【11】
目を覚ましてから2日後。リューディアは無事に回復して王宮の医務室を出た。主治医からは「驚異的な回復力」というお言葉をいただいた。魔力の性質的に、リューディアは体が丈夫なのだそうだ。
それでも、激しい運動はしばらく禁止。少しずつ運動量は増やしてもいいと言われたが、リューディアには少し物足りなかった。
リューディアがダウンしている間に、社交シーズンも後半に入った。王宮やほかの貴族の屋敷でも夜毎に夜会が開かれ、リューディアもどうしても参加しなければならないものは参加している。ダンスの踊りすぎに注意、と言われているので、リューディアは壁の華だ。それでも、令嬢たちが寄ってくるけど。
そして、寄ってくるのは令嬢たちだけではなくなった。アウリスも寄ってくるようになった。もちろん、王太子としての節度を保っているがその行動はアウリスにとってリューディアが『特別』であることを知らしめているような気もした。
「王太子殿下はティーリカイネン公爵令嬢をお選びか」
「身分的には問題ないが、変わった方だからな……」
「男装して夜会に参加するような方だからな」
おおむね、リューディアの貴族男性からの印象はこんな感じらしい。確かに、リューディアに王太子妃が務まるかと言われたら謎であるが、一応、淑女教育をされているので、それらしく振る舞うことはできる。たぶん。
一方、相手が貴族女性だと少々話は変わってくる。
「王太子様とリューディア様が並ばれると、お似合いね」
「リューディア様は王太子殿下を助けたことがあるらしいわよ」
「王太子殿下が相手を選ばれたのはショックだけど、リューディア様ならありね」
やはり、リューディアは同性からの支持率が高いようだ。珍しい現象である。中にはアウリスを本気で狙っていた令嬢もいるだろうに、いいのか。
おそらく、貴族男性、主に父親世代にとっては、娘を少しでも条件がいい相手に嫁がせてやるのが、娘の幸せだと思っているのだろう。そして、現在、独身で最も条件がいい男性はアウリスだ。リクハルドも未婚であるが、彼には王女のミルヴァという婚約者がいるので頭数に入っていない。おそらく、イェレミアスもその1人だが、恋人のセラフィーナは文句の付けどころがない令嬢なのだ。
そして、リューディアは同性にモテる。それが、王太子が愛する女に代わっても同じらしい。そのため、男性と女性ではリューディアに対する印象に差があるのだ。
「どうした? 疲れたか?」
リューディアをリードしていたアウリスが心配そうに尋ねてくる。ここは王宮だ。この夏最後の夜会は、王宮で開かれていた。
さすがに何度もダンスに誘われるようになると、リューディアもアウリスの手を取ることをあまりためらわなくなってきた。
今のは、ため息をついたリューディアを心配してくれたのだろう。今日も彼女には、男性からの不審げな視線と、女性からの熱い視線が送られている。
「いや……人の心は難しいなぁと思って」
「突然どうした。やはり疲れてるんじゃないか」
「あ、それは大丈夫」
疲れてはいない。リューディアはアウリスに合わせて踊っているだけだし、もともと体力のある方だ。まだ『踊りすぎ注意』と言われているが、今日はまだ一曲目だ。
「だが、やはり休んだ方がいいだろう」
「ねえみんな、心配しすぎなんだよ。あれからもう三週間たってるんだからね」
すでに、リューディアが毒をくらってから3週間が経っている。みんな心配し過ぎなのだ。そして、その3週間の間にリューディアとアウリスはすっかり打ち解けている。知り合い以上友人以下の関係から、仲の良い友人に昇格だろうか。
「それでも、医師の指示には従うべきだ」
アウリスの断固とした言葉に、リューディアはもう一度ため息をつく。彼の言うことも、わかる。本人が大丈夫だと思っていても、そうでないことはよくある。何度も怪我が完全に治っていないのに無茶をして、再び寝込むということを繰り返したことのあるリューディアは、そのことも理解していた。
「わかったよ」
リューディアがそう返事をしたとき、折よくその曲が終わった。会場が拍手に包まれる。アウリスはリューディアの手を引いてダンスフロアを離れた。
「別に私についていなくてもいいよ」
壁の華に徹するから。そう言ったが、アウリスは首を左右に振った。
「私がお前の側に居たいだけだから、気にするな」
「……そう」
彼は以前、必ずリューディアの心をとらえてみせると言った。その決定的瞬間はいまだに訪れないが、たぶん、彼は自分を愛してくれているのだなぁと思うことは増えた。今も、そうだ。
そのアウリスのまっすぐな思いは、リューディアを喜ばせると同時に、賭場度わせていた。
だって、どう反応したら正解なのかわからないし……。
「お姉様」
「ああ、セラ」
セラフィーナとイェレミアスが近寄ってきた。二人とも、ダンスに参加していなかったらしい。珍しい。
たぶん、セラフィーナのようなかわいらしい反応をするのが正解なのだろうな。リューディアはアウリスにあいさつをする妹を見ながら思った。しかし、リューディアにかわいさを求めるのは間違っている。
