31話 売買交渉
「ああ、一つ、言っておきたいことがあった」
リーサの工房を出る直前、真也が思い出したかのように言った。
「実は、キミのお父さんの情報を調べる中で、情報屋からキミの情報を聞いていた」
「……えっ!?」
「レイスコートとの親子関係や公爵家の直系であることは隠しているんだろう? だが、それらしき情報は既に流れているようだ。これからそれを聞いた連中、キミを利用しようという奴らが来るかも知れない。気をつけることだ」
「……アナタはそれを聞いてここに来たの?」
「いや、俺はカティが〈大地の神殿〉の地図を持っていたことと、キミの顔立ちで気付いただけだな」
「じゃあ、もしかしてアナタが情報を漏らしたとか……」
「俺がそんなことをする理由がない」
理由はあるし、実際、情報は真也から漏れている。
「……そうね。変なことを聞いてごめんなさい」
真也が堂々と吐いた嘘を疑ったこと対し、申し訳なさそうに謝るリーサ。
「それと、レイスコートを探す連中で、俺のことを知っている奴らもいるが、そいつらは俺と敵対している。万一俺の知り合いを名乗るような奴が現れたら、最大限の警戒をしてくれ」
「ウチにアナタのトラブルを持ち込まないで欲しいんだけど……」
「それは申し訳ないと思っている」
「……まあ、いいわ。アナタにはお世話になったから、特別に許してあげる」
「ははは、それはありがたい。カティにも注意しておいてくれ」
「ええ、そうするわ」
真也の動画の情報を他プレイヤーが活用することへの牽制、そんな言葉をリーサに吹き込み、真也は工房を後にするのだった。
工房から宿に引き返している道中、真っ直ぐとこちらに近付いて来る人の気配を察知した。
尾行にしては堂々とし過ぎていると思いつつ振り返ると、同年代くらいの男が歩いて来る姿を確認する。
「こんにちは一之瀬さん。少し、お時間宜しいでしょうか?」
そして、すぐ側まで寄って来た男は丁寧な口調とにこやかな笑みで声を掛けてきた。
普通なら好感を抱く様子だろう。
だが、その男から受けた印象は真逆だった。
本心を見せない貼り付けられた営業スマイルを常に崩さず、感情を覆い隠す没個性な丁寧語を話している、と感じさせる。
そしてそれが当然であるかのように振る舞い、自分を隠すことに慣れ親しんだ様子は、そういった人間の対応に慣れている真也をして、一分の隙も見いだせない完璧な仮面だった。
コイツは曲者だ。
そう警戒せざるを得ない。
昔、職人気質な人間に、「営業職のヤツらはどうも胡散臭くて信用出来ん」と言われたことがあったが、この男を見ているとそれも納得がいく気がした。
「おっと、そちらから来てくれましたか。ちょうどこちらも用事があったところですよ、乗鞍さん」
乗鞍宗男、日村と騎士団専属工房へ盗みに入る計画を共謀した商人のプレイヤーだ。
日村とは学生時代からの付き合いで、以前は消費者金融に勤めていたらしい。
「一之瀬さん程の有名な方に気に掛けて頂けるとは光栄です」
「いえ、それほどでもないですよ。乗鞍さんの方こそ、色々と活躍していたようじゃあないですか」
「大したことはしておりませんよ。昨夜の一之瀬さんのご活躍を拝見すると、わたくしなどまだまだですね。これからもっと頑張らなくてはいけないようです」
「おや、何か上手く行かないことでもありましたか?」
「いえいえ、一之瀬さんが気にするような大した事ではございません」
お互い、にこやかに笑い合う。
乗鞍が日村と共謀していたことは分かっている、と暗に仄めかし、彼らの計画を真也が潰した件について、どういった感情を持って接触してきたのか探りを入れたが、乗鞍は掴みどころのない様子しか見せない。
「立ち話もなんですので、座れる所に行きませんか?」
「そうですね。場所はこちらで選んでも?」
「ええ、もちろん」
乗鞍の提案に了承する真也。
待ち伏せなどを警戒して場所は真也が探し、少し歩いた先にあったオープンテラスの飲食店に入る。
