気持ちは、どちらかと言うと兄や弟を慕うようなもの似ていたと思う」
「……さっきからつっこもうと思ってたけど、イェレミアスはリューリより年上よね?」
「そうだね。でも、一歳の差なんて大したことないからね」
リューディアは言い切った。指摘したミルヴァはやはりあきれ顔だ。リューシアは六年経って十九歳となった今もおとなしいマリアンネに顔を向けた。エルヴァスティ侯爵邸の庭に集結しているのは、リューディア、ミルヴァ、セラフィーナ、そしてマリアンネの4人である。
「マリィ。フラスクエロ殿下……もう臣籍降下したから王子じゃないんだっけ? 彼とはどう?」
ゆっくりとしたしぐさで持っていたティーカップを下ろしたマリアンネは、やはりおっとりと口を開いた。
「フラス様は、今は公爵です。仲は、いいと思います。イグレシアの国王陛下や、王太子様もいい方ですし……。それに、絵もたくさん描かせてくれますし、研究をしていても怒られません」
それは、ただマリアンネの夫が彼女を甘やかしているだけのような気もする。
昨年、マリアンネは隣国イグレシアの第二王子フラスクエロと結婚した。今は臣籍降下して公爵らしいが、はっきり言ってみているリューディアたちからは、フラスクエロからマリアンネへの愛情が重い気がする。
ただ、マリアンネもうれしそうなので、誰も指摘しないだけだ。
「わたくし、マリィはユハニ様と結婚すると思っていたわ」
セラフィーナがぶっちゃけた。正直言うと、リューディアとミルヴァもユハニはマリアンネが好きなのだと思っていたので、あっさりと彼女を手放したユハニに驚いたものだ。
マリアンネはことりと小首をかしげた。
「ユハニ様は、わたくしにとってもう一人のお兄様のようなものです」
「……」
リューディアとミルヴァ、セラフィーナは思わず目を見合わせた。マリアンネはやはりおっとりとしたしぐさでクッキーをつまんでいる。何年たっても、おっとりした性格は変わらないようだ。
「……マリィ、よく食べるわね」
話をそらすようにミルヴァが言った。マリアンネは咀嚼していたクッキーを飲みこむと、言った。
「食べつわりらしいです」
「えー。何それうらやましい」
つわりのひどかったミルヴァが言った。まだ安定期に入っていないマリアンネがイグレシアからカルナに帰国できたのは、彼女のつわりが軽いからだろう。
そう、マリアンネは現在妊娠中である。妊娠中なのにカルナ王国に戻ってきたわけは……。
「ユハニ様の相手の方は、どんな方ですか?」
これだ。かつての上司であるユハニの妻となる女性が気になったのだ。『カルナ王国の最終兵器その一』もしくは魔王と言われたユハニも、結婚することになったのだ。
鬼畜として知られるユハニの妻となる女性はどんな人か。ユハニの結婚が決まった時から気にしていたマリアンネは、渋る夫を置いてカルナ王国に帰ってきた。結婚式に出席するために。強くなったな、マリアンネ。
どうやって出国したのかと問えば、
「王妃様と王太子妃様に頼みました」
これだ。イグレシアでは、女性が強いらしい。そして、マリアンネは夫の母や兄嫁とも良好な関係を築けているらしい。ちょっと安心した。
「公爵は?」
「……置いてきました」
「……」
置いてきたのか。あとが怖いな、と思いつつ、初の妊娠である妻を夫が気にするのは当然である。リューディアの時も、アウリスはうるさかった。いつもは適度にツッコミを入れてくるだけなのに、妊娠中だけは、体調は大丈夫か、腹の子は元気か、あまり無理をするな、とことあるごとに言ってきた。正直言って、ウザったかったが、それでも嫌いになれないのだから、リューディアは確かにアウリスのことが好きなのだろう。
「そうねぇ。レドヴィナ王国の人だけど、強烈な人ね。ユハニと張り合えるサディスト」
「……どんなですか、それ」
ミルヴァの痛烈だか的確な言葉に、マリアンネは要領を得ずに首をかしげた。
このたびユハニが結婚することになった相手は、北方の国レドヴィナ王国の貴族令嬢である。レドヴィナは変わった国で、通称・女王の国とも呼ばれている。何でも、有力貴族の令嬢の中から女王を一人、選ぶのだそうだ。任期も決まっており、よっぽどのことがない限り二十五年が任期になるそうだ。現在のレドヴィナ女王は即位してから三年目になるそうだ。
ユハニの妻となる予定の女性は、このレドヴィナにおいて女王候補とされていた女性であるらしい。リューディアも何度か会ったが、強烈な人だった……。
「まあ、百聞は一見にしかずって言うし、聞くより見たほうが早いよ」
ちなみに、リューディアはエルヴァスティ侯爵邸に来る前に、アウリスと共にユハニと彼女の様子を見てきたが、今日も元気に喧嘩していた。本当に、元気。
マリアンネはおっとりと微笑み、「そうですね」とうなずいた。楽しみにしておきます、とサディストを恐れない辺り、さすがはユハニの下で働いていただけある。
「お兄様とイェレミアス様にはお会いしましたけど、アウリス殿下はお元気ですか?」
ずっと嫁ぎ先の異国にいたマリアンネに尋ねられ、リューディアは苦笑した。
「うちの娘、2歳になったんだけど、あまりかまってやれなかったから父親のことが認識できないみたいでね。ショックを受けているよ」
リューディアには2歳になる娘と1歳の息子がいるが、娘の方は思春期にある「父嫌い」現象が起きつつある。いや、アウリスを父と認識できていないから、ちょっと違うか。娘は、アウリスが来るとリューディアか乳母の元に寄ってくるのである。リューディア的には可愛いのだが、避けられたアウリス的にはショックらしい。今、頑張って懐かせている。