「お姉様。入口の所に飾られている氷像をご覧になりました? あれ、マリィが創ったらしいですよ」
セラフィーナが聞いてきた話をうれしそうに話す。リューディアが妹であるセラフィーナのことをほめられるとうれしいように、セラフィーナは従妹であるマリアンネがほめられるとうれしいらしい。
「らしいね。彼女の芸術的センスには感服するよ」
「……マリアンネは抽象画が専門だと思っていたが、普通の芸術作品も作れるんだな」
そう言ったのはアウリスだが、実はリューディアもそう思っていた。マリアンネの芸術は前衛的で、わかりにくいものだけではないようだ。
そのマリアンネは、今日も会場の警備をしているらしい。例によって、ユハニと一緒のようだ。あとで彼女自身に聞いて知ったのだが、この氷像は会場であるホールを監視する役割もあったらしい。氷像の目を通して、マリアンネは会場全体を見渡していた、というわけだ。
「お飲み物をどうぞ」
ボーイがトレーにのったグラスを差し出す。アウリスがワイングラスを二つ受け取り、片方をリューディアに差し出した。白いワインの入ったそれを、リューディアは受け取った。ちなみに、イェレミアスもワイングラスを受け取ったが、セラフィーナはシャンパングラスを受け取った。
「ワインはまだ苦手で」
セラフィーナは恥ずかしそうに苦笑いを浮かべて言った。確かに、ワインは少々苦みがある場合が多いので、好き嫌いがわかれる。そのセラフィーナの恥ずかしそうな笑みに、イェレミアスはでれっとした笑みを浮かべた。リューディアは呆れてワイングラスに口をつけた。
「ん?」
口をつけたグラスが冷たくて、リューディアは首をかしげてワイングラスを見た。
「……凍っている」
「マリアンネか?」
リューディアと彼女のグラスを覗き込んだアウリスが顔を見合わせた。見れば、彼のグラスも凍っていた。彼だけではない。イェレミアスとセラフィーナのグラスもだ。二人とも、戸惑った表情をしている。
「アウリス」
リクハルドの声だ。彼と、ミルヴァも一緒である。
「マリアンネの魔法か?」
アウリスが尋ねると、「たぶんね」とリクハルドもうなずく。
「何かあったみたいだね。ちょっと僕、様子を見てくるよ」
「あ、じゃあ、私も」
リューディアが名乗り出たが、リクハルドは笑って首を左右に振った。
「君はアウリスの側にいるんだ。これ」
見えないようにリクハルドがリューディアに短剣を渡した。それを見たアウリスが顔をしかめる。
「リク。リューリにそんなことをさせるな」
「いや、そうは言ってもね。この子、僕やイェレより強いから」
リューディアは視線を逸らした。自分の戦闘力が異常に高いことは自覚済みだ。
だが、こうして任されるのは初めてだ。力を振るうことを認められたのは、初めてだった。
「わかった。任された」
リューディアは不敵な笑みを浮かべてうなずいた。リクハルドが笑みを浮かべる。
「それでこそリューリ。よろしくね。ミルヴァ、君もここにいるんだ」
「わかったわ」
リクハルドがミルヴァの頬にキスをした。ホントに仲がいいな、この2人……。
様子を見てくる、と言って出て行ったリクハルドであったが、それからどれだけ待っても戻ってこなかった。
「……戻ってこないな、リク」
アウリスが言った。何となく、彼のまわりに大人数が集まっている。アウリスを頼まれたリューディアに、彼の妹のミルヴァとエリサ。さらに、リューディアの妹のセラフィーナとその恋人のイェレミアス。これだけ集まっていると、誰も声がかけられないようだ。みんな遠巻きに彼女らを見ている。
そろそろ夜会も終盤だ。リクハルドは戻ってこない。
「……様子を見に行くか」
「いや、ダメでしょう、それは」
アウリスにツッコミを入れたのはイェレミアスだ。王太子であるアウリスが危険かもしれない場所に行くなど、言語道断である。
「だが、もうすぐお開きだ。何かあったなら、招待客が一斉に外に出る前に何とかしたい」
すでにちらほら帰っている貴族がいる。だが、今年の社交シーズン最後の夜会とあって、この時間まで残っている人も多い。彼らが一斉に帰る前に、アウリスは何があったのか把握したいようだ。
確かに、誰かが侵入していた場合は、多数の人間が一斉に帰るときを見計らって脱出される可能性がある。
「じゃあ、私が行こう。アウリスはここにいて」
「いや、お前が行くなら私も行く」
妥協案としてリューディアが行こうとしたのだが、アウリスに手を引かれた。ここで少し言い争いになる。
「それでは本末転倒だ。あなたを行かせないために、私が行くのに」
「お前こそ、私の言葉を聞いていなかったのか。お前を危険にさらしたくない」
「今更何を言ってるの」
「今更でも何でも、私の本心だ」
数分の言い争いの結果、2人で行くことにした。イェレミアスが「大丈夫か?」と心配そうにしてくるが、アウリスもリューディアも引かなかったので仕方がない。
「……お兄様もリューリも、私やセラのことを散々バカップルって言ってるけど、二人も相当だからね」
ミルヴァが少し呆れた様子でそう言ったのが聞こえた。
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