周囲に怪しい人物が居らず、いつでも逃げ出せる位置にある席を見付け、逃走経路を確認しつつ座った。
「いやはや、気を煩わせてしまって大変申し訳ございません。一之瀬さんが色々と警戒なされているのは承知しております。現実世界で会って話した方が安心して頂けるのでしょうけれど、こちらにもゲームの中で話をしたい事情がございまして」
「そこはこちらも理解しています。あなたの職業は商人。こういった交渉事も動画の見せ場としたい。そういうことでしょう?」
「その通りでございます」
現実世界で交渉しても、撮影などをして動画に入れることは出来るが、やはりゲームの中での出来事とした方が確実に雰囲気が出るだろう。
「では、話を長引かせてしまうと誤解を生んでしまう恐れがあるので、前置きは無しで、単刀直入で本題に入らせて頂きます」
注文したコーヒーが届けられ、給仕が去って行ったのを確認した乗鞍が切り出した。
「例の物を全て買い取らせて頂きたい」
気を使って明言は避けたようだが、昨夜盗んだ騎士用の装備を買い取りたいということだろう。
それは真也の予想通りな話であったが、疑問点は多い。
腹の探り合いでは埒が明かなそうだったため、ストレートな質問を浴びせてみる。
「乗鞍さんは、日村のことで私に思うところがあるのではないですか?」
「いえいえ、その件に関してわたくしが恨むことなどございませんね。彼が負けて、貴方が勝った。それだけの話でしょう? こちらとしましては、一点に集中させてしまっていた投資が焦げ付いてしまったようなものです。とんだ不良債権になってしまいました。やはり分散投資をすべきでしたね。今後は一之瀬さんとも仲良くしていきたいので、是非、よろしくお願いしますよ?」
使えない人物には興味は無い、ということだろうと解釈した。
シビアな考え方を嫌わない真也は、乗鞍がそういう考えをする人物なのだろうと納得し、次の質問に移る。
「かなりの金額になると思いますが、乗鞍さんには支払える資金があるんですか? 貴方の動画を見た限り、明らかに無理だと思うのですが」
「そこは商人の腕の見せ所でしょう? しっかりと考えがございます」
「それは興味深い。方法を聞いても?」
「そこはまだご勘弁を」
「では、支払えると仮定して、その金額は?」
そこが重要なところだ、と言うような目線を送る真也に、乗鞍はどこか演技臭さを感じさせる自信たっぷりといった様子で、堂々と言い放つ。
「わたくしの提示額は、全て合わせて100万ゴールド。妥当な金額でしょう?」
「100万ですか……」
悩むような反応を返す真也だったが、内心では結構困っていた。
なにせ、この交渉は真也にとって圧倒的に不利であったのだ。
「悩む振りは必要ございませんよ。一之瀬さんはこの取引をお飲みになるしか選択肢は無い筈です」
「それはどうでしょうねえ」
「貴方には情報が致命的に足りない。それは盗賊と商人という職業の違いがあるので仕方がないことでしょう。例の物の性能、アイテムランク、価値といった情報を、貴方は、何一つ知らない筈です」
「かも、知れませんね」
それは図星だった。
実際、真也はこの交渉に必要な情報を全く持っていない。
乗鞍の提示した額が妥当な金額なのかさえ分からなかった。
正規に店から入手した物では無いため、騎士用の装備は全て未鑑定品。
その能力も価値も盗賊の真也の独力では調べようがなかった。
「そして、それを誰かに依頼して調べることも難しいでしょう。恐らくこの街や周辺都市では、騎士団辺りが例の物を探している筈です。そんな中で、その現物の鑑定を依頼でもしたら、確実に騒動になりますよ」
「……この街の鍛冶師はクズばかりです。彼らに依頼すれば誤魔化し様もあります」
「残念ながら、彼らは例の物を鑑定出来るレベルではございません」
「……でしょうねえ」