政務が滞らないくらいには子供を構ってやってほしいと思うが、必死なアウリスを見ていると、何となく笑いがこみあげてくる。
「いやあ、かわいいよね。アウリスのそう言うところは」
何気なしに言うと、ミルヴァにどん引きされた。
「リューリ……うちの兄をかわいいっていうとか、頭は大丈夫?」
「私としてはリクと夫婦をしているミルヴァの方が信じられない」
「かっこいいでしょ、リク」
「見た目はね。と言うか、見た目だけならアウリスも似たようなもんでしょ」
どっちも、中身が少々残念であるのは認めるが。
ミルヴァとリューディアが言い合いを始めたため、取り残されたセラフィーナが同じく取り残されたマリアンネにささやいた。
「どっちもどっちだと思わない?」
声は出さなかったが、深くうなずいたマリアンネを見て、リューディアは少しショックを受けた。かわいいマリアンネにまでそんなふうに思われているとは。
「マリィ!」
エルヴァスティ侯爵邸の庭に、男性の声が響いた。愛称を呼ばれたマリアンネはゆっくりと振り返る。
「あ、フラス様」
自分の夫の姿を見て、マリアンネの頬が緩んだ。なんだかんだで、仲良くやっているようで何より。
マリアンネのそばまで来た彼女の夫、フラスクエロはリューディアたちを見て爽やかな笑みを浮かべる。
「お久しぶりですね、リューディア殿、ミルヴァ殿。それと、セラフィーナ夫人でしたね」
どうやら、フラスクエロはセラフィーナのことも知っていたらしい。ひとまず挨拶を返すと、フラスクエロはマリアンネに向かって言った。
「マリィ、突然いなくなるから心配したんだよ。まさか、私に断りなく帰国するなんて……」
「ごめんなさい。止められると思って……」
「もしかして、私のことが嫌いになった?」
「はい?」
何故か離婚危機が勃発しかけているイグレシアの侯爵夫妻は放っておく。絶対に離婚しないだろうから。リューディアはフラスクエロが来た方を見ていた。他にも、近づいてくる影がある。
リューディアはニコリと微笑んだ。
「やあ。迎えに来てくれたのかい?」
「まあ、そうだな。と言うか、できるだけ王宮から出ないでくれ。迎えに行くのが難しい」
そう言いながらも迎えに来てくれるアウリスが好きだ。おそらく、フラスクエロがマリアンネを迎えに来るのについてきたのだろう。家主であるリクハルドはもちろん、たぶん護衛であろうイェレミアスも一緒だった。イェレミアスはすでにセラフィーナと二人の世界を作り上げている。
リクハルドはマリアンネに迫っているフラスクエロを引き離している。ミルヴァがそれを見て笑っていた。
「帰るぞ、リューリ。みんな待ってる」
「そうだね。じゃあ、私は先に失礼するよ」
どちらにしろ、王太子妃が長く王宮を空けることはできない。そう思って立ち上がった時、ミルヴァがうめき声を漏らした。
「い、痛……っ」
先ほどまで笑っていたミルヴァが大きな腹をおさえてうめいていた。リクハルドがフラスクエロを離し、ミルヴァの体を支えた。
「ミルヴァ!?」
「もしかして、陣痛!?」
セラフィーナも驚きの声を上げる。ミルヴァの隣に座っていたマリアンネもびくっとすくんだ。
「ミルヴァ様、大丈夫ですか?」
「お姉様と呼んで……っ」
どんなに痛くても、ミルヴァは指摘を忘れなかった。リューディアが『リューリお姉様』と呼ばれているのがうらやましいらしい。
「こんな時に何言って……うぅっ」
今度はマリアンネが口元をおさえた。こっちは吐き気か!
「マリィ!」
今度はフラスクエロがマリアンネを支える。なんだか。
「混とんとしてきたな」
完全に蚊帳の外であるアウリスがつぶやいた。リューディアは苦笑する。
「リクもフラスクエロ様も。妊娠や出産は病気じゃないんだから」
「でも、ミルヴァ様は急いだ方がいいですよ!」
リューディアの言葉に、セラフィーナが付け足した。確かに、本当に陣痛だとしたらもうすぐ生まれると言うことである。
「え、ちょ、ミルヴァ、ちょっとごめんね!」
リクハルドがミルヴァを抱き上げ、屋敷の中に連れて行く。マリアンネは耐えたが、結局庭の隅で吐いている。彼女の場合はただの食べ過ぎのような気もした。ちなみに、セラフィーナがミルヴァについて行ったので、イェレミアスもそちらについて行った。
その様子を見ていたリューディアは、アウリスに言った。
「……帰ろうか」
「そうだな……」
甥か姪が生まれるのは見たいが、二人がここにいてもできることはない。
最後はごたごたしたお茶会だったか、とても楽しかった。マリアンネに無理をしないように声をかけ、リューディアは本当に王宮に戻って行った。後日、男児を生んだミルヴァに責められたが、笑ってごまかしておいた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
これ、恋愛小説だったのでしょうか……そんな疑問が残る終わり方でしたが、まあ、他のジャンルが当てはまらないので、消去法で結局恋愛になっただろうなぁと思う私です。
微妙なところで終わらせたのはわざとです。こういう終わり方も、してみたかったので。
以下、蛇足です。
ちなみに、作中に出てきた『レドヴィナ王国』は、完結済みの『背中合わせの女王』に出てきた国と同じです。この時の女王様は『背中合わせの女王』の主人公の祖母ヘルミーナ女王です。




