第22話 勲章
――試合時間残り二十秒。
白い柔道着に袖を通し、騒がしくなる周囲の学生たちの注目を一身に集めながら正方形の上で互いに睨み合う。
試合が始まるや否や、始まったのは両者の手と手がぶつかり合う押収。出た手を払い、隙を突いて袖を掴み、取っ組み合いに。
押され、もう勝負は決まった――誰もがそう思った。
――残り十秒。
バランスが崩れたほんの一瞬の油断を突いて、帯から引っ張って完璧に捉えた、天地がひっくり返る痛烈な脳天直撃――。
「勝者、森野汪!!」
立ち尽くし、歓声を大いに浴び、仰向けで倒れた相手と握手を交わし、やりきったとばかりに息を吐き続けて退場していく。
この日、全国中学柔道予選北多摩地区大会の準々決勝、勝者は隣の国立代表を打ち負かした西国分寺代表、森野汪。
「やっぱり予想通り、森野汪が上がってきたな。テツ」
「あぁ。滝田には荷が重すぎたな――」
観客席で勝ち誇る好敵手を見つめる眼差し。とても熱く、燃えていた。
胃袋を空かせ獲物に飢えた狼のように闘争を欲し、ぶつかり合うことを望む強者の眼。
「だが、森野汪よ。このオレに勝てるわけがない。"金銀龍"金田鉄生の名にかけて必ず捻り潰してやる」
「森野汪はお前と同じように通称"森林王"って騒がれてる西国分寺の英雄だぞ? 勝てるのかよ」
「城崎。このオレが負けると思ってるのか? 国分寺代表、金田鉄生サマだぜ? あの英雄の鼻っ柱をへし折ってやるよ」
――また始まった。
やれやれと肩をすくめる。どんな相手でも怖気つかない恐れ知らず、キザったらしく熱血でかなりの自信家。
なにを隠そう国分寺の他校の生徒を抑えて地区大会の国分寺代表まで上り詰める実力者なのだから、その自信に対する根拠は十分にある。
こうやって話を聞かないワンマンな姿勢が時にムカつくこともある。しかし、それも柔道や勝負に対する熱が強いからで、その邪魔をしてはいけないとあえて口には出さなかった。
更なる頂の見える所まで上り詰めた男の友人として、頑張るその姿は背中を押したくなる以外になかった。
当時、不適切だと分かっていても学生たちの間でプロレスのノリで学校を代表する注目の選手に対して、漢字にルビを振った中二病センス溢れた異名をつけることが学生の間で流行っていた。
"金銀龍"金田鉄生、"森林王"森野汪、"滝蜥蜴"滝田竜斗。
異名をぶら下げれば、それだけで注目の的――即ち人気者になれる。
ある者はこう思った。もしかしたら彼女も出来てモテモテになるかもしれないと。
だが、そんな名声欲しさに柔道に命かけたものの、過酷な練習についていけず脱落していく俄で浅はかな腰抜け共をよそに耐え抜き、のし上がった者だけが得られる勲章だ。
北多摩の代表として、個人戦の全国大会へ出場するための切符を争うこの地区大会は、そんな勲章をぶら下げた猛者で溢れかえっていた。
この日、国立代表の滝田は準々決勝で敗れた。
最初に森野が抑え込みで一本をとると、それからすぐに滝田が投げで一本とった。両者とも一歩も譲らない攻防戦。それを制したのは森野。
整った長身の体格、筋肉もしっかりついたその体。肉体ならば鉄生も負けてはいないが、立った黒髪に自分の強さに鼻をかけたような鋭い見下した目つきがカンに障る。
メキメキと見えない所で頭角を表し、気がついた頃にはいつの間にか西国分寺の王者となっていた。
そんな森野汪の脅威を直に見るべく、センコーにも背中を押され、鉄生は良き友人たる城崎とともに訪れていた。
既に別の大会で倒したことがある滝田と戦う、未知なる相手がどんな奴かを――偵察するために。
――五日後。
二人は柔道着姿で観客の注目を集める正方形の上で顔を合わせる。
「お前が国分寺の金田鉄生か。おれは森野汪――森の王だ。"森林王"とも呼ばれている。さぁ、正々堂々勝負といこう」
「こっちは"金銀龍"、金田鉄生サマだ!! 森の王かなんだか知らねぇが国分寺最強の王者のオレこそ、真の王に相応しい。覚悟しろ!!」
「面白い。だが、お前のような野蛮な男に負けるつもりはない。この場で白黒ハッキリつけよう。どっちが王に相応しいかをな!!」
今振り返っても悶絶しかねない、真の王の座を賭けたくだらない争い。熱い闘志に火がついた所で、開始直後に体と体がぶつかり合う。
"金銀龍"と"森林王"の戦いの火蓋が今、切って落とされた――。




