第192話 悪徳貴族と豊穣祭準備
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クロードは、夢を見た。
ザアザアと砂嵐に似たノイズがはしる、白い霧に包まれた朧気な場所で、真っ赤な血にまみれた子供が喉も枯れよとばかりに叫んでいた。
意識が無くとも、理解できた。彼が欲するものは、決して叶えさせてはならない渇望なのだ、と。
だからクロードは、彼を止めようと力一杯に抱きしめて――。
現実にある、柔らかな肉体の感触に困惑した
「あれ?」
「と、棟梁殿、大胆だな……」
クロードが抱きしめていたのは、返り血に濡れて怨嗟の叫びをあげる少年ではなく、湯上がりの肉体を羞恥で赤く染めた少女、セイだった。
衝撃は留まらない。二人が抱き合っていたのは、湯が張られた浴槽だ。
クロードは当然真っ裸で、セイの美しく膨らんだ胸とタオル一枚を挟んで密着していたのである。
「――っ」
とっさに声を抑えたのは英断だったろう。屋敷には他に三人の女の子がいる。もしもこういった情景を目撃されては、誤解されること必死だ。
曇りがかったような眠気が、衝撃のあまり吹き飛んだ。
思い出せばどうということはない。昨夜、明け方頃まで仕事が続いたクロードは、せめて出勤までに湯を浴びようと風呂に入り、そのまま寝落ちしたのだ。
「お、おはようセイ。どうしてここに?」
「棟梁殿がいつになっても風呂から出てこなかったから、湯あたりしてはいけないと様子を見に来たのだ」
セイは穏やかな顔で言い切った。朝日を浴びた薄墨色の長い髪が濡れて銀に染まり、うなじにかかった姿がやたらと艶っぽい。
クロードがもしも冷静ならば、「でも、裸になる必要は無いよね」と的確なツッコミを入れたことだろう。
しかし、彼女の肌に触れたことで彼も完全に混乱していて、正常な判断が出来なかった。
「あ、クロードくん、起きた?」
「クロード、おはようたぬっ」
状況は更に悪化した。
同じように湯船に浸かっていたらしいソフィとアリスが、心配そうに近づいてきたのだ。
柔らかな膨らみが、水音と共に弾む。辛うじてバスタオルで覆われているとはいえ、彼女たちの大きな胸は、思春期の少年にとって砲弾よりも目に毒だ。
「おは、よう」
クロードは、そっとセイから離れると、壁かけに置いてあったタオルを巻いて湯船から逃走を試みた。
必死で脱出路を探すものの、赤面したレアが申し訳なさそうに入口を塞いでいた。
(これじゃ、逃げ場がない!)
長湯でのぼせあがったクロードの脳が、熱暴走しながら回転を速める。
(考えろ考えろ。絶対に立ち止まるな。ピンチじゃなくてラッキーだけど、僕は先に進ななきゃいけないんだ)
もしも選択肢を誤れば、辿りつく場所は幸福な人生の墓場だろう。
(考えるんだ。セイ一人ならば、レアは止めるはず。あ、太ももが色っぽい)
クロードだって健康な男の子だ。目が吸い寄せられるのが避けられない。
女の子たちのしなやかな肢体が濡れて、水滴が滴り落ちてゆく。
(感じるんじゃない、考えろ。きっとアリスかセイが悪戯を思いついてソフィが悪ノリした。なら三人を制してレアを説き伏せれば――ああ吐息に酔いそう。呼吸の音が反響する)
セイのツンとあがったお尻が、アリスのひきしまった背中が、ソフィの白い谷間が、レアのくびれた細い腰がクロードを狂わせる。
クロードは視覚に続いて聴覚と嗅覚もイカれ、血が上って平衡感覚すら失い、ついに足を湯にとられてひっくり返った。
「がぼぼぼっ……!?」
「棟梁殿っ」
「クロード?」
「クロードくんっ」
「領主さま!」
クロードは溺れかけたところを、慌てて駆け寄った四人の少女達に助け出された。
それはあたかも天国のようで、理性にとって地獄だった。
☆
復興暦一一一一年/共和国暦一○○五年 大輪の月(七月)二九日。
登庁して領役所の執務室に入ったクロードは、胸中で念仏を唱えながら一心不乱に書類と格闘していた。
(しきそくぜーくー、くーそくぜーしき、じゅーそーぎょー……)
この世の万物は様々な色をもつが、本質は空であり、不変のものではない。
逆に不変でないからこそ、空は様々な色合いをもって、いま確かに存在しているのだ。具体的には、おっぱいとか、おしりとか。
「むねんむそう、しんとうめっきゃくすればひもまたすずし」
「クロオドよぉ、もう全員抱いチマった方が早いゾ」
カワウソことテルが、ソファの上で、軍事物資目録に目を通しながら、呆れ顔でぼやいた。
「テル、男女の交際は誠実であるべきだ。相手と添い遂げる覚悟も無いのに、一時の感情に流されるなんて失礼だろう」
「ウン。本気で言ってルところガ、ドウしようもなく馬鹿だと思うゼ」
クロードがここまで一本気な男だからこそ、ファヴニルと渡りあうことが出来た。
