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第五話 ロンドンの岩倉具視

イギリスがクリミア戦争で負けそうであること、それに伴い政権交代がなされると言う話を聞き、岩倉具視はロンドンへの表敬訪問を決めます。

ヨーロッパは、多くの日本人が思うよりもずっと北にある。

だから、夏は夜10時位まで日が沈まないし、南国の印象がある南フランスのニースでさえも蝦夷地の中央と同じ位の位置にあるのだ。

だから、夏は空気が乾燥し眩しい陽射しが降り注ぐが、秋になり、一度雨が降ると、今度は春が来るまで、あまり太陽に見えない曇りがちな日が続くことになる。

まして、岩倉具視が向かった1857年10月のロンドンは、蝦夷地よりずっと北にあり、太陽は見えず、霧の都ロンドンと呼ばれる様に、白い霧に包まれていた。

これは、産業革命によって作られた工場や蒸気機関車及び暖房の為に使われた石炭によって発生したものであった。

つまり、この頃のロンドンは、気候も陰気なら、空気も汚れていて快適とは程遠い環境であったのだ。


そんな中、ロンドンを訪れたのは、訪問団の団長としての岩倉具視と通訳の渋沢栄二郎改め渋沢栄一及び、平八の夢のことを知っていることから助言役を買って出た吉田寅次郎であった。

彼らは、ロッテルダムからロンドンに移動すると、高級ホテルのスイートルームを借り上げ、そこを拠点にイギリスの政治家へ声を掛け始めていた。


「そやけど、不便なものやな。天気は悪い。食事はまずい。

そないな所に長い間、滞在して、自分で約束を取らなならへんとは」


「致し方ございません。

我が国はイギリスとは国交を結んでおらず、イギリスには日本商社支店がございません。

その状況で事前に、面談の約束をとることは難しいかと」


イギリス到着と同時にイギリス留学中の西周にしあまねに声を掛けて手伝って貰ってはいるが、留学生である彼一人に面談の連絡を頼むのは難しすぎたのだ。

その為、岩倉達は、ロンドンに到着してから、各所に書状を送り、その返事を待つ日々が続いていた。


「慶喜はんの視察の時も、こないな感じやったのか」


「慶喜公のイギリス視察の際は、慶喜公が直接パリに来ていたパーマストン子爵と面談を行い、そこで視察の許可を取り、日程の調整を致しましたが」


「まあ、今回はイギリスのお偉いはんは近くにおらん上に、こっちはイギリスのお上の反対派にも会いに行くつもりや。

事前に面談の約束を取れへんこともしゃあないか」


「仰せの通りであります。

もし、イギリスと国交樹立に成功していれば、イギリスに領事館なり、日本商社支店なりを設立出来て、そこで面談の約束を事前にとっておくことも出来たのでしょうが、慶喜公がイギリスと締結出来たのは、我が国の領土をイギリスが認めるという約束のみ」


「まあ、イギリス側に取り決めを結ぶ気ぃなかったんやったら仕方あらへんのやろう」


「そうであります。

あの時、パーマストン子爵は、こちらの提案する条約ではなく、完全に互角な条約を要請しておりました。

他の国は、我が国の領土を安堵した上で、我が国に勝手に上陸しないこと、対馬、北蝦夷(樺太)、琉球、父島など、我らが指定する港だけの寄港を許し、寄港の際は武装解除した上で、我が国の法に従うことを了承して条約を締結しておりました。

