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70話 炎上

視界を覆う程の黒煙。

部屋の隙間から次々と入り込んでくるそれは、事態が切迫していることを雄弁に物語っている。

この宿は完全なレンガ造りで、火事は起こりにくい筈だ。

油などの可燃物を意図的にばら撒かなければ、これ程の勢いで燃え上がりはしないだろう。


「……やってくれたな」


放火を使った襲撃、そうとしか考えられなかった。


すぐに部屋から飛び出したいところだが、そういう訳にもいかなかった。

布で口を覆い姿勢を低くした真也は出入り口の扉に近付くと、ナイフを取り出し張り巡らされたワイヤーを切っていく。

更にドアノブに仕掛けられた細工を慎重に取り払い、やっとのことで部屋を脱出した。

襲撃者に備えた筈のトラップが逆に脱出の足枷となっている現状に、苛立ちを隠せず舌打ちを鳴らす。


「全員無事か!?」


煙の立ち込める廊下に出た真也は、大声を張り上げて仲間の安否を確認する。

少し遅れて、秀介、白石、リーサ、カティ達が周囲の部屋から脱出し、咳き込みながらも返事を返した。


「おい、ルリハちゃんがいないぞ!!」

「そっちは俺が行く!! 皆は退路を探してくれ!!」


 秀介が焦りの混じった叫びを上げ、真也はそれに大声の指示で返す。

瑠璃羽は深夜の活動が医者から許されていない可能性が高く、この危機に気づいてさえいないかも知れない。

そんなことが容易に想像出来た真也は、急いで瑠璃羽の部屋へと駆け出した。


黒煙の蠢く廊下は視界が極端に悪く、手探り状態で進むため、たった十数メートルの距離でも異様に長く感じられる。

やっとのことで目的の部屋の前までたどり着いた真也だったが、そこに入る為にはまだ一つ障害が残っていた。

真也の部屋に仕掛けていたトラップは、仲間達の部屋にも当然仕掛けてあるのだ。

ただ、先程とは違い外側から解除しなくてはならないため、難易度は桁違いである。

鍵穴に仕掛けてある罠は、下手に〈ピッキングツール〉を差し込めば足元が爆発する仕掛けになっていて、例えそれを解除したとしても、扉を開けるとドアノブに括り付けられたワイヤーが引かれることで、数多くの罠が連鎖する凶悪な複合トラップだ。

そして、〈トラップ〉スキルを使った正攻法の解除では、えらく時間が掛かる仕様となっている。

襲撃者が罠に気づいたとしても、解除に手間取らせて逃げる時間を稼ぐ為のものだ。

今は、それが完全に裏目に出ていた。

悠長に解除していたのでは手遅れになるかも知れない。

放火などせず普通に襲撃してくれれば、逃げる手立てはいくらでも用意していたので楽だったのだが、まだ何も手出ししていない今の状況において、まさか自分たちの街で放火までして命を狙ってくるとは考えていなかった。

こちらの裏をかくような手段を使って来た刺客達に、真也は心底苛立ちを覚えていた。


だが、扉に罠を仕掛けたのは誰でもなく真也である。

その罠の弱点も当然把握していた。

真也はシャムシールを引き抜くと、その刀身を扉と壁の隙間に差し込み勢いをつけて振り下ろす。

鈍い金属音が響き、刀身が何かに止められても、構わず何度も繰り返し斬りつける。

シャムシールの耐久値が恐ろしいスピードで減っていったが、極力気にせず強引に断ち切ったものは、扉の蝶番だった。

扉が開く側面とは反対側、蝶番が壊れて外れるようになった側面を僅かに開き、ドアノブに括り付けられたワイヤーを引かないようにしながら剣を滑り込ませ、それらを断ち切った。


扉に仕掛けられた罠を全て解除し、やっとのことで部屋の中に突入すると、予想通り瑠璃羽はベッドの上で小さく寝息を立てていた。

部屋の中に仕掛けられた罠を避けながら近づき、寝たままの彼女を急いで背負うと、脱出の経路を探すために窓の外を確認する。


「簡単に逃してはくれない、か」


思わずそう呟いてしまった真也の視線の先には、視界を塞ぐ程の黒煙が広がっている。

部屋は四階にあるため、ロープで降りられないかと確認したのだが、そんな考えは見透かしているとでも言うように、窓の真下、宿の面する通りには可燃物がばら撒かれ、荒れ狂う炎の海と化していたのだった。