テルは、そう納得しつつも肩をすくめずにいられなかった。
「やかましいぞ、この淫獣め。僕はまだ、この前のこと忘れていないからな」
クロードがテルと井戸底の秘密部屋で語り合った翌日、レアに夜着の裾を引かれながら寝室へ戻ると、ベッドの上に両面にイエス/イエスと書かれた枕と精力剤入り蜂蜜酒が置かれていた。
いらんことしいのカワウソが、部屋の中で準備を整えて二人を待ちかまえていたのである。
『さあ、御両人。夜は長いゾ。ここはいっちょうヤッちまいナ!』
『レア、やろうか』
『領主さま、やりましょう』
『流石はオレ様。電光石火、快刀乱麻の解決ぶり。我ながらコノ智謀が恐ろしいゼ』
『『しねやああっ、このエロケモノ』』
クロードとレアが、その夜二人がかりでテルをしばき倒したのは言うまでもない。
この事件をきっかけに、沈みこみがちだったレアが前向きになって、ぎくしゃくした関係が正常化したのは予想外の慶事と言えるだろう。
「チッ。奥手な二人に交尾のキッカケを、ッテ年長者の深謀遠慮を台無しにしヤガって」
「こ う び い う な」
「わかっタ。この話はやめヨウ。ちょっと見てくれ、第三砦の補給についてだガ」
テルが地図に顔料で線を引いた箇所を、クロードはしげしげと見つめた。
領都レーフォンの南部、複数の川が交差する商業地帯の治安維持と防衛のために作られた要衝だった。
「今は陸路で物資を運んでいるガ、お前が進めた小規模運河の整備で海運が利用可能だ。馬を動かすコストを鑑みれば、すぐに切り替えた方がいい」
「わかった。すぐに指令書を作る。待ってくれ」
まったくもって意外なことだが、このカワウソは軍務に関して確かな手腕を持っていた。
ヴォルノー島の大同盟結成以後、レーベンヒェルム領は担当していた出納長アンセルと参謀長ヨアヒムといった主力スタッフを他領に派遣しており、物資補給や医療・法務支援に乱れが生じていた。
いかにセイが名将とはいえ細かな部分には手が回らず、緩み始めた領軍の規律を締め直す一助となったのが、意外にもテルだったのである。
「昔取った杵柄ってやつダ。どうせクロオドからは離れられンし、チョイと手伝ってやろう」
テルは、かつての戦友であり、隊商の仲間をだまし討ちにしたファヴニルを強く警戒していた。
それは、ファヴニルにとってのテルも同じだろう。だからこそ、クロードはテルに自分の傍から離れるなと忠告した。
「テル、聞いてくれ。盤面をひっくり返して、ファヴニルの方から見るんだ」
「何が言いタイ?」
「――天下分け目の決戦前に行方不明になって、敗戦後の辛い時に傍にいなくて、逃げ伸びた先では狂気にふれて襲ってきて、正気になったら拠点に仇敵を連れてくる兄貴分って、どう思う?」
「オウ。正直言って、釜ゆでにしても許せんナ」
おそらくテルは、契約神器としての力をほぼ喪失しているからこそ見逃されたのだろう。
クロードが目を離した瞬間に、ファヴニルが牙をむく可能性はまだ充分にあった。
「しかし、クロオド。このトコロ残業続きだガ、いったい何を決裁してるんダ?」
「お祭りだよ」
「祭り?」
「そう。小規模なのは、これまでもいくつかやってきたんだけど。今回のは過去最大だ。領都レーフォンと南都市オーニータウンを結ぶ鉄道の試験運用を記念して、豊穣祭を開くんだよ」
「ナルホド、内戦中だからコソ、逆に騒ぐのか面白い」
テルは感心していたが、実のところ豊穣祭は人材募集と幹部育成の為の看板だった。
スヴェン・ルンダールをはじめとするニューフェイスが役所や領軍の門を叩き、イヌヴェたち負傷した幹部が復帰し始めたことで、レーベンヒェルム領は再び正常に回り始めたのである。
「おかげで僕の仕事は増えたんだけどね。でも、今日は午後から祭りの準備を視察に行くんだ。役所は総出で人手が足りないから、領軍から補助スタッフを派遣してくれるってセイが言ってたよ」
「ほう。ドンナ奴だ?」
「腕が立つから護衛にぴったりなんだって」
なんだかむさくるしそうだな、と、テルがひっくり返って不貞寝をはじめた時、執務室のドアがノックされた。
「はい、どうぞ」
「ハジメマシテ。い、イセ・コトリアソビです。セイ司令の指示で、棟梁様の護衛を務めさせていただきます」
ドアを開けた少女は、ふわっふわの白いドレスを着た見覚えのある少女だった。
褐色に染めたウィッグをつけて、カラーコンタクトを入れているが、いくらなんでも誤魔化すのに無理がある。
「セイ、何をやっているの?」
「……。棟梁殿、見るな。私を見ないでくれっ」
「えええっ?」
風呂場で混浴した時よりも真っ赤になってしょげかえるセイと、彼女があれほど拒んでいた洋装に身を包んだことに衝撃を受けたクロードは、ああだこうだと騒ぎ始めた。
テルは、なんでこいつの回りだけ燃えている火薬庫なのかと悩んで、どうしようもないと天を仰いだ。





