第81話 前世の記憶
私は荷物の中から、一枚の厚手の紙を取り出した。
オリエンテーションの案内図だ。
この紙に、私が今日行くべき教室と、スケジュールの全てが記されている。
入学式が終わったら、すぐに各学科に分かれての説明会。
その後は、施設案内、教科書配布。
入学初日だというのに、分刻みのスケジュールで、息つく暇もない。
感傷に浸る時間すら与えてくれないなんて、王立学園の生活というのは、初日から容赦がないみたいだ。
「私の教室は……ええと、L棟か」
案内図の端に記された文字を見て、私はごくりと喉を鳴らした。
L棟。この広大なキャンパスの中でも、一際異彩を放つとされる場所。
そこは、主に錬金術を専攻している教室が集まる研究棟だ。
噂によれば、L棟は「眠らない塔」とも呼ばれているらしい。
夜な夜な怪しげな光が漏れ、爆発音が響き、廊下には得体の知れない色の煙が漂っているとかいないとか。
そして何より、錬金術科はレポートの量や、授業のレベルが非常に高いことで有名だ。
『一人の錬金術師を育てるには、紙の山とインクの海が必要だ』なんて格言があるくらいに。
「……ううっ」
想像しただけで、胃のあたりがキリキリと痛む。
いやあ、ちょっと前世の大学時代の記憶が蘇ってきて、怖いかもしれない。
締め切り前のデスマーチ。
終わらない実験と、積み重なるレポートの山。
カフェインの過剰摂取で震える手。
そして、教授の無慈悲な「再提出」の一言。
脳裏をよぎる前世のトラウマに、背筋を冷たいものが伝う感覚を覚えた。
あの地獄を、また、この異世界でも味わうことになるの?
しかも今度は、パソコンのコピー&ペーストなんて便利な機能はない。
全て、手書きの羊皮紙だ。
書き損じたら、最初から書き直し……?
考えないようにしよう。うん、そうしよう
私は苦笑いをしながら、首を振った。
錬金術は好きだ。
新しい知識を得ることも、実験で仮説を証明することも、大好き。
「行くしかないわね」
私は、L棟と呼ばれる場所へ向かって、一歩を踏み出した。
ポムは今頃、部屋で妹と楽しく遊んでいるだろうか。
あの子ののんきな顔を思い浮かべると、少しだけ肩の力が抜けた気がした。
石畳の道を歩き、噴水広場を抜け、並木道を通り過ぎる。
学園は本当に広い。
地図を見ながらでも、迷ってしまいそうだ。
やがて、前方の木立の向こうに、その建物が見えてきた。
他の白亜の校舎とは違い、少し古びた煉瓦造りの重厚な建物。
風に乗って、微かに薬品と焦げ臭い匂いが漂ってきた。
「……あそこね」
間違いない。あれがL棟だ。
他の校舎のような華やかさはないけれど、職人たちが集う工房のような、独特の熱気を感じる。
私の、これからの拠点。
建物の入り口には、「錬金術科」と書かれた真鍮のプレートが掲げられている。
その扉の前に立った時、私は一度だけ深呼吸をした。
この扉の向こうには、私の知らない知識が待っている。
そして、私と同じように錬金術を志す、未来のライバルや仲間たちが待っているはずだ。
不安はある。
前世のトラウマも、まだ消えない。
だけど、それ以上に。
私の胸の奥底で、ちりちりと燃えるような好奇心が、疼き始めていた。
「よし」
私は、小さな手で、重い扉を押し開けた。
ギィィ、と少し錆びついた蝶番が鳴り、錬金術独特の香りが、私を包み込む。
私の新しい日常。
そして、波乱に満ちた学園生活の、本当の幕開けだ。
【作者からのお願いです】
・面白い!
・続きが読みたい!
・更新応援してる!
と、少しでも思ってくださった方は、
【広告下の☆☆☆☆☆をタップして★★★★★にしていただけると嬉しいです!】
皆様の応援が作者の原動力になります!
何卒よろしくお願いします!




