第470話 緋色に染まるヴァリン領
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復興暦一一一二年/共和国暦一〇〇六年 晩樹の月(一二月)一二日昼。
クロードとレアは、全長二mに巨大化した銀犬ガルムの背に乗って、ヴァリン公爵領に辿り着いた。
「これが、あのヴァリン領だというのか」
「お兄さま、貴方は何ということを……」
三白眼の細身青年と青髪侍女は、周囲を見渡して、痛む胸を手で押さえた。
ほんの数日前まで、人々が汗を流していた長閑な田園風景、大勢の来客でごった返す市場、職人の槌や機械音が鳴り止まなかった工房。
マラヤディヴァ国有数の大都市たる領都ヴォンは、在りし日が嘘のように鎮まり返って、白い雪と赤い血の二色に染まっていた。
「辺境伯。みっともないところを見せてしまったようじゃの」
幸いにも公爵は健在であり、クロードとレアは領立大学の研究室で面会することが叶った。
ガルムには〝毒尸鬼隊〟攻略の為、会見中に物資を集めるよう頼んでいる。
「ヴァリン公爵、ご無事で良かった。いったい何があったんです?」
常日頃は、獅子のたてがみに似た白髭をたくわえ、威風堂々とした横顔を崩さなかった公爵だが……、
再会した彼は、街と同様に見る影もなく憔悴し、怪我を隠しているのか、ソファにぐったりと身体を預けていた。
「うむ。お主ほどではないが、我らヴァリン領も勇士達がクツワを並べ、徘徊怪物と顔のない竜を退治していたのじゃよ」
公爵領は英明な指導者に率いられ、マラヤディヴァ国最大の繁栄を誇っていた。
ヴァリン領軍も、内戦中に〝緋色革命軍〟の鬼才ヨハンネス・カルネウス提督にこそ一度敗れたものの、それ以外はおおむね戦果を挙げており……。
今回の戦いでも、他の領では困難な〝怪物との夜間戦闘〟に勝利するなど、国内でも一、二を争う精鋭軍団と謳われていた。
「我々は領南部を荒らす怪物の群れを駆逐したが、さすがに魔法の使えない戦いは骨じゃ。〝禍津の塔〟を攻略するには至らず、明け方に一度拠点へ戻ろうとした」
クロードは領境での交戦を思い出し、背から冷たい汗を流した。
「キャンプを設置したバタル市までもう少し。戦勝に奢ったつもりはないが、心のどこかで油断が生まれたのかも知れん。我々は、山中に仕掛けられていた毒罠にまんまとかかってしまったんじゃ」
クロードは悪い予感の的中に震えた。
彼とレア、ガルムもまた、ヴァリン領に至る山道で毒罠に遭遇していたからだ。特に今は……。
「我らはシステム・ニーズヘッグの影響で魔法防御が低下し、毒への耐性を失っていた。身動きが取れなくなったところに、山深くに潜んでいた〝あの怪物〟に奇襲を受け、多くの同胞を失ってしまったよ」
「公爵。僕達もヴァリン領へ入る際に〝毒尸鬼隊〟を名乗る、毒を使う部隊と交戦しました。襲撃者は、ひょっとして奴らではありませんか?」
クロードの報告を聞いて、ヴァリン公爵の青ざめた頬にわずかな血色が戻った。
「ふは、そうか。あの苛烈な毒罠を潜り抜けたのか、さすがは辺境伯よな」
老公爵は重い息を吐いた。
「これはトーシュ教授の受け売りだが、近年は防毒・解毒の術式も研究が進んでおる。毒を主力武器に使う部隊というのは珍しいのじゃよ。我々を罠にかけた相手は、間違いなく〝毒尸鬼隊〟だろう」
老いたるヴァリン公爵は研究室のガラス窓から外に視線を向けて、若き辺境伯クロードも彼に習った。
(本当にむごい。ファヴニルもカミルも、最低限のルールすら守っちゃいない)
国内有数の治療・研究設備が整っていたヴァリン領の大学は、臨時の野戦病院となっていた。
教室も講義室も負傷者であふれかえり、苦悶の声と悲鳴が響き渡る中、医師や看護師だけでなく、学生すら動員する必死の治療が行われている。
「厄介なことに、奴らの毒は人体だけでなく、武器防具すら汚染する性質があった。主力部隊の三分のいちが毒で倒れ、三分のいちが装備を失って低体温症に陥ってしまった」
大同盟は、魔力喰らいの吹雪を吐き出す顔なし竜との交戦に備え、常夏の国でありながら大量の防寒具を備えるなど、入念な準備を重ねていた。
けれど、毒尸鬼隊が使う毒は、厚い外套すら容易に破壊するのだ。
カミル・シャハトと彼の部下は、呪いの雪で魔法防御を無力化し、毒罠と吹雪で物理的に仕留めるという、最悪の相互作用を成立させている。
「辺境伯。ファヴニルの目的は、お主をこの地に呼び寄せることだったのかも知れぬ。もう三分のいちである我々は、負傷者を抱えて退却したんじゃが、さすがに不自然じゃ。わざと見逃された気がする」
一石で二鳥どころか何鳥も狙う。
ファヴニルとレベッカらしい、卑劣で非道なやり口だった。
「クローディアス・レーベンヒェルム。危険を承知で頼みたい。我らヴァリン領にはもはや単独で〝禍津の塔〟を攻略する力はない。どうか毒尸鬼隊と〝あの怪物〟を討つために、お主と貴領の力を貸して欲しい」
「水くさいですよ。僕もレーベンヒェルム領も、公爵と、トーシュ博士やヴァリン領の人達に何度も助けられたんだ。その恩を返せるなら、こんなに嬉しいことはない」
「ありがとう。お主と初めて出会って三年、強く、大きくなったな」
クロードとヴァリン公爵は互いに手を差し出して、固い握手を交わした。
青髪の侍女レアはコクコクと頷いていたが、影武者を引き受けた頃のクロードを思えば、感慨もひとしおだったのだろう。
「ところで、公爵。アリスとイザボーさんの行方を知りませんか? こちらの援軍に向かったんですが、連絡が取れなくなってしまったんです」
「イザボー・カルネウス隊長か。叔父が迷惑をかけたから埋め合わせる、なんて言ってくれてのう。ヴァリン領南部に取り残された民間人の避難をに向かってくれたのじゃ。通信が止まったのは、我らが交戦した〝あの怪物〟が邪魔しているのかも知れん」
クロードは覚悟を決めて、ヴァリン公爵が妙に言葉を濁す真実へと踏み込んだ。
「公爵。〝あの怪物〟、とは何なのですか?」
「辺境伯、心して聞いてくれ。信じられないかもしれぬが、あの〝血の湖〟が復活したのじゃ」
ヴァリン公爵が明かした名前は、レーベンヒェルム領南部の山岳地帯を壊滅寸前まで追い詰めた、天災にも匹敵するモンスターだった。
あとがき
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