ロープで降下することなど不可能であり、立ち上がる煙で満足に周囲が見渡せず、向かいの建物にロープを投げて引っ掛けることも難しそうだ。


窓からの脱出は諦めて再び廊下に戻ると、秀介、リーサ、カティの三人が、ちょうど真也のもとに集まって来た。


「階段はダメだ! 煙が酷すぎるし火がすぐ下まで回っててとても降りれそうにないぞ! 窓の方はどうだった!?」

「表通り側も裏通り側も、どっちも下は火の海よ! 何もせずそのまま降りるなんて絶対に無理!」

「ゴテイネイに隣の家にまで火を着けてやがるみたいだ! 窓から隣になんとかして飛び移れたとしても意味ねぇかも知れねーぞ!」


 皆の報告はどれも厳しい状況を伝えるものしかない。

 だが、リーサの言いように引っ掛かりを覚えた真也が、その理由を問う。


「何もせずに、そのまま降りるなんて無理ということは、何か手があるのか!?」

「ええ、窓の下の炎くらいなら氷属性の攻撃アイテムとか攻撃魔法で一部は消せると思うから、そこから逃げれるわ! でも、そうすると絶対に目立つのよ!」

「……それは不味い、周囲に潜んでいるだろう刺客達が集まって来る。脱出したところを袋叩きにされるのは避けたい」


 リーサの案では犠牲が出る可能性が高く、出来れば取りたくない手段であった。

何か代替案がないかと思考を巡らせる真也。

前後左右は火の海で、更には下からも火の手が迫って来ているとなると、可能性の残る方向はあと一つしかない。


「上だ!! この宿には小さな窓のある屋根裏部屋がある!!」

「待て、それは厳しいんじゃないか!? こんな煙の中からあの入り口を探るんじゃ時間が足りないぞ!!」


 しかし、真也の案はすぐさま秀介に否定されてしまった。

希望は見えたのだが、それを掴める可能性は極めて少ないだろう。


「……リーサの案に賭けるしかないか」


 リスクを取る方向で腹をくくる真也達だったが、そこに大声が響く。


「皆さん! こっちです! ここから逃げられそうです!」


 叫び声の方向に急いで向かうと、そこには天井格納式の梯子を引き下ろした白石の姿があった。


「屋根裏部屋の入口か!? よく見つけたな!!」

「何度も当てずっぽうでロープを投げたら、偶然梯子に引っ掛けられたんです!」


 白石を賞賛するのはそこそこに、真也達は迫り来る火の手から逃げるように屋根裏部屋へと駆け上る。

 立ち込める黒煙に息を止め、僅かに差し込む月明かりだけを道しるべに暗闇の中を駆け抜ける。

その終点、薄く光る小さな窓を蹴破り、煙の立ち昇る星空の下に飛び出した。


「全員いるか!?」

「大丈夫だ!!」


 全員いることを確認し、屋根の傾斜を駆け下りると、隣の家の屋根に飛び移る。


「……カティ、周囲に襲撃者の気配はあるか?」

「いや、全然ないぜ」


 屋根を何度か飛び移った後、ロープで下まで降り、皆で武器を構え警戒するが、周囲は拍子抜けするほど静まり返っていた。

 脱出した後に大勢の刺客が襲って来ることを予想していたのだが、それは外れたようだ。

 放火で殺せると思われていたのか、それともこの襲撃は単なる警告であったのか、はたまた何かの布石なのか、あらゆる可能性を考慮しながら、真也は夜の街を駆けて行った。


 安全圏と思える距離まで逃げて、炎上する宿屋を遠巻きに眺める真也達。

 そのパーティの中に乗鞍の姿はない。

 乗鞍は真也達に一度合流した後、既に別の宿を取ってあると言って去っていたため当然だ。


「……いいだろう、乗ってやろうじゃあないか」


 そう呟いた真也の瞳は、見つめる先の燃え盛る炎とは対象的に、恐ろしいほど冷え切っていた。

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