【10】
エリサとミルヴァが部屋を出て行った後、ユハニを連れてマリアンネが戻ってきた。ユハニは警備が不行き届きだったことを謝罪(!)した後、回復するまでこの医務室にいるように、と言ってきた。
「もうほとんど回復してるけど」
リューディアがそう言い返すと、ユハニはマリアンネを見た。彼女は少し間を置いて言った。
「……解毒が済んだだけで、回復しているとは言い切れません。2・3日は様子を見るべきです。人がいる時なら、歩いても構いません」
「運動は?」
「ダメです」
きっぱりとマリアンネが言った。まあ、返答はわかっていたので、言ってみただけだ。リューディアは肩を竦め、「わかったよ」と言った。
「まあ、たまにはおとなしくしておけ。本でも持ってきてやろうか」
珍しく気遣いを見せるユハニだ。リューディアが怪我をしたことに、何気に責任を感じているのかもしれない。
「それはうれしいけど、難しい専門書とか持ってきても読めないからね」
「わかっている。お前の頭に期待はしていない」
「失敬な」
前言撤回。やはり、失礼な男だった。
マリアンネがリューディアの額に手を当て、一通り診察した後、やはり解毒はすんでいると結論づけた。なので、本物の魔法医をよこしてくれるらしい。
「私はマリィでもいいんだけどね」
「たしかにわたくしは医療の知識はありますが、やはり魔法医ではないので」
そう言って、彼女は譲らなかった。
退出したユハニとマリアンネが寄こした魔法医は女性だった。いや、リューディアが女性なので当たり前であるが。40代半ばほどの見えるその女性の魔法医は、おそらく、王宮付きの宮廷医なのだと思う。再び一通り診察され、だいぶ回復してきているので、急な運動をしなければ大丈夫、と言われた。剣を持つのはダメだそうだ。
そんなわけで、1日目にしてリューディアは暇を持て余している。リューディアが目覚めたのは昼の早い時間だったらしく、マリアンネが持ってきてくれた歴史書(何故このチョイス)をぱらぱらとめくりながら暇をつぶしているうちに夕刻となった。
ノックがあった。一応、メイドがつけられているのだが、あいにく席を外している。リューディアがベッドの上から「どうぞー」と声をかけると、扉を開けて入ってきた。
「相手がだれか確認した方がいいと思うぞ」
そんな小言を言いながら入ってきたのはアウリスだった。リューディアは目を見開く。
「殿下。失礼いたしました」
「いや、気にするな」
ベッドから降りようとしたリューディアを片手をあげて止め、アウリスは彼女のベッドのそばまで行き、近くの椅子に腰かけた。
「体は大丈夫か?」
「おかげさまで。マリィには安静にしていろ、と言われましたが」
正確には、マリアンネは激しい運動の禁止を言い渡したのであるが、リューディアにとってはどちらも同じことだ。
「それならよかった。……おそらく、助けてくれてありがとう、と礼を言うべきなのだろうな……」
「私が勝手にやったので、気にしないでください、と言った方がいいですか?」
アウリスと同じような調子でそう言い返すと、アウリスは眉根をピクリと挿せた。
「……普通なら、そうだろうな。お前のおかげで私が助かったのは事実だが、以前、自分から危険に飛び込むなと言わなかったか?」
「あー……」
リューディアは苦笑した。アウリスに注意されたのは覚えていた。だが、リューディアが本当にそれを守るかは別問題だ。
「心配はありがたいのですが、殿下にそこまで気にしていただく必要もないかと」
いうなれば、リューディアとアウリスは知り合い以上友達未満なのだ。知り合いにしては仲がいいし、友人にしては他人行儀だ。
すると、アウリスはぐっと眉を寄せた。
「……言わなかったか?」
「何がですか」
反射的に問い返すと、アウリスは一呼吸おいてから言った。
「リューディア、愛している。お前がいなければ生きられない」
「……」
……うん。そんなようなことを言われた気がする。その後すぐに昏倒してしまったので、夢かとも思ったのだが現実だった。
なぜそうなった。アウリスは、そんなそぶりを見せなかったと思う。確かによくリューディアを見ていた気もするが、それだけで好意を持たれていると思うのなら、とんだ自意識過剰女である。
「……えー、理由をお聞かせ願えますか」
「人を好きになることに理由がいるのか」
「……」
再びリューディアは沈黙した。開き直ったのかわからないが、アウリスの言葉はストレートで、そしてリューディアにもうなずけるものがある。
人を好きになることに、理由なんてない。あ、この人、いい人だ、と思えるのはちょっとしたふるまいとか、仕草とか。リューディアもかつて恋をしたことがあるから、わかる。好きになるのに、理由なんていらない。何かしらきっかけはあるだろうが、何故好きなのか言え、と言われても困る。