「まともに売る物の情報を持っていないのに、適正価格で売るのは不可能だと思いますよ。買い叩かれるのがオチでしょう。わたくしは上手く売れるルートを確保していますので、良心的な価格で買い取りますよ。ここで売っておくのが最良かと思いますが?」
相変わらずのにこやかな営業スマイルでそんなことを言った乗鞍。
「はははは、いやあ、中々面白い冗談を言いますね、乗鞍さんは」
だが、真也はそれをふてぶてしく笑い飛ばす。
「私がそんな話に乗ると、本気で思っている訳ではないでしょう?」
こんな買い叩いていることを隠さない取引が成立すると考える程、乗鞍が甘い人物だとは思えない。
買い叩きたいならもっと違う交渉方法があるだろう。
ならば、乗鞍にはそれとは別の本命の目的がある筈だ。
ヒントはあった。
乗鞍は資金繰りの方法を、“まだ“明かせないと言っていた。
どこかから借り入れるなどの方法なら、別に隠す必要などない。
隠す必要があるとすれば、資金繰りの方法に真也が関わっている場合だろう。
真也が関わっている資金繰りを行い、装備を買い叩く以外の目的を果たす。
なおかつそれは真也が納得する方法である。
その条件を満たす方法に、真也は見当がついた。
それに対抗するため、取り敢えずこの提案は袖にする。
「私は元商社マン、売り買いは本領ですよ? やりようなんて、いくらでもあります」
実際はただのフカシだ。
人脈やコネがない場所で一から物事を始めるのは難しい。
肩書で信用を得られず、誰々の紹介、誰々と付き合いがある、という信用の付託も出来ない状況で、情報すらないのでは厳し過ぎるだろう。
「……貴方なら本当に上手くやってしまいそうで怖いですね。では、その点を考慮しつつ、日村の企みに対するお詫びの印と、今後の関係の為に配慮させて頂いてお値段を――」
「ああ、もう、御託はいい」
条件を変更しようとした乗鞍の言葉を遮り、話の主導権を奪う。
「お前の用意している落としどころは分かった。付いて来たいんだろう? 販売手数料は何割欲しいんだ?」
「……怖いお人ですね」
そうは言っているが乗鞍の表情は相変わらずの営業スマイルだ。
企みがバレたことが分かり観念したのか、乗鞍はネタばらしを始める。
「その通りです。貴方はもうすぐ次の街へと行くでしょうから、それに同行したいのです。次の街にわたくしの持っている伝手があるので、それを使い例の物を売却します。一之瀬さんには売却価格を確認してもらい、売却益の1割を私の報酬として頂ければ十分です」
騎士用装備を真也から直接買うのではなく、売却を代行する形を取れば、資金繰りは必要ない。
騎士用装備の売却場面を真也に見せ、その報酬を割合にすることで公正な状況を作れば、真也も納得する取引となる。
そして、乗鞍の真の目的は、その取引を口実として真也に取り入ること。
真也の旅に同行してパワーレベリングを図り、かつ、視聴者の注目を集めることだったのだ。
「1割か、まあ、いいだろう」
真也は乗鞍の思惑に敢えて乗ることにした。
元々、真也は複数人で次の街へ行くつもりだったのだ。
それに一人増えた程度は問題ない。
乗鞍は信用出来そうもないが使えそうな人間だ。
お互いに利用し利用されるのは悪くはない、と真也には思えたのだった。
獅子身中の虫となる可能性があるが、清濁併せ飲む器量は必要だろう。
「取引は成立ですね?」
「そうだな」
握手を交わしお互いに貼り付けられた営業スマイルで笑い合う。
結局、乗鞍の思惑通りに取引は交わされたが、真也も一矢報いることが出来ていた。
それは、乗鞍のもう一つの思惑を挫いたことだ。
乗鞍が遠回りな交渉をしたのは恐らく、有名な真也を上手くやり込めた、という映像が欲しかったのだろう。
この交渉は、話題を集めるために乗鞍が仕組んだショーだったのだ。
しかしそれは、乗鞍の用意した落としどころを見抜いたことにより、逆に真也の株を上げる映像になってしまった。
結果的には悪くない交渉だったと言えるだろう、と納得する真也だった。