しかし、イギリスだけは特別扱いを求め、我が国の完全な開国を求めておりました。

我らがイギリス植民地の何処にも寄港出来る代わりに、自由に我が国に来ることを求めておりましたので」


「夷狄が勝手に秋津洲あきつしま(本州のこと)に来ることやら、許せる訳があらへんわな」


「御意」


寅次郎が頷くと、岩倉はこれ以上愚痴を溢しても仕方ないかと溜息を吐き、今日届いたという書状の中身を尋ねる。


「で、イギリスの政治家たちとの面談の約束は取れたのか」


イギリスという国は建物も立派で鉄道なども栄えているが、陰気で、食事も不味く、長居したい場所ではないというのが、岩倉の正直な感想。

それ故、早めに話を進めて、ロッテルダムに帰りたいと岩倉が考える中、返信に目を通した西が答える。


「は、それが、クリミア戦争終結交渉、ヴィクトリア女王の大意による新首相の指名の噂もあり、ダービー伯爵への面談はなかなか難しく」


「別に、会うのんは頭目でのうても構わへん。

むしろ、先のこと考えたら、現在の頭目に話出来そな、将来の頭目になりそうな奴の方都合がええわ」


「しかし、それでは、日ノ本が軽く見られるのではございませんか」


西がそう尋ねると岩倉が鼻で笑う。


「なかなか、会おうとしいひんちゅうことは、連中にとって、日ノ本は大事な存在ちゃうちゅうことやろう。

そやのに、わがままを言うて、長居しても仕方があらへん。

それよりは、今は偉なくとも、将来、頭目になれそうな連中やったら、時間も有って会いやすいやろう。

おまけに、そないな連中は、長い付き合いにもなるやろうさかい懇意にしといた方がええやろう」


岩倉が目指すのは異国に懇意の者を増やし、いざと言う時の協力者を増やすこと。

下っ端過ぎて、会っても先方の方針を変えられない様な奴ならば会っても意味はないが、次世代の指導者の水準であるならば、もし懇意に出来るなら、その利益は計り知れないだろう。

岩倉がそんな風に考えていると、寅次郎が横から口を出す。


「西君、そういうことなら、コンサバティブパーティー(保守党)のディズレーリ殿に連絡してみてはくれないか。

僕が見たところ、おそらく、ディズレーリ殿が次代のコンサバティブパーティーの指導者であると考えられます」


寅次郎は平八から聞いた知識を懸命に思い出して、西に指示を出す。

確か、ディズレーリは今50歳過ぎだが、将来、パーマストン子爵のように、英国首相になるはずの人物。

知己になっておいて、損はないと考えていた。


「ほう、吉田はんから見ると、その男が有力か。

ほな西はん、吉田はんの言う人に連絡を取りなはれ」


「は、畏まりました」


「それから、吉田はん、他に今のイギリスのお上の頭目パーマストン子爵の下で、有力なのはいーひんのか」


岩倉が尋ねると、寅次郎は困惑して尋ねる。


「パーマストン子爵側と言うとホイッグパーティーの有力者ということでありますか?

心当たりはございますが、今の状況でホイッグパーティーが天下を取る可能性は非常に低いかと」


「ああ、別に吉田はんの予想外れる思てる訳ちゃうで。

そやけど、民草の声を基に、入れ札で天下を決めるんやったら、結果は水物やろ。

せやったら、両方に賭けといた方が損はあらへん。

失敗したところで寺銭を取られる訳でもあらへんさかいな。

それに、もし、負けた方に声を掛けたとしても、そないな時に声を掛けたなら、嬉しゅう思うのが人間ちゅうもんや。

その辺は異人でも変わらへんやろ?」


岩倉が悪い顔で笑うと寅次郎は一瞬驚いた顔をした後、感銘を受けたように声を高める。


「さすがの人心掌握術であります。

僕の様な凡人は、目先のことだけを考えてしまいました。

恥ずかしいばかりであります。

そう言うことでしたら、西君、ホイッグパーティーのグラッドストン殿へ面談をご依頼下さい。

現在、パーマストン子爵の下で、大蔵大臣を務めておられますから忙しいとは思いますが、グラッドストン殿はディズレーリ殿の終生の好敵手となるはずの人物。

必ず、いつかは天下を取る器であります。

大臣を務める今は忙しく会えないやもしれませんが、下野した後で良ければ、面談は可能かと」


寅次郎がそう言うと岩倉は苦笑しながら西に指示を出す。


「まあ、そうやな。負けた後に慰め、味方や言うたったら喜んでくれるやろうな。

ほな、西はん、それで面談の依頼を書いて貰えるかいな。

とりあえず、今のイギリスの天下がひっくり返るまで待たなならへんのは、業腹ごうはらではあるけど、しゃあないやろう」


岩倉の指示に西は頭を下げる。

そして、それから数日で、岩倉具視とディズレーリの面談日程が決定することとなったのである。

少し短いですが、キリが良いので、今回はここまで。


次回は、「第六話 岩倉具視とディズレーリ」になります。

さて、どの様な会談がなされるのか。

お楽しみに。


面白かった、続きが読みたいと思いましたら、評価、ブックマークを入れたり、感想やレビューを書いて応援して貰えると執筆の励みになります。


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― 新着の感想 ―
[一言] 感想の返信に返信する方法が分からないので、 ここで返信します。 イギリスがどういう特別扱いを求めたが分かったので、分かりやすくなりました。
[気になる点] あの時、パーマストン子爵は、こちらの提案する条約ではなく、完全に互角な条約を要請しておりました。 他の国は、我が国の領土を安堵した上で、我が国に勝手に上陸しないこと、対馬、北蝦夷(樺…
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