例えば、優しいからとか、親切だから、とか。あげようと思えばいくらでも理由はあげられるだろう。しかし、それは表面的なものでしかなく、何故愛しているか、と聞かれても、答えられる人の方が少ないはずだ。
リューディアはなぜイェレミアスのことが好きだったのだろうか。そして、その『好き』は愛だったのだろうか。今となってはそれもわからない。
……意識を現実に戻す。
「えっと、どうして、私なんか」
男装で舞踏会に参加して、異性より同性にもてる、『カルナ王国の最終兵器その二』だぞ。そんな女を好きになるとは、正直言って趣味が悪い。
「しいて言えば、時々さみしそうに微笑んでいるお前に心が惹かれた」
「……そうですか」
自分、そんなにさみしそうにしていたかな、とリューディアは内心首をかしげた。
「何故お前を愛しているのか、うまく言葉にできない。ただ、ずっとお前のことが頭から離れない。お前が嬉しそうなら、私もうれしいし、お前がさみしそうなら、私も心が痛い。お前がほかの男と楽しそうにしているとその相手に嫉妬する。これを愛だと言わずに、何だというのだ」
「……えー、兄弟愛とか」
「さすがにそろそろ怒るぞ」
「すみません」
ふざけてみたら、つっこまれてしまった。それだけ、アウリスが真剣なのだろう。
「こんなにもお前を思っている私が、お前を心配してはいけないのか」
「……」
この言葉に、なんと返答すれば正解なのだろうか。心配してくれるのはありがたいし、同時に恐れ多くもある。
黙り込んでしまったリューディアに、アウリスは言った。
「ずっと、思いを伝えるのが怖かった。お前が、イェレミアスを特別に思っているのは知っていたからな」
「……それはもういいです」
リューディアにとってイェレミアスは(年上だが)弟のようで、今はそれでいい。彼を思っていたのはすでに過去のことなのだ。
「その潔さもお前の魅力だな。とにかく、あの時、何もせずにお前を失うくらいなら、言った方がいいと思った」
「……そうですか」
いつもなら冴えわたる弁も冴えない。リューディアは話がうまいと評判であるのだが。
「シロラ湖に行ったとき、何故自分の方を見ているのだ、とお前は言ったな」
「ええ。もう答えはわかっているのでいいです……」
さすがに察しが付く。好きな相手を見ていたいと思うのは、当然の心理だろう。
「ああ。本当は、あの時、言おうと思ったんだ」
そう言えば、アウリスは何かを言いかけていた。結局、令嬢が乱入してきたので何も言わずに終わったが。
「お前には迷惑かもしれないが、私はずっと、リューディア、お前を思っている」
「……いや、迷惑ということはありませんが……」
リューディアは戸惑い気味に言った。
「男性からそう言われるのは、初めてで」
今まで、男性から向けられるのは友情とか、尊敬とか、そんな感情だった。時々嫉妬も混じっていた気がする。
こんなにもまっすぐに、好きだ、と言ってくれる人は、初めてだ。
「……男から、ということは、女からはあるのか?」
「ありますよ」
恐ろしいことに、女性の中にはリューディアが好きだ、と言ってくるものが意外に多いのだ。いつの間にか『お姉様』と呼ばれていたりするし、女という生き物はよくわからない。
「……恐ろしい生き物だな、女とは……」
おののいたようにアウリスが言った。リューディアは苦笑する。
「殿下。その言葉がすでに、私を女扱いしていません」
「いや、お前は別の意味で恐ろしいから安心しろ」
「や、それ、安心できないです」
あれか。『カルナ王国の最終兵器その二』的な意味で恐ろしいのか。リューディアも魔法なしのユハニとやりあえる自覚があるので、否定できないのだが。
「……リューディア。お前が迷惑でないというのなら私はこれから積極的に行動しようと思う。嫌ならはっきりと言ってくれ」
「心配しなくても、私ははっきり言いますよ」
好きでもない相手に、思わせぶりなそぶりをするほどリューディアは器用ではない。だから、嫌ならきっぱりと断る。断らないということは、リューディアはそれなりにアウリスに好意を抱いているのだろう。
「いつか、お前の心が私に向くことはあるのだろうか……」
「本人に聞いてどうするんですか。わかりませんよ、そんな事」
リューディアは苦笑して言った。愛を告白された時はどうなるかと思ったが、思ったより普通に話せてほっとしている。
リューディアはニコリと笑って言った。
「何をしていただけるのか、楽しみにしておこうと思います」
そう言うと、珍しくも、アウリスは口角をあげて笑みを浮かべた。
「ああ。楽しみにしていろ。必ずお前の心をとらえてみせる」
こうして、アウリスとリューディアの攻防戦が穏やかに勃発した。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ついに10話。何故私は10話で終わらせられる気でいたのだろうか。たぶん、折り返しくらいじゃないですかね、今。
私はぜひリューディアさんを『お姉様』とお呼びしたいですね。




