この国に残るつもりはないのよ
春の柔らかな光が、カーテンレース越しに室内を淡く染める。
朝食を終えたソフィアは、自室の鏡台の前に腰を下ろし、長い吐息を漏らしていた。
「……旦那様は、いったい何を考えていらっしゃるのかしら」
この一週間、毎日のように届く大量の贈り物――宝石、香水、ドレス、紅茶の詰め合わせ。執拗なまでの「プレゼント攻撃」は、もはや情熱というより、包囲戦のようで、ソフィアを困惑させるばかりだった。
「これで、わたしが喜ぶと思っているの?」
不満げに呟くと、傍らで控えていたアリスが、くすっと笑う。
「旦那様のお考えは、私などにはわかりません。けれど、奥様の気を引こうとしているのは確かだと思いますよ?」
「どうしてあなたは、そんなに嬉しそうなのよ」
眉をひそめるソフィアに、アリスは胸を張る。
「そんなの、決まっているじゃないですか! 奥様がモテるのは、侍女として名誉なことですもの! それに旦那様は使用人にもお優しいですし、奥様のご実家に比べてもずぅっと居心地が良くて! 一生ここに住みたいくらいですわ!」
堂々と言い切るアリスに、今度はソフィアがくすりと笑った。
「だったら、あなたはここに残る? 旦那様は受け入れてくださると思うわよ?」
冗談っぽく言うと、アリスはぷぅっと口を膨らませる。
「そんなこと言って、奥様の方こそ私がいないと困るって、ちゃんと知ってるんですからね? 生活能力ゼロなんですから、絶対に一人になんてさせません! 私あっての奥様なんですから!」
「ふふっ、そうね。アリスがいないと、わたしはきっとすぐに飢え死にしてしまうわ」
「そうですよ。だから、冗談でもそんなことは言わないでください!」
アリスはプリプリと可愛らしく怒りながら、ソフィアの髪型を整えていく。
それが終わる頃、アリスはちら、と部屋の片隅に目をやり、呟くように問いかけた。
「ところで奥様、あの宝石、本当にすべてお返ししてしまうのですか?」
部屋の片隅には、昨日レイモンドからプレゼントされた宝石箱の全てと、これまでの三年間に受け取った他の宝石が並んでいる。
「ええ、勿論よ。一つ残らずね」
もともと、最初から返すつもりで受け取っていた宝石だ。
夫婦仲をよく見せるための小道具なのだから当然だが、そうでないとわかった今、余計に受け取ってはいけないものになってしまった。
そもそも、二つ三つならともかくとして、これほど大量の宝石を帝国まで持ち運ぶのは現実的ではない。それに、例え持ち込めたとしても、売ろうものならすぐに出所が知れ渡ってしまう。
帝国行きは、実家のハリントン家にすら秘密なのだ。身元を晒す危険性のあるものは、すべて置いていかなければならない。
アリスは当然その事情を理解していたが、それでも、ためらいがちに口を開く。
「せめて、少しくらいは持っていかれたらどうですか? 旦那様がおかわいそうです。今だって、奥様を振り向かせようとあんなに必死なのに」
「だからこそよ。今のうちに全てお返しして、こちらには気持ちがないことをお伝えしなくちゃ。望みがないとわかれば、旦那様の奇行も収まるでしょう」
ソフィアが契約継続を断ったのも、それが理由だった。
もし延長を承諾すれば、レイモンドは期待してしまうことだろう。少しでも、望みがあるのではと。
だが、ソフィアは帝国行きを取りやめるつもりはない。 となると、下手に希望を与えるよりも、きっぱりと関係を断つことの方が、レイモンドのためになると判断した。
ソフィアは表情を崩すことなく、静かな声で返す。
「そもそも、勘違いしたらいけないのよ。旦那様は確かに、わたしに好意を抱いている。それは事実なのでしょう。けれど、その相手はわたしではないの。――"妻の演技をしている"わたしなのよ。それを忘れてはいけないわ」
冷ややかに見えるその瞳の奥に、寂しさが滲む。
その横顔を見つめながら、アリスは尋ねた。
「でも、もし旦那様の気持ちが本物だったら……? それでも、考え直す余地はありませんか?」
すると、ソフィアはゆっくりと顔を振り向き、小さく微笑む。
「あなたがわたしの心配をしてくれているのはわかっているわ。でも、この国に残るつもりはないのよ。……ごめんなさい、アリス」
「……っ」
刹那――アリスはグッと唇を噛みしめ、顔を俯ける。
ソフィアは、そんなアリスに一層柔らかな笑顔を見せると、そっと背中に腕を回し、しばらくのあいだ、ただ黙って抱きしめるのだった。




